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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第二章 雪嶺の逃避行

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第49話 深海に隠された呪い




 伊貴が目を覚ましたとき、全身に激痛が走った。



 這いつくばりながら起き上がろうとしたけれど、体が全く動かない。


 太い海草が、これでもかとぐるぐる巻きに巻き付いていたのだ。



 ふと真横を見ると、何やら黒くて丸っこい物体が転がっている。


 ゴロゴロと転がって近づき、よく見てみれば、案の定、大師兄(伊蘭)だった。




 (よかった、口までは塞がれてないな)


 伊貴の記憶は、船を停める場所を探していたところで止まっている。




 海面から突き出た岩を見つけ、伊蘭に「あそこにロープをかけよう」と声をかけようとした、まさにその瞬間だった。




 岩の影から、とんでもなく醜い顔がヌッと現れたのだ。



 一瞬、カエル顔をした南海海夜叉の墨墨かと思った。



 けれど、目の細長さも、裂けたような大口の不気味さも、墨墨より何十倍も恐ろしい。



 全身の皮膚はまるで緑色のペンキを塗りたくったようで、そこら中に大小のブツブツができており、言葉にできないほど気味が悪かった。




 恐ろしい怪人は両腕を広げると、空中に向かって勢いよく跳ね上がった。


 緑色にぎらつく大きな魚の尾ひれが、半空でゆさゆさと揺れる。




 (人魚……!?)


 伊貴は、人魚島で見た美しい人たちを思い出していた。



 「師兄、早く見てくれ!」と叫ぼうとした瞬間、頭に強烈な一撃を食らい、そのまま意識を失ってしまったのだ。




 ―――




 伊貴が何度も大声で呼びかけたおかげで、伊蘭もようやく目を覚ました。



 彼は本当に何が起きたのか分からないまま、背後から一撃を食らって気絶していたのだ。



 体に巻き付いていた海草をどうにか引きちぎり、二人はまず周囲を観察してみることにした。




 あたりの海底はかなり深いようで、しんと静まり返り、光も届かず薄暗い。


 あちこちに太く育った海草が群生しており、黒い影となってゆらゆらと揺れている。


 時折、かすかに光る小さなクラゲたちが海草の間を泳ぎ回っており、淡い光のおかげで、どうにか周りの様子が分かった。




 伊蘭がすっと指をさす。


 「伊貴、見ろよ! 俺たちの船、あそこにあるぞ!」



 伊貴が言われた方を向くと、少し離れた場所に、白い球体の二枚貝の船が静かに横たわっていた。




 伊蘭が船へ向かおうと立ち上がりかけたので、伊貴は慌ててそれを止めた。



 「師兄、ちょっと待って! 誰に気絶させられたか覚えてる?」



 「いや、誰も見てない。ただ頭がガツンと痛くなって、それっきりだ。さっきお前が起こしてくれなきゃ、今でも眠りこけてたよ」



 伊貴は声をひそめて言った。


 「師兄、よく聞いて。俺たちを殴ったやつを見たんだ。不思議なことに、人魚島にいた人魚と同じで、人間の体に魚の尾ひれがついていた。だけど、とにかく顔が恐ろしいんだよ!」


「 墨墨を覚えてるだろ? 墨墨だってかなりのブサイクだけど、あいつの顔はそんなレベルじゃない。もっともっと、めちゃくちゃに不気味なんだ!」




 墨墨よりも醜い。


 そう言われると、伊蘭は逆に好奇心が湧いてきてしまった。海夜叉の間抜けな顔を思い出し、なんだかおかしくなって、ぷっと吹き出してしまう。



 「おいおい、本当にそんなやつがいるのか? 俺を怖がらせようとしてないか? そこまで言われると、むしろ墨墨とどっちが勝つか見てみたいもんだな!」




 伊貴は焦って言った。


 「俺が師兄を脅かすわけないだろ!」


 言いかけたところで、彼は完全にフリーズした。目線が伊蘭の背後で釘付けになる。



 不思議に思った伊蘭が振り返ると、ちょうどそこには、さっきの怪人の醜い顔がドアップで迫っていた。




 「うわあああ!!!」


 本当に、とんでもなく醜かった。


 伊蘭は恐怖で思いきり飛び上がった。




 怪人は長い腕を伸ばすと、一瞬で二人の体をそれぞれの脇にガシッと挟み込んだ。



 尾ひれを力強くひと振りすると、あっという間に海草の森の奥へと消え去ってしまった。




 ―――




 その頃、波有と後四は小亀の背中に乗り、深海へと潜っていた。



 周囲の海面はくまなく探したけれど、師兄たちの影は見つからなかった。



 小亀が「まずは海底に沈んだ船を見つけよう。そうすれば、何かわかるかもしれない」と言ったので、こうして海底までやってきたのだ。




 海の上は嵐が吹き荒れて大波が立っていたけれど、ここは薄暗い代わりに風も波もなく、穏やかだった。おまけに、上よりはいくらか寒さもマシに感じられる。



 波有が夜明珠を高く掲げると、周囲がぱあっと明るく照らされた。


 生い茂る水草をかき分けて進んでいくと、光が白い貝殻に反射し、すぐに沈んだ船が見つかった。


 しかし、運の悪いことに、彼らもまた探していた伊貴たちと同じピンチに直面することになる。




 現れたのは、一匹だけではなかった。


 不気味な怪人たちが群れをなして、大小合わせて四匹も現れたのだ。




 伊蘭を腰抜かしさせた醜い姿に、波有たちも全身の毛が逆立つほどの恐怖を覚えた。




 そのうちの小柄な二匹は、とんでもない怪力の持ち主だった。


 一匹は近くにあった巨大な岩を頭上にひょいと持ち上げ、もう一匹は重い船を軽々と担ぎ上げると、そのまま海草の奥へと猛ダッシュで運んでいってしまったのだ。




 後四は水中ではろくに法術が使えず、小亀も攻撃的な術は持っていない。


 波有はどうにかこの状況を抜け出そうと、必死に腕を振って海音鈴を鳴らした。




 三人が醜さに圧倒されて立ち尽くし、岩を掲げた小怪人が今にもこちに突っ込んできそうになった、その時。



 一番ガタイの大きな大怪人が突如として目の前に立ちはだかり、波有をかばうように立ちはだかった。



 夜明珠の優しく明るい光が、波有が揺らす小さな鈴と、まるで芸術品のように美しい彼女の顔をくっきりと映し出す。



 すると、大怪人はぽつりと呟いた。



 「お、王女様……なのですか?」




 目の前の怪人は恐ろしく醜い顔をしていたけれど、言葉遣いや、瞳の奥から溢れ出る優しい光は、四不像の驕盧が目覚めたばかりの時と完全にそっくりだった。




 ただならぬ様子に気づいた岩を持つ小怪人が、岩を下ろして尋ねる。


 「父ちゃん、この人を知ってるの?」



 大怪人はコクコクと頷くと、嬉しそうに大きな口を開けて笑った。


 もう一匹の怪人に向かって、歓喜の声をあげた。


 「花ちゃん!花ちゃん!! お前も信じられないだろう! 俺たちは、本当にこの日を待っていたんだ!」




 ―――




 まるでおとぎばなしのような展開だった。



 波有は今、深海の底にある、難破船を改造したという「家」に座っている。



 目の前に並ぶ、五人の怪人を眺めながら、自分は夢でも見ているんじゃないかと疑うほどだった。




 大怪人たちの名前は、戦勇(せんゆう)戦雄(せんしゅう)、そして浪花(なみか)というらしい。



 勇と雄は兄弟で、浪花は戦勇の妻、二人の小怪人は、彼の息子たちだった。




 小亀は驚きのあまり口をあんぐりと開けた。



 「あなたたちが人魚だって言うの? でも、僕たちが知っている人魚島の人たちは……」




 戦勇は緑色の大きな頭をがっくりと垂らした。



 「本来なら、俺たちも一族と同じ美しい姿をしていたんだ。しかし、昔、決して許されない大罪を犯してしまい、星盤仙尊(せいばんせんそん)から呪いを受け、こんな姿に変えられてしまった。」


 「それだけでなく、息子まで、生まれつき本来の姿に戻れなくなってしまったんだ」



 弟の雄も隣でため息を繰り返す。


 妻の浪花にいたっては、顔を覆ってワアワアと泣き真似を始めた。ただ、涙の粒は一つもこぼれ落ちてこない。



 女性にとって、容姿が変わってしまうことは男性以上にショックが大きいものだ。


 美しい人魚の姿から、こんな化け物のような姿に落とされてしまったのだ。


 浪花にしてみれば、愛する夫が一緒にいてくれなければ、とてもこの絶望には耐えられなかっただろう。




 波有はうんうんと頷いた。


 「星盤仙尊がそんなことをするなんて、きっとそっちにも悪い理由があったんだね。どうして仙尊に謝って、許してもらわなかったの?」



 勇がガバッと顔を上げた。瞳には、激しい興奮の光が宿っている。


 「星盤仙尊は俺たちをこの地に流刑にするとき、こうおっしゃったんだ。『将来、もしも波有王女の生まれ変わりに出会い、私の元まで送り届けることができたなら、お前たちの罪を許そう』と!」



 雄も万感の思いを込めて、緑色の顔をさらに真っ赤に染めながら言った。


 「俺たちは、ついに波有王女様に再会できる日を、ずっとずっと待っていたんだ!」




 小亀と後四は、恐る恐る隣にいる少女の顔を見つめた。


 「ということは……彼らの言う王女様って、師姉のこと?」



 波有自身もさっぱり分からず、首を傾げた。


 「そうなのかな? まあ、みんながそう言うなら、そういうことにしておこうか」




 すると、小怪人たちも親しげにトコトコと駆け寄ってきた。


 「波有王女様、めちゃくちゃ美人だね! こんな綺麗な人、初めて見たよ!」




 「ちょっと!戦大(せんたい)、王女お姉さまに近づきすぎだよ。ヨダレが跳ねたらどうするんだよ」



 彼らのお母さんである浪花が、二人の首根っこをそれぞれの手で掴み、波有に向かって何度も何度もペコペコと頭を下げた。


 「本当に申し訳ありません! この子たち、戦大も戦小(せんしょう)友達がいなくて。王女様があまりにも美しくて若いものだから、嬉しくて加減が分からなくなっているんです。」


 「今からすぐに何か食べるものをご用意しますから、お友達と一緒にどうぞゆっくりしていってくださいね」




 上の子は戦大、下の子は戦小。


 (もう一人子供が生まれたら、やっぱり『戦中』になって、大・中・小になっちゃうのかなぁ……)



最後までお読みいただきありがとうございます!


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