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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第一章 邂逅

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第25話 海音鈴(かいおんれい)



 

 光驕盧の目を覚まさせたのは、間違いなく波有の歌声だった。


 そして、目を覚ました以上、あの巨石と鉄鎖の呪縛から自力で解き放たれたのも当然の行きがかりだった。




 光仮羅たちの心には、一抹の寂しさと、それ以上の喜びが交錯していた。


 恩師の乗騎であり、自分たちの「大師兄」でもある名高き神獣に、一目会うことも叶わず去られてしまったのは、いかにも名残惜しい。



 だが、彼らはいくら法力に優れた大妖とはいえ、鉄鎖に施された禁呪の凄まじさを前にして、自分たちの力で無事に救い出せるか確信が持てずにいたのだ。


 それがこうして、大師兄が自らの力で自由を得たのだから、結果としては何よりだった。




 一方、波有がどうやって光驕盧を目覚めさせたのかという点について、彼女は「人魚涙のブレスレット」のことは口にしなかった。


 まだそれを明かす時ではない、と感じていたのだ。



 頭では「隠し通せることではないし、いつかは師父や伯父様たちにすべてを打ち明けなければならない」と分かってはいる。


 だが、今の彼女はすっかり混乱してしまっていた。


 そんな時、彼女の口からはいつも、決まったセリフが飛び出す。


 「ちょっとよく考えなきゃ……」



 実のところ、自分が臆病で意気地なしだと自覚していた。

 

 何かが起きると、いつも言い訳を探しては、向き合うのを先延ばしにしてしまうのだ。


 (でも、これが私の生まれつきの性格だし、変えようがないわよね……。そうよ、『江山(こうざん)移り易く本性(ほんしょう)移り難し』って言うじゃない?)


 

 彼女はそうやって自分を納得させていた。




 ―――




 美姫が名残惜しそうにぐずぐずと引き延ばしていた時間も終わり、ついに別れの時がやってきた。



 仮羅は、南海宮殿にある宝物が北海の三分の一にも満たないこと、そして元々は美姫の所有物だったのだから、彼女の眼に留まるようなものなどないことを知っていた。


 彼は胡白を諭し、人魚たちから贈られた貴重な「鮫紗」を美姫に譲らせることにした。


 彼女は渋々ながらも贈り物を受け取り、軍師の円筒と共に北海へと帰っていった。



 

 仮羅の師姉である光後霊も、一件がひとまず円満に解決したため、息子たちを連れて秀麗山へ帰ることにした。


 ところが、小猿妖の長男・後一が、波有と離れたがって駄々をこねる。


 後霊は長男をとりわけ目に入れても痛くないほど可愛がっていたため、寂しがる姿を見るに忍びなく、仮羅を通じて「後一を伊高屋の弟子たちに同行させられないか」と打診した。


 仮羅はこの機会を捉え、自分が伊高屋と義兄弟の契りを結んだことを師姉に説明した。


 後霊は愛息のためもあり、また師弟が見込んだ男なら間違いなかろうと、伊高屋を自分の義弟としても認めることにした。



 天下にその名を轟かせる三人もの大物が義兄姉になったのだ。


 伊高屋は、自分が前世でよほど莫大な徳を積んだに違いないと、降って湧いたような度重なる果報に有頂天になった。



 こうして、彼は光仮羅たちの輪に加わり、互いに姉弟・兄弟と呼び合うことになって、実になごやかな空気に包まれた。


 若い世代の間では、四匹のやんちゃな小猿妖たちが加わったことで、宮殿の中をドタバタと駆け回り、てんやわんやの大騒ぎを引き起こしていた。


 光後霊は、新しくできた義弟のために南海にもう一日だけ逗留し、翌朝、三匹の小猿たちを連れて一同に別れを告げ、秀麗山へと飛び立っていった。




 仮羅は伊高屋に向かって言った。


 「三弟は元々都へ急ぐ旅の途中だったというのに、我が方の事情で道中を遅らせてしまった。少しでも旅の疲れを和らげるため、俺が途中まで送らせてくれぬか?」



 伊高屋は恭しく答えた。

 

 「以前、光の大兄上が私に屏風山の管理を任せ、光如意羅漢様への拝謁を仰せつけてくださったこと、この伊高屋、片時も忘れてはおりません。」


 「ただ、どうかお許しいただけるなら、まずは故郷の道観へ戻って我が師に無事の挨拶を済ませ、その足ですぐに屏風山へ向かいたく存じます」



 胡白が口を挟んだ。

 

 「それがいい! 俺も一緒に行こう。人が多い方が賑やかで楽しいからな!」



 波有はここ数日のやり取りを通じて、実は胡の伯父様が一番付き合いやすい人なのだと気づき始めていた。


 一見すると浮世離れした気儘な風来坊に見えるが、その実、性格は誰よりも純粋で単純、時には子供のような一面を見せる。


 ただひたすらに、仮羅が言うことには何でも従うのだ。



 後霊大伯母の話では、胡白は亡き師匠の晩年の、最後の弟子なのだという。


 当時、光如意羅漢はすでに天人五衰(てんにんごすい)の兆れに瀕しており、幼い弟子の面倒を四六時中見ることは叶わなかった。


 そのため、胡白はほとんど仮羅が手取り足取りして育て上げたようなものであり、物心ついた時からずっと、何事においても師兄分の言いなりだったのだ。




 ―――




 出発を前に、仮羅は一同に、それぞれ拳ほどもある立派な夜明珠を一つずつ贈った。



 伊高屋は躍り上がって喜んだ。


 「これがあれば、夜道でも旅を続けられますな!」



 二弟子の伊貴は天を仰いで深いため息をついた。


 我が師の筋金入りのケチさ加減には、心底から恐れ入るばかりだった。

 

 (夜道を歩けば、宿代の数文を浮かせられると、まだそんなことを考えているのか……)



 今の師父は、これほど凄まじい大妖たちを義兄弟に持ち、身分は以前とは比べものにならないほど高くなったというのに、しみったれの性根だけは、どうやら一生直りそうにない。



 仮羅は伊高屋のあからさまな喜びようを見て、吹き出しそうになるのを必死でこらえた。


 この義弟は、実に愛すべき田舎者だった。




 「三弟、まだお前に渡したいものがある。皆、こちらへ着いてきなさい」


 まだ良いものをくれるというのか。伊高屋は相好を崩した。



 仮羅の後について内殿の奥深くにある、厳重に閉ざされた小部屋へと入っていく。


 そこは黄金の輝きに満ちており、数々の宝飾品や法器がうずたかく、心なしか乱雑に置かれていた。



 「三弟、ここは宝物庫だ。すべて以前に美姫が残していったものだから、どれでも好きなものをいくつか持っていくといい」




 伊高屋と弟子たちは色めき立ち、あまりの眩しさに両目が足りないほどだった。


 弟子たちは欲しくてたまらなかったが、勝手に手をつける勇気はなく、一斉に師父の顔を窺った。



 伊高屋は少し考え、言った。


「大伯上がせっかく善意で宝物をくださるのだ、そのお志を無にすることもあるまい。さあ、一人一つずつ、好きなものを選びなさい」



 師父のお許しが出たとなれば、一刻も早くお宝を選ばねばならない。


 誰もが一品一品、食い入るように吟味し始めた。



 それもそのはず、彼らのような普通の人間は、一生かかってもこれほど精巧で美しい宝飾品や法器にお目にかかることなどないのだから。




 猿妖の後一は、彼らと一緒に宝物を選ぶことはせず、案内役気取りで波有の後ろをぴったりとついて回っていた。


 「小師妹、見てごらん。この髪帯(はちまき)は人魚が織り上げた鮫紗でできているんだ、もの凄く貴重なんだぜ!」

 

 「 それからこの耳飾り、見てよ、普通の夜明珠よりもずっと高価な黒蚌珍珠だ。師妹は肌が雪みたいに白いから、これを着けたら絶対にその美しさが引き立つよ」



 波有は左手で髪帯を受け取り、右手で耳飾りを受け取った。


 どちらもため息が出るほど綺麗だった。




 そこへ、小亀が後ろからひょっこりと顔を出した。


 「師姉、ちょっとこっちに来て。耳打ちしたいことがあるんだ」



 波有が歩み寄ると、小亀は後一の突き刺さるような殺気を含んだ視線をものともせず、彼女の耳元で小さく囁いた。


 「師姉、この鈴を選ぶんだ。『海音鈴(かいおんれい)』といって、海鳴りや波濤の音を響かせることができる。それに、きっと師姉の歌声とも響き合って、敵に出くわした時には凄まじい威力を発揮するはずだよ」



 さらに声を潜めた。


 「僕さっき見たんだ。師姉が鈴のそばを通り過ぎた時、かすかに光を放ったんだよ!」



 小亀は彼女の耳にぴったりと唇を寄せ、微小な、しかし断固とした声で付け加えた。


 「本当だよ、嘘じゃない。……もしかしたらこの鈴も、あの『人魚涙の手環』と同じように、元々は君の持ち物で、師姉を呼んでいたんじゃないのかな」



 波有は小亀の手にある、海キツネ(海螺)の殻で編まれた一連の鈴を見つめ、それを手にとった。


 (そうなの? 師弟は私を呼んでいるって言うけれど、私には何も聞こえないわ。……でも、この鈴、本当に綺麗! これにするわ!『海音鈴』、名前の響きも素敵じゃない!)



 後一は二人が何やらヒソヒソと睦み合っているのを苦々しい顔で見ていたが、いざ波有の手首に収まった小さな鈴を目にすると、一連の鈴こそが彼女に何よりも似合っているような気がして、それ以上口を挟めなくなってしまった。



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