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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第一章 邂逅

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第20話 無鉄砲な少女

 


 師父をよってたかって寝かしつけると、大広間に戻り、先ほどの騒動についてあれこれと話し合った。


 墨墨は、目覚めた妖獣が襲ってこぬよう、タツノオトシゴの兵を率いて宮殿を厳重に包囲させていた。


 円筒は主のことが心配でたまらないらしく、広間を行ったり来たりしている。その姿は、名前に違わず、まるで転がる泥団子のようだった。




 波有たちが固唾をのんで待っていると、光仮羅たちが戻ってきた。


 「もう大丈夫だ。見てきたが、淵の底の妖獣はまだ眠っている。大きな危険はなさそうだから、皆も心配するな」


 彼は一同を見渡して微笑んだ。



 伊蘭が我慢できずに尋ねる。


 「光の伯父様、いったいどんな妖獣だったのですか?」



 「姿を見る限り、鹿の妖のようだな。どうしても凶悪な妖獣には見えなかった」



 胡白も笑って付け足した。


 「獰猛どころか、むしろ可愛らしいくらいだったよ」




 美姫だけは不機嫌極まりなかった。


 先ほどの出来事が、もくろみ通りに運ばなかったからだ。


 妖獣の目覚めをきっかけに仮羅たちを協力させ、三人で手を携えて再び巨石の下に封印する――それが彼女の算段だった。


 計画が狂って妖獣は眠ったままだが、手ぶらで北海へ帰るわけにはいかない。


 どうにかして、この美男子二人と少しでも長く一緒に過ごす方法はないものか。



 主の心を誰よりも察する円筒が近づき、耳元でそっと囁いた。


 美姫はにやりと頷くと、ゆっくりと仮羅に歩み寄り、しなだれかかるように声をかけた。


 「光山主、あの妖獣の素性をご存知かしら?」




 (初めて見たのに、知るわけがなかろう)


 仮羅は内心の不快感を押し殺し、礼儀正しく一礼した。


 「美姫宮主、ご教示願いたい」



 美姫は白粉をこねた餅のような顔を引き締め、わざとらしくため息をついた。


 「遥か昔にあれを見つけて以来、内殿の蔵書院で調べ尽くし、記録を見つけたのです。ただ、あまりに昔のことでよく覚えていなくて。山主様は書院で書をご覧になったことは?」




 南海の主となってからも、仮羅がこの宮殿に留まることは稀で、大半は屏風山で修行していた。胡白を誘って人魚島へ行く帰りに立ち寄る程度で、蔵書院など入ったこともない。



 きまり悪そうに頭をかいた。


 「そのような場所があったとは。不調法ながら存じ上げなんだ」




 主のために知恵を絞る円筒は、心の中で快哉を叫んだ。

 

 (そうだ、光山主! うちの宮主はその言葉を待っていたんだ!)



 案の定、美姫は怒ったふりをして、勢いよく立ち上がった。


 「この宮殿を大事にせず、南海の覇者たる気概もないというの? ならばなぜ、あのとき私のような、か弱いおなごに酷い真似をしたのです!」



 円筒もこれ幸いと調子を合わせる。


 「宮主が北海へ戻られてから、どれほど傷つかれていたか、山主様はご存知ないのです」




 胡白は傍らで呆れ返っていた。


 (あの時、手加減などできるわけがないだろう。負けていたら、今頃二人とも愛人にされていたのだから。本当によく言うものだ)



 だが、昔の恨み言を並べる場でもない。


 胡白は愛想笑いを浮かべてお調子者を装った。


 「僕も南海の蔵書院には行ったことがありません。宮主、ぜひ案内して、我らの見聞を広めてくれませんか」



 美姫の目がらんらんと輝き出した。


 蔵書院へ行けば、二人とたっぷり時間を過ごせる。


 これぞ妙案だ。


 想像するだけで笑みがこぼれる彼女に、円筒がすぐさま応じた。


 太く短い手のひらを差し出し、案内を請う。



 こうして、三人は一陣の風のように戻ってきたかと思えば、円筒を連れて再び一陣の風のように去っていった。




 ―――




 波有は、胡白が「可愛い鹿の妖で、ぐっすり眠っている」と言っていたのを聞き、無性に見に行きたくなった。



 思い立ったらすぐ行動するのが彼女だ。


 さっそく皆に意見を伝えた。


 伊念を除き、誰もが賛成して手を挙げた。




 伊念は末師妹の言うことには興味がなかった。


 それどころか、鼻で笑ってさえいる。


 (醜いやつほどよく騒ぐ。本当に無鉄砲な娘だこと)



 心の中で毒づきながら、まぶたを伏せた。


 「みんなで行ってくれば。誰かが残って師父の面倒を見なきゃいけないでしょ?」



 もっともらしい言い訳だが、残る理由は他にあった。



 無類の書物好きである彼女は、美姫の口から「蔵書院」の名を聞き、羨ましくて仕方がなかったのだ。


 (ここに残って、伯父様たちが出てきたら、何とか頼み込んで中に入れてもらおう)




 こうして、師父が酒に潰れ、伯父様たちが書物を漁っている隙に、少年少女たちは宮殿を抜け出した。



 幸い、妖獣が眠っていると知って警戒を解いた墨墨たちは、周囲を見張っていなかった。


 光仮羅の分身である小亀は、主の記憶を完全にたどることができた。


 案内のおかげで、遮るものもなく、一行はあっさりと深淵の絶壁へと行き着いた。





 「甲ちゃん、本当にここから飛び降りるの?」


 雲英が底知れぬ暗闇を見つめ、唾を飲み込んだ。


 

 伊蘭が歩み寄り、手を優しく握る。


 「怖いなら、上で一緒に待っていようか」



 波有も少し怖かったが、好奇心が勝っていた。それに、下には危ないものは何もないと小亀が言っている。


 「大師兄と雲英姉さんは、ここで待っていて。戻ったら下の様子を教えてあげるから!」


 「気をつけてね、ゆっくり降りるのよ」と雲英は見送った。




 ―――




 小亀の記憶では、光仮羅たちはふわり、ふわりと、実に優雅に降りていったはずだった。だが、自分たちの時はどうしてこうも違うのだろう。



 三人はまるで古井戸に落ちた小石のように、暗闇の中をひたすら真っ逆さまに落ちていった。




 ドスン、ドスンと鈍い音が響き、そのあと静寂が訪れた。




 長い沈黙のあと、か細い声が響く。


 「みんな、生きてる? 二師兄、師弟?」



 伊貴は朦朧としながら呼ばれる声を聞いた。身を起こして、今の衝撃を思い出す。


 幸い、床には厚い海藻が敷き詰められており、全身の痛みを除けば怪我はなかった。


 明かりを灯そうと「風火術(ふうかじゅつ)」を使おうとしたが、海中では火が点かないことにすぐ気づく。



 あたりは一寸先も見えない闇だ。


 師妹の声はすぐ近くから聞こえるが、姿は全く見えない。



 「波有、ここにいるぞ。怪我はないか? 甲ちゃんは?」


 伊貴は少し後悔した。飛び降りる前にもう少し計画を立てるべきだったと。


 波有が勢いよく飛び降りるものだから、後に続く者も石を鍋に放り込むように、釣られて飛び降りるしかなかったのだ。


 

 「二師兄、僕は大丈夫だよ」と背後から小亀の声がした。



 ひとまず全員の無事が確認できたものの、何も見えないのは困りものだ。


 「誰か明かりになるものを持っていないか?」



 尋ねても、二人からは返事がない。


 人魚島にあったような夜明珠があれば海中でも照らせただろうが、あのような高価な品が、貧しい伊高屋一家にあるはずもなかった。




 途方に暮れていたその時、周囲がじわじわと明るくなり始めた。


 足元の海藻が、淡い青色の光を放ち始めたのだ。


 だが、顔を照らす様子は、なんとも不気味だった。



 「師弟、ものすごい顔になってるよ、あははは!」


 「師姉こそ、ははは!」


 二人は先ほど無様に落ちてきたことなど、すっかり忘れて笑い合っている。



 伊貴は無事な様子を見て胸をなでおろした。


 ここには年長者としての重い責任がある。


 特に伊甲師弟を怪我でもさせたら、師父にどんなお仕置きを受けるか分かったものではない。




 波有と小亀がまだふざけ合っていると、伊貴の驚愕した声が響いた。


 「見ろ! 鹿妖があそこにいるぞ!」




 光仮羅たちが見た光景が、三人の目の前にも現れた。


 途方もなく巨大な岩、尖った先端が、小鹿の体に刃のように突き刺さっている。




 女子の心は脆いものだ。


 これほど愛らしい小鹿が、山のような巨石の下で不憫に耐えている姿を見て、波有は居ても立ってもいられなくなった。


 目を固く閉じ、大石の下に横たわる姿に駆け寄ると、その角に触れて呟いた。


 「見て、なんて可哀想なの……」




 伊貴が色をなして叫んだ。


 「 いけない、手を離せ!」


 小亀も心臓が跳ね上がった。


 (鹿の妖獣さん、お願いだから絶対に起きないで!)




 小亀の祈りが適当すぎたのか、それとも彼女の愛撫が優しすぎたのか。


 ――パチリ、と。


 鹿妖が目を開けた。



 波有は、澄み切った透明な大きな瞳と、真っ正面から視線を交わした。


 あまりの突然のことに、状況が飲み込めないまま、至近距離で口をついて出た。


 「……起きたの?」


<あと書き>


最後までよんでいただきありがとうございます。


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