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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第二章 雪嶺の逃避行

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第36話 竹林の告白


 秀麗山。


 ここは、かつて後一が語ってくれた通り、息を呑むほどに美しい場所だった。



 連なる山々に囲まれ、高くそびえる峰々は雲を突き抜け、流れる川は底まで透き通っている。極上の景観を誇る、大自然が隠した美しき秘境であった。



 しかし、教えてくれた、星のように輝く瞳を持つ少年は、もうここにはいない。




 母親の後霊は、タンスから後一が生前に気に入っていた衣服を数着取り出し、小さな形見を納めたお墓を作った。


 お墓は、激しい滝が流れ落ち、緑色の澄んだ美しい地へと続く小さな谷間にひっそりと建てられた。


 後霊は、後一がよく弟たちを連れて水辺で遊んでいたと愛おしそうに語ったが、今や彼らは陰と陽、生と死によって永遠に隔てられ、天と地に生き別れてしまったのだ。



 別れの時、後霊は三人の息子たちを率いて、天に向かって長く、哀切な雄叫びを上げた。


 声は誰もいない谷間に何度もこだまし、いつまでも消えることはなかった。


 高くそびえる滝は雷鳴のような轟音を響かせ、水面からは白い霧が天へと立ち上っている。




 波有はお墓の前で、長い間泣き続けた。


 他の者たちが一人、また一人と静かに立ち去っていく中、小亀だけがずっと彼女の傍らに寄り添っていた。



 「私、本当は昔、めったに泣かない子だったの。なのに、どうして最近は悲しいことばかり起きるの?こんなたくさんの涙が、一体どこから湧いて出てくるのか自分でも分からないわ」



 小亀は優しく慰めるように言った。


 「師姉、それが『大人になる』ということなんだよ」



 波有は頷いた。「そうね、私も本当にそう思うわ」




 ―――




 後一の死は、母親と三人の弟たちに計り知れない悲しみをもたらした。


 しかし、秀麗山に突如として大勢の人間族が押し寄せ、さらには多くの怪我人や病人がいたため、毎日に追われることになり、忙しさが彼らの悲しみを少しずつ和らげていった。




 そんなある日、于のデブが、数人のボロボロになった生き残りの小妖を連れて山へ登ってきた。



 「山主! 李御が光驕盧を伴って、俺たちの屏風山を占領しやがったんです! 山の小妖どもは、ほとんどが奴らに寝返っちまいました。」


 「俺たちは見逃されて山を下りてきたんですが、あの白髪の男(驕盧)が『都と屏風山はしばらくの間、俺が借りておく。山主にそう伝えておけ』って言いやがったんです!」




 驕盧といえば、息子である後一を死に追いやった張本人である。


 後霊はその名を聞いた瞬間、骨の髄まで怒りと悲しみが突き抜け、両の目を真っ赤に染めた。



 胡白は激怒して言い放った。


 「借りるだと? 最初から返す気などさらさらないくせに!」



 于のデブは声を落として呟いた。


 「山主、それと……風の噂で聞いたんですが、北海宮主がすでに南海を強引に回収したそうです。墨墨たちもどうしようもできず、いまは美姫の配下として甘んじるしかないようで……」


 彼はちらりと伊高屋に視線を向けた。


 「伊殿のお弟子である伊念という娘さんも、美姫に従って北海へ渡ったと聞きました」



 伊高屋は声を荒らげた。


 「なんということだ! ……はぁ、娘が大きくなると親の言うことは聞かんものだな。まあいい、それもあの子が自分の身を守るために選んだ道だ! 北海宮主とは、かつて我らとも良好に付き合っていたというのに、本当に人は分からんものだな!」

 

 于のデブは続けて言った。

 

「現在、世間では美姫のことを『百首宮主(ひゃくしゅきゅうしゅ)』と呼んでいるそうです。彼女の面首(男妾)の数が、十人からついに百人に増えたとか……」



 仮羅は、思わず「ぷっ」と吹き出した。


 「ふん、寿命が縮むのも恐れないとはな」



 胡白にいたっては、お腹を抱えて大笑いした。


 「ハハハ! 美食も結構だが、あまりに喰い散らかすのは身体に毒というものだ! 特に、年増の女にとってはな!」



 于は心配そうに尋ねた。


 「山主、私たちはこれからどうすれば? 屏風山はこのまま奪われっぱなしですか?」



 仮羅は静かに首を振った。


 「正面から力任せに戦うとなれば、驕盧は師匠の残した二つの強力な法宝を持っている。さらに李御と美姫もいる。こちらにも動ける者が三人いるとはいえ、驕盧一人に挑んだところで、おそらく勝ち目はないだろう」




 伊高屋は、戦力の中に自分が数えられていないことなど、これっぽっちも気にしていなかった。


 「戦いの役には、私は立てそうにありません。ですが、秀麗山にやってきた人間族の民たちのことは、どうか安心してください。私と弟子たちで、しっかりと面倒を見ますから」



 仮羅は安堵の表情を浮かべた。


 「いまは人手が何よりも足りない時だ。三弟がここにいてくれて、本当に助かったよ」




 ――




 そんな中、小亀はとても素晴らしい景色が広がる場所を発見した。


 彼が偶然小さな洞窟を通り抜けた先に見つけた、秘密の場所だった。




 小亀は波有をそこへ連れていき、小さな小川のほとりに立つと、顔を覗き込んで尋ねた。


 「どう? ここ、気に入った?」



 波有が周囲を見渡すと、山一面に青々と茂る美しい竹林が広がっていた。


 目の前には、両岸に咲く色とりどりの花や草に沿って、曲がりくねった小川が穏やかに流れている。川の水は底の底まで澄み切っており、水底には色鮮やかな美しい小石がキラキラと輝いていた。




 彼女は、隣に立つ小亀の顔をじっと見つめた。


 その顔立ちは白く美しい玉のようで、清秀な五官の中にはどこか端正な男らしさがあり、格好良さの中に隠しきれない優しさが滲み出ている。


 何より、彼が今日身にまとっている青い竹の刺繍が入った長衫が、美しい竹林の景色に調和していた。



 波有は嬉しそうに頷いた。


 「秀麗山はどこも景色が良いけれど、竹林がある場所はまだ見たことがなかったわ。この場所はとても神秘的で、心が洗われるように静か。本当に素晴らしいわね!」



 小亀は甲斐甲斐しく言った。


 「師姉、あっちまで手を引いてあげるよ」



 波有は小亀の姿をまじまじと観察して言った。


 「あなた、私よりずっと背が高いし、本当は私より年齢も上かもしれないのに、一日中『師姉』って呼ぶのね。なんだか面白いわ!」



 小亀は慌てて、期待を込めて尋ねた。


 「じゃあ……僕も他の師兄たちみたいに、君のことを『師妹』って呼んでもいい?」



 波有は即座に、真面目な顔をして返した。


 「それは絶対にだめ! 私は小さい頃から、ずっと誰かに『師姉』って呼ばれるのが夢だったのよ! これだけは、絶対に譲歩できないわ!」



 小亀はがっかりと肩を落とした。「そっか……。師姉が気に入っているなら、それでいいや」



 ふと、何かを思い出したように、小亀はうつむいて顔を真っ赤にした。



 「どうしたの?」と波有が覗き込む。



 小亀はもじもじしながら、思い切って尋ねた。

 

 「あのさ……もし後一師兄が生きていたら。もし、僕たちがあの恐ろしい事件に巻き込まれていなかったら、後一師兄は……君にプロポーズしていたと思う?」




 ――




 後一の名前が出た瞬間、波有の目から再び涙がこぼれ落ちた。


 声を詰まらせながら言った。

 

 「後一師兄は、私のことが好きだったみたい。」


 「もし彼が……生きていたら、私たちがもう少し大人になった頃、本当にプロポーズしてくれていたのかしら……」


 波有はそんな経験をしたことがなかったため、どこか実感が湧かない、茫然とした表情を浮かべた。



 小亀は緊張で声を震わせながら追及した。


 「……もしされたら、君は承諾したの? 好きでもない二人が一緒に暮らすのは、すごく苦しいことだって聞いたよ」



 波有はこれまで真剣に考えたこともなかった。


 「あなたの質問、ちょっと変よ? お互いに好きじゃないなら、どうして一緒にいる必要があるの?」



 「だから聞いてるんだよ、君は、後一師兄のことが好きだったの?」



 「……自分でも、よく分からないわ」


 

 「だからさ、もし後一師兄がプロポーズして、君自身も彼を好きかどうかも分からない状態だったら、そのプロポーズを受け入れたのかな?」




 波有は、小亀の繰り出す「師兄」「プロポーズ」「好き」という言葉の応酬に、すっかり頭が混乱してしまった。


 「ストップ! ストップ! ストップ!」


 彼女はあまりに執拗に問い詰められ、恥ずかしさと怒りが混ざったような顔になり、声を上げた。



 「師弟! なんでそんな複雑なことばかり考えるのよ!」


 彼女は不満げに口を尖らせた。「それに、後一師兄はもういないのよ。今そんな質問をして、一体何の意味があるの?」




 小亀はおずおずと、消え入りそうな声で尋ねた。


 「……もし、後一師兄と同じように、君を想っている『別の人』がいたらどうする?」



 波有は目を丸くした。「えっ、誰のこと?」



 小亀は答えず、はぐらかすように言った。


 「師姉は最近、周りの噂話を耳にしていないの?」



 「噂話? 何の噂よ」



 「今、秀麗山にいる人間族の民だけでなく、外へ情報を探りに行っている小妖たちの間でも、ある話でもちきりなんだ。昔から噂されていた『天下一の美女』の称号が、別の誰かに変わったってね。師姉、それが誰か当ててみてよ」



 波有はふんと鼻を鳴らした。


 「男じゃないんだから、そんな面食いみたいなこと興味ないわ! 誰が一番の美人でも、私には関係ないもの!」

 


 小亀は口元をすぼめてにやりと笑った。「そっか! 師姉が興味ないなら、それでいいや」




 ―――




 二人は今、竹林と小川の間に広がる、目の覚めるような美しい緑の草むらに腰を下ろしていた。



 青い空、青い草、悠々と流れる白い雲。


 竹林の向こうには、澄んだ翠緑の山並みがどこまでも連なっている。目の前の景色は、あまりにもロマンチックで、心を揺さぶるものだった。



 小亀は盗み見るように波有の横顔を見つめ、ずっと心の中に準備していた言葉を、壊れ物を扱うように慎重に切り出した。



 「実はね、僕……師姉にどうしても伝えたい『秘密』があるんだ。でも、この秘密は、絶対に他の人には言っちゃいけないものなんだよ」



 彼は慌てて付け加えた。


 「もちろん! これは僕だけの秘密だから、師姉には何の影響もないよ!」




 波有は一気に身を乗り出した。


 「なになに、聞かせて! 私、秘密の話って大好きなの。昔ね、雲英姉さんがいつも、大师兄との間の秘密を教えてくれたのよ。私の口はとっても堅いんだから! 二人の秘密は、今まで誰にも話したことがないわ」



 小亀は顔を真っ赤にした。「秘密だからこそ、言っちゃいけないんだ……。でも、心の中に閉じ込めておくのは、すごく苦しくて」



 波有は小亀の顔にぐっと顔を近づけてからかった。


 「ほら、見てごらんなさい! 顔が真っ赤に熟しちゃってるじゃない! 本当に口に出して言えないことなの?」



 彼女はくりくりと目を輝かせ、名案を思いついた。


 「言葉で言えないなら、文字で書けばいいじゃない!」



 小亀は少し考え、深く頷いた。


 「……うん、それならいいかも。じゃあ、竹の幹に刻んでくるよ」




 そう言うと、小亀は一人でコソコソと竹林の奥へと走っていき、波有に見えないよう、どこかの竹の幹に何かを必死に刻み込んだ。


 彼は自分の不器用な恋心を、このような独特な方法で告白し終えると、再び息を切らせて走って戻ってきた。



 「師姉、できたよ! 僕の秘密が知りたければ、中に入って見てきて」


 小亀は勇気を振り絞り、顔を真っ赤にしながら、ようやく言葉を絞り出した。




 波有は嬉しそうに、弾むような足取りで竹林の中へと入っていった。


 しかし、いくら待っても、彼女は一向に外へ出てこない。


 小亀は少し心配になりながらも、それ以上に恥ずかしさが勝り、ただ場に座って、そわそわしながら彼女を待ち続けた。



 さらに長い時間が経った頃、頭を何周もさせて目を回し、目の前に星をちかちかさせた波有が、ようやく竹林からふらふらと足をもつれさせて出てきた。



 小亀の姿を見るやいなや、波有は怒りを爆発させた!


 「ちょっと! あなた、私をいじめて楽しんでるでしょう!」


 彼女はツカツカと近寄るなり、小亀の胸をポカッと殴った。小亀は何が起きたのか分からず、ただ呆然とするばかり。



 波有は怒ったように竹林を指さした。


 「あんた、今すぐ秘密を書いた竹を切り倒して、私の前に持ってきなさいよ! 何が書いてあるのか見せて!」




 小亀は慌てて、何が起きたのか確かめるべく竹林へと駆け込んだ。



 しかし、彼の目に飛び込んできたのは――


 青々と生い茂り、瑞々しく真っ直ぐに伸びた、見渡す限りの千千万万の竹。


 そよ風に吹かれてサラサラと一斉に揺れ動いている光景だった。



 木漏れ日の柔らかな光が、竹の葉や枝の隙間から無数の金の糸のように降り注ぎ、彼の目を眩ませる。その美しさが、少年の熱く燃え上がっていた恋心に、冷たい氷水を容赦なくぶっかけた。



 すべての竹の幹は、どれもこれも瓜二つで、全く同じ形をしていた。


 見渡す限り、何万本もの竹が揺れるばかり……


 小亀がさきほど、自分の熱い想いを刻み込んだ「たった一本の竹」を、広大な竹林の中から探し出すことは、もはや永遠に不可能だった。



<あと書き>

今回は5000字超えと、少し長くなってしまいました。

ちょっとだけ反省……。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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