第50話 七色のうろこ
小亀が、隣にいる波有にそっと目配せをした。
それを見た彼女は、あっと自分の額をパチンと叩いた。
大変! すっかり舞い上がって、大師兄と二師兄のことを忘れていたのだ。
慌てて戦家兄弟に向き直った。
「実は、今回海底に潜ってきたのは、はぐれちゃった二人の師兄を探すためだったの」
言いながら、ちょっと気まずそうに、しどろもどろで言葉を付け足した。
「……あと、あそこにある白い二枚貝の船も、私たちのなんだよね」
戦勇は力強く胸をドンと叩いた。
「もちろんですとも! 王女様の師兄なら、俺たちの仲間も同然です。後ほど、責任を持って、王女様を通天山までお送りいたしますよ」
小亀が不思議そうに首を傾げた。
「でも、人魚って人間の姿には化けられないんじゃなかった? 魚の尾ひれのままで、陸に上がれるの?」
勇はヘラヘラと笑った。
「普通の人魚なら無理ですがね、王女様には『海音鈴』があります。あの鈴を使って術をかければ、尾ひれを人間の足に変えることができるんですよ」
波有は自分の腕を伸ばし、手首に飾られた小さなホロホロ貝のブレスレットを見つめた。
「これのこと? こんなにちっぽけなのに、そんなすごい力があるの?」
勇が顔を近づけてじっくり眺め、隣の弟に声をかけた。
「おい、確か海音鈴って、鈴が四つついていなかったか? 俺の記憶違いか?」
弟の雄が波有に向かって言った。
「兄貴の言う通りです。本来なら四つの鈴がついているはずなのですが……王女様、この鈴はどこで見つけられたのですか?」
小亀がここぞとばかりに割り込んで答えた。
「南海の宝物庫で見つけたんだよ! その時、この鈴がしきりに師姉に呼びかけているのを感じたから、僕が勧めて持ってもらったんだ」
戦勇はうーんと首をひねって考え込んだ。
「海音鈴はもともと四つで一つ。今はたった一つしか残っていないから、本来のパワーが出せないんだな。でも、何かの縁でその一つが王女様の手元に戻ってきたんだ。」
「王女様、試しに術を使って、残りの三つの鈴を呼び出してみてくれませんか?」
困り果てた波有が小亀を振り返ると、彼は優しく頷いた。
「師姉、いつも通りにやってみれば大丈夫だよ」
怪人一家が見守る中、波有は手首の小さな鈴をシャンシャンと鳴らし、いつもの、胸を締め付けるような切ない歌を歌い始めた。
その声を聴いた一同は悲しげな表情を浮かべる。
けれど、曲が最後まで終わっても、何も変化は起きなかった。
―――
ちょうどその時、料理を乗せたお皿を抱えた浪花が戻ってきた。
後ろには、連れてこられた伊蘭と伊貴の姿もあった。
小亀は手短に、怪人たちと誤解が解けて仲間になった経緯を師兄たちに説明した。
伊蘭と伊貴は、自分たちが子供の頃に街で拾ってきた小さな赤ちゃんが、まさか人魚族の王女様だったなんて、驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。
けれど、最近起きた数々の不思議な出来事や、波有の見た目の変化、海音鈴の不思議な力を思い返すと、すべてが繋がって「なるほど、そういうことだったのか」と深く納得した。小師妹が自分の生まれ故郷や身生えを知ることができたのを、心から喜んだ。
浪花が少し照れくさそうに呟いた。
「王女様、お歌が上手すぎて、なんだか胸がギューッと苦しくなっちゃいましたよ。私たち人魚には涙がないって言いますけど、それはきっと、今までこんなに切ない歌を聴いたことがなかったからですねぇ」
雄が兄に視線を送った。
「兄貴、人魚の歌といえば、普通はもっと明るくておめでたいお祭りの曲ばかりだもんな。王女様が今歌ったようなメロディは、俺も初めて聴いたよ」
勇が何度も頷いた。
「お前の言う通りだ! 王女様、あの『喜びの歌』は覚えておいでですか?」
波有はぽかんとして、記憶にない、と首を振った。
「ああ、生まれ変わったときに昔の記憶を無くされてしまったんだな。それなら大丈夫、俺たちの後について一緒に歌ってみてください。」
「この極寒の北海に流されてから、ずっと歌なんて歌っていなかったから、うまく声が出るか分からないけれど……」
それは、すべての人魚が愛してやまない伝統の曲だった。
浪花も嬉しそうに声を弾ませる。
「私も一緒に歌うわ!」
♪♪♪
『波は湧き立ち しぶきは飛ぶよ
カンナの花に 誰もが見惚れる
七色の尾ひれに 鈴の音響けば
満月の夜に 愛しい人が帰ってくる』
♪♪♪
―――
二人の男声と一人の女声、三人のハモりが深海の底に心地よく広がっていった。
情熱的で力強いメロディとリズムは、まるで一瞬にして氷のように冷たい海水を熱く沸き立たせるかのようだった。
場にいる全員が、ウズウズするような楽しい雰囲気に包まれていく。
波有にとって初めて聴くはずの歌なのに、不思議なことに、だんだんと頭の中にメロディが蘇ってきた。
気づけば自然と一緒に声を合わせて歌っていたのだ。
みんな一斉に感嘆の声をあげた。
「さすが人魚の王女様だ……! なんて素晴らしい歌声なんだろう!」
波有の美しい歌声がハモりに加わった瞬間、海底全体がゆっくりと、まばゆい光に包まれていった。
あちこちに生い茂っていた海草たちが、瑞々しい鮮やかな緑色に輝きだし、風も波もないはずなのに、まるで楽しそうにダンスを踊るようにゆらゆらと揺れ始めた。
歌声に引き寄せられるように、見たこともない大小さまざまな魚たちも集まってきて、海底は一気にお祭りのような大賑わいになった。
すでに十分明るかった空間に、突如として別の三筋の眩しい光が飛び込んできた。
次の瞬間、海底全体にまるで爆発したかのような、とてつもない閃光が弾け飛んだ。あまりの眩しさに全員が目を奪われる。
光がすうっと収まった中心に、まるで水面から咲き出たハスのお花のような、この世の物とは思えない絶世の美女が佇んでいた。
それが波有であり、彼女の本当の人魚の姿だと頭では分かっていても、彼らとてつもない衝撃を受けて立ち尽くしてしまった。
小亀はしばらくの間、その美しさに完全に魂を奪われ、うっとりとしながら、波有の華やかでひらひらと揺れる大きな尾ひれを数えていた。
「一、二、三……」
「師姉、尾ひれが本当に七つの色に輝いているよ!」
戦勇の一家五人は、一斉に海底の砂の上にひざまずいた。
「おめでとうございます、王女様! 法宝『海音鈴』がすべて揃いました!」
まるで蝶が羽を広げたかのようにカラフルな魚の尾ひれ。透明にきらめく鱗の上に、四つの小さな海音鈴が可愛らしく寄り添うようにくっついていたのだ。
まったく同じ瞬間、ここから何万里も離れた南海の人魚島では、奇跡が起きていた。
白い岩の洞窟の真上に、見事な七色の虹がパッと架かり、島全体を包み込むように、天上の音楽のような美しい歌声が響き渡ったのだ。
一瞬にして、島にいる全ての人魚たちの心が、歌声とシンクロするように優しく震えた。
頭領である汕と清夫人は、すぐさま仲間たちを率いて地面に跪き、深く頭を下げた。
彼らは身動きもせず、人魚の王女様を再び一族へと返してくれた上天の奇跡に、涙を流して感謝を捧げるのだった。
―――
一方、海岸で今かと待ちわびていた雲英と伊念は、ついにみんなが無事に戻ってきたのを見てホッと胸をなでおろした。
師兄たちと船の横には、なぜか緑色をした怪人たちが何匹もくっついている。
戦勇たち一家に対して、伊蘭たちも最初は恐怖を感じていたけれど、こうして一緒に過ごしてみると、驚くほどウマが合うことが分かった。
ただ、彼らと波有の関係や、過去にどんな大罪を犯して星盤仙尊から罰を受けたのかについては、みんな興味津々だった。
けれど、戦勇兄弟は固く口を閉ざし、それについては一言も話そうとはしなかった。
彼らは、過去の汚点を、命が尽きる最後の瞬間まできっと胸の奥に葬り去ろうと、密かに心に誓っていたのだ。
その後、波有たち一行は、丸子人の集落から熱烈な大歓迎を受けた。
後四が言っていた通り、そこには都のような洗練されたマナーや華やかさはなかったけれど、都の人々が忘れてしまったような、真っ直ぐで温かい誠実さと優しさに溢れていた。
特に、一行が通天山を目指していると知った部族の首領・阿達は、「ぜひとも数日間、ここに泊まっていってくれ!」と熱心に引き止めてくれた。
けれど、伊貴は一刻も早く師父たちを助けに行きたくてウズウズしていたため、首領の厚意に感謝しつつもそれを丁寧に断り、ここへ来た本当の理由を詳しく打ち明けた。
丸子人の集落では、何よりも勇敢な英雄がリスペクトされる。
部族をまとめる首領の阿達は、誰もが見上げるほどの大柄な体躯に、野性味溢れるたくましい顔立ちをしていた。
瞳の奥は夜空の星のように鋭く光り、一族を率いる長にふさわしい、まるで王者のような威厳をまとっている。
伊貴の話をじっくりと聞いた阿達は、若者たちの命がけの勇敢さに深く感銘を受けた。
「なるほど、それほど大事な役目があるのなら、無理に引き止めはしまい。ここまで過酷な海を渡ってきたのだ、さぞ疲れただろう。」
「まずは美味いものを腹いっぱい食べて、今夜はゆっくり休むといい。明日、俺が通天山の麓までお前たちを案内してやろう!」
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