第39話 悪女の恋
屏風山の宮殿の最深部には、仮羅が少し前まで使っていた寝室がある。
手前に大殿があり、周囲をいくつかの小さな殿堂が取り囲んでいた。
中で唯一、「雲宝殿」だけが奇妙な場所だった。
外見は他の建物と何も変わらない。
しかし一歩中に入れば、名の通り、部屋の家具や調度品がすべて法術で作り出された真っ白な雲でできているのが分かる。
李御は今、純白で柔らかい長椅子に体を横たえていた。
傍らで甲斐甲斐しく世話を焼いているのは、慧と葉の二人だ。
祭天大典の日、李御は百官の目の前で李順天を殺し、幼い皇帝の心臓をえぐり取った。
その後、赤狐の正体を現して胡白と大立ち回りを演じたせいで、彼女を崇拝していた者たちは腰を抜かして逃げ惑い、魂を飛ばすほどの恐怖を味わうことになった。
かつての百官たちも、逃げられる者は逃げ、隠れられる者は隠れた。
都の住民の大半は胡白によって秀麗山へと救い出され、残った僅かな人々も家に引きこもって扉を閉ざしている。
今の都は街道にも朝廷にも、人影がほとんど見当たらなかった。
けれども幼い皇帝を殺してしまったものの、国を一日も放っておくわけにはいかない。
李御は仕方なく、先帝の親戚のひとりを無理やり捕まえてきて、新しい皇帝の座に据えた。
せっかくの大典が、どうしてこんな無惨な姿になってしまったのか。
一体誰のせいだというのだろう。
それに、あの凄まじい殺気を放つ驕盧のことだ。
胡白や仮羅は彼と死闘を繰り広げていたくせに、口では「大师兄」と呼んでいた。
それが本気なのか嘘なのか、李御には分からない。
ただ、都での戦いを見て、李御が彼にすっかり感服してしまったのは事実だった。
正直なところ、彼の顔立ちは仮羅や胡白ほど整ってはいない。
それでも、周囲をまるで見下すような冷徹な目元に、彼女は激しく心を揺さぶられた。
胡白に振られて以来、もう二度と男に心を動かすことなどないと思っていたのに、胸の奥にまた、甘酸っぱい恋のような感情が湧き上がってくるのを感じていた。
―――
彼女はバラのお茶を一口すすりながら、都の戦いで見た驕盧の冷ややかな横顔を、頭の中で何度も反芻していた。
傍らでは、慧と葉が世間話をしていた。
二人は最初、山主(仮羅)に李御が太后であると知られた時、顔を青くして震え上がった。
絶対に容赦のないお仕置きを受けると覚悟したのだ。まさか、主人と共にこうして無事に屏風山へ戻ってこられるとは思ってもみなかった。
そればかりか、驕盧は内殿以外のすべての場所の管理を李御に任せた。
二人も一足飛びに出世し、李御の腹心として、屏風山全体の小妖たちを取り仕切る大総管と二総管に収まっていた。
大総管になった慧は、内心の喜びを隠しきれない様子で葉に言った。
「葉ちゃん、都にいた頃は美味しいものを食べて良い着物を着て、贅沢三昧で楽しかったけれどさ。でも私たちは結局、妖じゃない? 人間どもに囲まれて暮らすのって、どこか息が詰まるのよね。そう思わない?」
葉は「うん」と頷き、言葉を続けた。
「お姉ちゃんはいいよね、ご主人の側にいるだけでそんなに疲れないでしょ。」
「私は小皇帝を、赤ん坊の頃から育ててきたんだよ。はぁ、十一年も一緒にいれば情が湧くってもの。ご主人があの子の心臓をえぐり取るのを見て、私は本当に胸が痛んだわ」
小葉の言葉が、李御の甘い妄想を現実に引き戻した。
彼女は、李順天が初めて言葉を覚えた時に「母后(お母様)」と呼んだことを思い出した。
歩けるようになってからは、短い足でおぼつかない足取りで、いつも自分の衣を掴もうと追いかけてきた。「母后、待って」と声を張り上げていたの姿。
思い至ると、流石の李御の胸にも、一抹の寂しさが通り過ぎていった。
それでも、彼女は冷酷に言い放った。
「仕方がないわ、順天の運が悪かったのよ。驕盧様があの子の心臓を薬の材料にするとおっしゃったのだから、私たちは従うしかなかった。それ以外の道なんてないわ」
慧が慰めるように言った。
「ご主人も葉ちゃんも、そんなに落ち込まないで。皇位につけてあげなかったら、あの子はただの人間のガキだったんだから。妖精が人間の心臓を喰らうなんて、元々珍しいことでもなんでもないわ」
「前の山主(仮羅)は、いつも山の下妖たちを縛り付けて、人間と仲良くしろとか、人間を傷つけるなとかうるさかったけれど。ご主人、これからどうなると思う?」
李御は少し沈黙してから答えた。
「驕盧という男が何を考えているのか、私にもまだ見抜けないの。」
「てっきり、仮羅と胡白を絶対に生かしてはおかないだろうと思っていたわ。なのに、屏風山に入った後、彼は私に『仮羅たちのところへ行って喧嘩を吹っかけるな』と命じたの。彼らは元々同じ師門なんだって言っていたけれど、本当かしらね?」
すると突然、彼女の疑問に答える声が響いた。
「本当のことさ。彼は俺たちの大师兄で、昔は師匠の乗り物だったんだ」
―――
胡白がそう言いながら、仮羅、于のデブの二人を伴って、堂々と部屋に入ってきた。
彼らが何食わぬ顔で戻ってくるとは夢にも思わず、李御は顔色を変えた。
慌てて懐に手を入れ、法宝を取り出そうとする。
慧と葉も、左右から彼女をかばうように前に立ちはだかった。
胡白は慌てる風もなく、三人にゆっくりと手を合わせて言った。
「姉さん、怯えないでくれ。俺たちは悪気があって来たんじゃない。さっき驕盧大师兄に会ってきたところさ。彼は師匠を救うために力を使い果たして、今は目を閉じて休んでいる。」
「……俺たちの師匠が生き返ったんだ。そんな大事件、知らないとは言わせないよ?」
李御は彼らの様子を見て、仕返しに来たわけではないと察し、武器を収めた。
二人の腹心に命じた。
「あんたたち、山主と私の弟にお茶を淹れてきなさい」
この雲宝殿は、李御が最も気に入っている場所だった。
普段は裏山の小さな洞窟でこもって修行しているか、ここで茶を飲みながら休んでいる。
彼女は警戒の目を向けながら言った。
「あんたたちの師匠なんて見ていないわ。驕盧様に屏風山を任されてから、暇な時はずっとこの部屋にいたの。彼にもしばらく会っていないけれど……なるほどね、そういうことだったわけ。道理でね」
三百年前に死んだ人間が生き返ったのだ。
普通の者なら腰を抜かすほど驚く話だろう。ましてや、義理の弟や、かつての婚約者の師匠なのだから。
だが、李御は違った。
彼女の頭の中は、一つのことで占められている。
自分の美貌が天下一であること、そして世の人間が自分を仰ぎ見、恋い慕うこと。
それだけだ。
ただ、今の彼女の心には、あの背が高く冷酷で妖艶な男の影が、静かに、けれど確実に小さな場所を占めていた。
「山主、驕盧様がいつお目覚めになるか知っている?」と彼女は尋ねた。
仮羅が鼻で笑って答えた。
「さあな。彼は昔、南海の底で千年も眠りこけていた男だぞ」
李御は心の中で、ひどく落胆した。
実を言えば、驕盧に対する好意が三分あるとすれば、恐怖の感情が七分を占めていた。
自分が彼に身勝手な片想いをしているだけで、あの殺気立った若い男は、自分のことなどただの便利な道具としか思っていない。
使い終われば、容赦なく放り出すつもりなのだということくらい、彼女にもよく分かっていた。
それでも、侵略的な強い目元や、くるくると変わる表情が、どうしてこれほど危険で、魅力的に映るのだろう。
自分は、こうもあっさりと彼にひざまずきたくなってしまうのか……。
李御は小さく生返事をしながら、胸の奥に広がる強い喪失感を、ただじっと噛み締めていた。
(彼は、まさかまた千年も眠り続けるつもりなの……)
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