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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第二章 雪嶺の逃避行

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第45話 戻ってきた伊念


 海辺の崖の上で白い大きな鶴の背中から降りると、みんな寒さでガタガタと震えだした。



 伊貴は感心したように言った。


 「この鶴の羽、本当にすごいな! こんなにすんなり屏風山を越えられるなんて思わなかった。李御たちは今ごろ、関所で首を長くして俺たちを待っているんだろうな」



 伊蘭は口を大きく開けて笑った。


 「あの赤い狐の化け狐め、俺たちが目の前を飛び去ったって知ったらどんな顔をするか、見てみたいよ。きっと悔しさで顔を真っ青にしてるぜ。ハハハ!」



 雲英が伊蘭の服の裾を引っ張った。


 「大師兄、静かに! 声が大きいわ!」



 他の仲間たちもその様子を想像して、思わず吹き出してしまった。



 後四が興奮気味に言葉を続ける。


「このスピードなら、北海も氷原もあっさりと飛び越えられそうだな! もしかしたら通天峰のてっぺんまで一気に飛んでいけるかも。それなら危ない目に遭うこともないだろ!」



 すると、小亀が情けない顔をして、ガチガチと歯を鳴らしながら言った。


「ごめんね……多分、それは無理なんだ。海の上は風が強すぎるから、白鶴ごと海に叩きつけられちゃうよ」



 言葉を聞いた瞬間、笑っていたみんなの口がピタ止まりした。


 目の前に広がる果てしない海を見つめ、全員で深いため息をつく。




 波有は、前に人魚島から戻ってきたときのことを思い出して言った。


 「あの時みたいに、大きな二枚貝の船に乗れたらいいのにね」



 小亀が言った。


 「僕は主人の分身だから、あの船を呼び出すのは難しくないよ。」


 「でも、北海は美姫のナワバリだ。船が出せたとしても、彼女の目を盗んでこの海を無事に渡りきるなんてできるのかな?」



 波有は目を丸くして口を尖らせた。


 「ちょっと師弟、そうやっていつも雰囲気を壊すのはやめてよ! 今みんなで作戦を考えているところじゃない。弱音ばかり言っていたら、やる気がなくなっちゃうわ!」



 小亀はもじもじとうつむき、小さな声で抗議した。


 「僕は本当のことを言っただけなのに……」




 伊貴が両腕を広げて、この幼い二人の肩をがっしりと抱き寄せた。


 「甲ちゃん、落ち込むなよ! 方法はきっと見つかるさ!」





 そのとき、誰かのお腹が「グゥ〜」と大きな音を立てた。



 伊貴は笑った。


 「まずは腹ごしらえだな。それから、できれば暖かそうな上着も手に入れたい。海の上に出たら、もっと寒くなるはずだから」




 ―――




 美姫の配下には、広く名を知られた部隊があった。


 北海の『獅豹団(しひょうだん)』だ。



 けれど、波有たちの目から見れば、アシカ(海獅)とアザラシ(海豹)が集まった、ただの太っちょで頭の悪そうな集団にしか見えなかった。




 伊貴が思いついた作戦のおかげで、太ったブタよりも丸々と肥えたアシカを、いとも簡単に五頭も仕留めることができた。



 お腹はいっぱいになり、暖かそうな毛皮のコートまで手に入って、みんなこれ以上ないほど大喜びだった。




 伊蘭は羨ましそうに小亀を見た。


 「やっぱり甲ちゃんの法術はすごいな! さすがは光の伯父の分身だ」



 小亀は褒められて顔を赤くし、照れくさそうに言った。


 「二師兄の作戦が良かったからだよ」



 波有が小亀の肩をポンと叩いた。


 「もう、謙遜しなくていいってば! あなたがメスのアシカに化けて一頭ずつおびき寄せてくれなきゃ、成功しなかったんだから。一番の功労者は師弟よ!」




 彼女はさっきの光景を思い出して、笑いが止まらなくなった。



 小亀が化けたメスのアシカが姿を現すなり、一頭目のオスがすぐに気づいた。


 嬉しそうに目を輝かせ、丸っこい体を不器用に揺らしながら、ズリズリと這い寄ってきたのだ。



 小亀がそのまま岩陰へと誘導し、みんなで一斉に飛びかかって片付けた。


 恋人を探しに来たつもりのアシカは、あっという間に命を落とすことになった。



 この調子で次々と作戦を続け、ほんの少しの時間で五頭ものアシカを仕留めたのだった。




 雲英が嬉しそうに伊蘭に話しかけた。


 「大師兄、アシカのお肉なんて初めて食べたけれど、すごく美味しいわ! 昔、念ちゃんと一緒にいたとき、本に書いてあったって教えてくれたの。」


 「北海の魚は寒いから脂がたっぷりのっていて、美味しいだけじゃなくて肌にもいいんだって」



 伊蘭はため息をついた。


 「はぁ、念ちゃんは今、美姫の側についているんだろう。この北海にいるのかねぇ」



 伊貴が言った。


 「あの子は小さいのに頭が回るからな。きっと、どうしても仕方のない理由があって師父を裏切ってしまったんだろう。何か事情があるはずだ」



 雲英は頷いた。


 「絶対にそうよ。考えてもみて、あのときは念ちゃん一人だけが南海の蔵書院に残されていたのよ。その後、美姫が南海を占領したんだから、小さな女の子に何ができるっていうの? 従うしかなかったに決まっているわ」



 伊蘭も寂しそうに言った。


 「そうだな。当時は一人きりだったんだ、嫌でも従うしかない。まずは命を守ることが一番大切だからな」




 彼女は荷物袋から、小さな竹の笛を取り出した。


 「私、昔、庭でたくさんニワトリやアヒルを飼っていたでしょう? これを使って、みんなにエサの時間だよって合図していたの。」


 「念ちゃんにはいつも笑われたわ。『雲英姉さんは顔は悪くないのに、笛の音はすっごく下手くそね』って。もしあの子がこの近くにいるなら、気づいてくれるかもしれない。ちょっと試してみるわ」




 ―――




 冬の海岸線に北風がヒューヒューと吹き荒れる中、甲高い竹笛の音が響き渡る。


 不思議とその音は、風の音に紛れて不自然さはなかった。




 雲英は思いきり息を吸い込み、お茶を一杯飲み干すほどの長い時間、ずっと笛を吹き続けた。


 冷たい風に吹かれながら、頬をパンパンに膨らませて一生懸命に笛を吹く恋人の姿を、伊蘭は見つめていた。


 寒さで顔を真っ赤にし、鼻水や涙を流している様子が、いつもよりなんだか愛らしく思えてくる。


 

 「よし、雲英、もう十分だ。もういいよ」


 伊蘭は彼女の口から笛を離すと、手ぬぐいを取り出して優しく顔を拭いてあげた。




 波有はぽつりと呟いた。


 「雲英姉さんがあんなに長く吹いていたんだから、もし伊念師姉に届いていたら、出てきてくれるよね?」



 言うまでもない言葉だったけれど、誰も答えることはできなかった。




 伊念が一門に入ってからは、まだ二、三年しか経っていない。


 師父から法術を学ぶとき以外は、いつも本を抱え込んでいて、普段から物静かな子だった。


 雲英とはたまに交流があったけれど、大師兄の伊蘭に密かに想いを寄せているという噂もあり、本当のところは誰も怖くて聞けずにいた。




 それでも雲英は信じていた。


 「念ちゃんは普段はおとなしいけれど、根は絶対に悪い子じゃないわ。きっと今でも、一門の絆を大切に思っているはずよ」




 そこで、みんなは海岸の物陰に隠れて待つことにした。


 幸い、今はアシカの毛皮のコートを着ているので、あまり寒さは感じない。




 雲英の勘は、見事に当たった。



 夜中になり、水平線から大きな満月が上った頃。


 砂浜の上では、アシカやアザラシたちが、まるで死んだブタのようにゴロゴロと横たわって眠りこけていた。



 その間を縫うようにして、一人の小さな人影が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。



 みんなすぐに伊念だと気づき、遠くから手を振った。




 ―――




 月明かりに照らされた砂浜はとても明るい。


 すぐに伊念もみんなの姿を見つけた。




 「雲英姉さんの竹笛の音が聞こえたから、もしかしたらみんなが助けに来てくれたんじゃないかって思ったの。本当にみんななんだね!」


 伊念は駆け寄ってくると、目に涙をいっぱいに溜めて言った。



 雲英は彼女を自分の隣に引き寄せ、優しく尋ねた。


 「念ちゃん、敵の味方になったわけじゃないのね。私たちのことも、師父のことも忘れていなかったんでしょう? 仕方なく従っていただけよね?」



 伊念は泣きながら答えた。


 「あの時はすごく怖くて、言われた通りにするしかなかったの。でも、後になって落ち着いて考えたら、すごく後悔して……。師父の教えを忘れてしまっていた。『どれほど怖くても、やってはいけないことは、絶対にやってはならない』って、師父は言っていたのに」



 波有も近づいていって、伊念を抱きしめて泣いた。


 「伊念師姉はあの時一人きりだったんだもの、怖かったに決まっているわ」



 伊貴が二人をなだめた。


 「ほら、みんな泣くのはそこまでだ! またこうして仲間が集まれたんだ、最高じゃないか!」




 伊念が尋ねた。


 「師父をどうやって助け出すつもりなの?」



 「美姫が話しているのを聞いたの。師父や伯父たちは、みんな不老国の皇宮に閉じ込められているって。今はどこの土地でも、みんなを捕まえるためにお触れ書きが出されて、関所が作られているよ」



 伊貴の顔が険しくなった。


「やっぱりか! 師父は都に閉じ込められているんだな」




 都、屏風山、北海、そして今しがた逃げ出してきた秀麗山。


 すべての場所に天網が張られ、自分たちを捕らえようとしている……


 全員が黙り込んでしまった。




 長い沈黙の後、小亀が伊念に尋ねた。


 「師父から聞いたことがあるよ。伊念師姉には生まれつき不思議な力があって、天眼てんがんを開くと、相手の正体を見破るだけじゃなく、その人が何を考えているかまで分かるって。美姫のところで、何か知ったことはない? 僕たち、どうやって北海を渡るか考えているんだ」




 伊念は少し考えてから言った。


 「美姫が私にひどいことをしないか心配だったから、確かに天眼を開いて彼女の心を読んだわ。私に対しては特に何も考えていなかったみたい。ただ、すごく奇妙なことがあって……」


 「彼女にはお気に入りの男(面首)が百人もいて、いろんな男をはべらせているのに、なぜかあの驕盧って男のことだけは、本気で気に入っているみたいなの。いい歳をして本当に色好みなのね、笑っちゃうわ」


 雲英が目を見開いた。


 「男が百人もいるの?!」



 伊念はクスッと笑った。


 「ただの見栄だと思う。その男たちはみんな、雑用をこなすただの魚の妖怪よ。都の皇宮にいる宮女みたいなものね。美姫の本当の腹心は、軍師をしている『円筒』っていう男よ。ほら、前に南海で会った、あの頭の大きなコクレンの妖怪」




 伊貴が小亀のほうに視線を向けた。


 「念ちゃんの話を聞いて、ちょっといい作戦を思いついたぞ。みんな、甲ちゃんに驕盧の姿に化けてもらって、美姫を騙しにいくっていうのはどうだ?」



最後までお読みいただきありがとうございます!


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