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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第二章 雪嶺の逃避行

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第38話 光如意羅漢の復活


 内殿はしんと静まり返っており、假羅も人の気配をまったく察知できなかった。



 本当に誰もいないのか、あるいは驕盧が彼らと同じように、息を潜めて気配を消しているかのどちらかだ。


 自分の根城にいながら警戒し、他人の神識に探らせないようにするとは、実に抜け目のない男である。




 假羅は彼らを促し、足音を忍ばせて師匠の木彫り像の前へと歩み寄った。



 恭しく礼を捧げた後、彼は一歩前に出て細部を点検した。



 木像は一見すると無傷のようだった。



 しかし、持ち上げてみれば、中身が空っぽでひどく軽いことに気づく。


 中に納められていた光如意羅漢(こうにょいらかん)金身(こんしん)は、すでに何者かに持ち去られていた……




 裏切られた失望と激しい怒りが、假羅の胸に突き上げた。


 (やはり、俺たちの不吉な予感が当たってしまった!)


 師を欺き、祖を滅ぼす不届き者め! よくもこれほど大逆不道な真似をしてくれたな!




 胡白は師兄の顔が真っ白になるのを見て、木像が空っぽであることを察した。


 「奴がどこにいるか分からないかい?」



 「俺たちと同じように、気配を完全に断っている」



 「……師兄、僕にやらせて」


 白狐は獲物を追う名手であり、嗅覚は極めて鋭い。



 胡白は部屋の隅の壁に沿って、丹念に鼻を動かした。


 「匂いが残っているよ。でも、かなり薄い。ここを離れてから、それなりに時間が経っているはずだ」



 假羅はかすれた声で静かに呟いた。


 「……師匠の金身を奪って、一体何をするつもりなんだ?」



 胡白が吐き捨てるように言った。


 「何をするつもりだろうと関係ない。僕は今日、奴と刺し違えてでも金身を取り戻してみせる!」



 假羅は少し考え込んだ。


 「俺の寝室には『寒氷紅玉床かんぴょうこうぎょくしょう』という床がある。上で修行すれば功力が数倍に跳ね上がる。そこへ行ってみよう」




 二人は飛ぶような速さで、假羅の寝室の前へと駆けつけた。



 扉は固く閉ざされている。


 胡白が鼻をぴくつかせた。


 「奴は中にいる。どうする?」



 假羅は歯を食いしばった。


 「突入する。お前の言う通り、命がけで戦ってでも、師匠の金身を取り戻すぞ!」




 胡白が手を掲げて呪文を唱えると、意外なほどあっさりと扉が開いた。


 

 室内の光景を目にした瞬間、假羅の背筋に冷たいものが走った!



 なぜ驕盧の気配が外に漏れてこなかったのか、一瞬で理解できた。




 ――




 寝室全体に、強力な遮断の結界が張り巡らされていたのだ。



 まるで四角い透明な箱のように部屋を覆い、風一つ通さない。


 だから外にいる彼らは、中の気配を微塵も察知できなかったのだ。




 部屋の中央には、寒氷紅玉床が置かれていた。


 床の足元には、深い淵で眠りこけているかのように、四不像の驕盧がぐったりと横たわっている。


 


 床の上で結跏趺坐(けっかふざ)し、静かに息を吸い吐きしている人物がいた。



 目を凝らしてよく見ると――それは、三百年前にすでに世を去ったはずの、光如意羅漢だった。




 假羅と胡白は考えるよりも先に、場にばったりと膝をつき、頭を垂れて叫んだ。


 「師匠っ!」




 于の太っちょも、慌てて主人の後ろで平伏した。


 結界に遮られて外の物音が聞こえないのか、床の上の人物は目を閉じたまま、微動だにしない。




 假羅は激しく涙を流し、胡白の手を固く握りしめた。


 「師弟よ! まさか、もう一度師匠にお目にかかれる日が来るとは!」



 胡白も唇をガタガタと震わせながら言った。


 「師匠……すごく若く見える!」



 假羅が言った。

 

 「お前が入門した当時、師匠はすでに『天人五衰(てんにんごすい)』の時期を迎えておられたからな。いま目の前にいらっしゃるのは、まさに全盛期のお姿だ!」



 胡白は涙をこぼしながら尋ねた。


 「じゃあ、あの驕盧が師匠を生き返らせたの?」



 假羅は彼をなだめた。


 「まずは落ち着こう。師匠がお目覚めになったら、詳しくお話を伺えばいい」




 胡白の脳裏に、自分が門を叩いたばかりの頃の記憶がよみがえった。



 当時、彼はまだ「誰もが目を細めるほど」途方もなく愛くるしい、狐のちびっ子だった。



 あの頃の光如意は老いさらばれ、顔中が深い皺で覆われていた。歩く姿もたどたどしく、目の前にいるような力強さは微塵もなかった。



 入滅される日まで、毎朝、無理に身体を起こして経典を説いてくださった。


 師匠が暮らしていた解脱院(げだついん)で、彼と師兄、そして師姉の後霊と、四匹のちびっ子猿妖たちは、師匠が座る四角い青石の台座を囲み、仏法に耳を傾けていた。


 説法が終わると、師匠は奥の部屋に戻り、ずっと静かに身体を休めていたものだ。



 胡白は末の弟子で、四匹の子猿と大差ない年齢だった。


 彼らを気遣い、仏法の講義が終わった後、時折、分かりやすい小さなお伽話を聞かせてくれた。



 その師匠が帰ってきただけでなく、働き盛りの若さを取り戻している。


 ならば、幼い頃のように、また師匠にまとわりついてお話をおねだりできるのだろうか。




 ――




 假羅たちと于の太っちょは、寝室の扉の外で丸一日ほど待ち続けた。


 波有と小亀もまた、假羅の袖の中に丸一日押し込められたままだった。



 それほどの天変地異が起きたのだ。


 彼の頭からは、二人の存在など完全に消え去っていた。




 ようやく、床の上で瞑想していた人物が目を開けた。長衣の袖をひと振りすると、部屋を覆っていた結界の障壁が消滅した。



 假羅と胡白はにじり寄り、再び床に平伏した。


 二人の顔は涙でぐしょぐしょだった。


 波有も、袖口の隙間から床の上に座る人物の姿をはっきりと捉えた。




 伯父たちの師匠様は、ひどく恐ろしい風貌をしていた。


 風流で優雅な弟子たちとは、およそ似ても似つかない。



 髪のない頭に、顔中を覆うむさ苦しい巻き髭。


 大柄な体躯で、ぎょろりとした両眼は憤怒の金剛さながらに威圧感を放っている。


 太い眉毛はタワシのように荒々しく逆立っていた。



 上半身には黒ずんだ袈裟をまとっているものの、前胸をはだけており、そこもまた毛むくじゃらだった。



 

 「面を上げい」


 口を開けば、やはり地鳴りのような爆音だった。



 胡白が耐えかねたように尋ねた。

 

 「師匠、大師兄の驕盧があなた様を蘇らせたのですか?」



 光如意は重々しくうなずいた。


 「いかにも。驕盧は疲れ果てておる。しばらくは深い眠りにつくことになろう」



 假羅が涙を拭いながら言った。


 「あなた様がお戻りになられたと知れば、後霊師姉もさぞお喜びになるでしょう」



 光如意は低く鼻を鳴らした。


 「お前と李御の一件は、すでに聞き及んでおる。その婚礼が不服であるなら、破談にせよ。これ以上は咎めぬ」



 假羅は再び一礼した。



 「寛大なお計らい、感謝いたします。……しかし師匠、あの狐妖は罪なき人々を惨殺し、さらに驕盧大師兄と手を組んで都の民すべての命を奪おうとしておりました。そのことはご存じなのですか?」




 「驕盧には、ワシを蘇らせた功績がある。李御が童の心肝を求めたのも、元はと言えばワシを救う薬の引出物とするためだ。過ぎ去ったことを、これ以上口にするな」


 さらに言葉を続けた。


 「彼は当面、養生せねばならん。屏風山はしばらく李御に管理させる。ワシが戻った以上、都の民にこれ以上の手出しはさせぬ。お前たちも、逃げ出した民を呼び戻すがよい」




 假羅と胡白は顔を見合わせた。


 師匠が戻られたのは何よりの慶事であり、予想していた凄惨な殺し合いも回避された。



 ただ、幼い皇帝が十数年もの間、李御に弄ばれた挙げ句、無残に殺されたことを思うと、あまりにも不憫でならない。



 だが、師匠からは「二度と口にするな」と言い渡されたばかりだ。


 何より、目覚めたばかりの師匠には静養が必要だった。




 「お戻りになられて本当に嬉しいです!」


 胡白がここ数年の出来事をあれこれと話し始めようとした。


 假羅がすかさず目配せを送った。

 

 

 「師匠、お目覚めになったばかりですので、どうかお身体をお休めください。私たちはこれで失礼いたします」



 「うむ、下がるがよい。折を見て、お前たちの師姉も連れてまいれ。戻る前に、狐妖にも挨拶をしておくのだぞ」



 「御意、師匠」



 二人は于の太っちょを連れ、名残惜しそうに寝室を後にした。



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