第2話 温泉街
新キャラが登場します!
張くん:温泉街で、小さな店を切り盛りする店主。
于オーナー:丸々とした体格にふさわしい、大店舗を構えるやり手。
波有たちが温泉街に足を踏み入れたのは、ちょうど夕日が沈み、通りの両側に明かりが灯る頃だった。
温泉の湯気が立ち込める中、足元には整然と並んだ石畳の道がぼんやりと浮かび上がっている。
灯り始めた街灯が、この場所にどこか艶めいた雰囲気を添えていた。
「お客さん! 何名様だい? この街でうちのような店は他にないよ! 食事代込み、温泉もタダ、宿泊代だけでお一人五十文だ!」 痩せっぽちで背の高い男が、愛想よく出迎えてきた。
伊高屋は背筋に冷たいものを感じ、一歩後ずさりして伊念を掴んだ。
「念ちゃん、どうだ?」
伊念はその男をじろりと一瞥すると、伊貴の耳元で小さく囁いた。
「二師兄、大丈夫。問題ないわ」 それから師父に向かって頷いてみせた。
「よし! 店主、数えてくれ。三百文だ。全部で六人、今夜一晩だけ頼む」
伊貴が言い終え、荷物から三十枚の銅銭を取り出して支払おうとした時、霧の中から別の店の男がぬうっと現れた。
丸々と太った短足の男で、鼻の下には細長い髭が二本生えている。
男の後ろには、これまた瓜二つの小太りな少年が二人ついていた。
「お客さん、ちょっといいかな! お見受けしたところ、この街は初めてでしょう。ここの温泉はね、美容にいいだけじゃない。体質を改善し、滞った血の巡りを良くして毒を出す特効があるんだ。常連さんは一ヶ月は泊まるし、短くても十日は滞在する。たった一日とは、実にもったいない」
痩せっぽちの店員が困ったように言った。 「于旦那、このお客さんたちとはもう話がついているんです……」
商売慣れした于旦那は「笑顔の者に拳は振るわれぬ」という理屈をよく知っていた。
丸顔に満面の笑みを浮かべ、もはや目がどこにあるのかも分からない。
「張くん、そう焦るな。私は新しく来たお客さんに、この温泉街の良さを紹介しているだけだよ。おや! お客さん、一日中歩いてお疲れでしょう。早く店に入って温泉に浸かり、ゆっくり休みなさい。張くんの店は少し狭いが、清潔で居心地はいいですよ」
伊高屋は、これ以上あのデブの話を聞いて、弟子たちが「一ヶ月泊まりたい」などと言い出し財布を狙われるのを恐れた。
男が次の言葉を発する前に、慌てて痩せっぽちの男の腕を引き、急かした。
「店主! 早く案内してくれ!」
―――
こぢんまりとした店だった。
中は清潔だが他の客の姿はなく、ひっそりとしている。
店員兼店主の張は、彼らを一番大きなテーブルへと促した。
伊高屋は、食事が無料だという先ほどの言葉をはっきりと覚えていた。
「おい、店員! 『食事込み』というのはどういうことだ? どんな料理が出るんだ?」
張はまず一行に一礼した。
「うちは小さな店ですから、先ほどの于旦那の店のようにはいきませんが、評判はいいんですよ。なんと言っても『良心的』なのが売りですから!」
そう言って身を翻すと、しばらくして厨房からいくつかの大きな鉢と、熱い茶が入った大きな急須を運んできた。
中身を見て、一同の目が点になった。
粥、饅頭、花巻、そして大根の漬物。
他の者はともかく、普段から食べ物の好き嫌いが激しい波有は、肉っ気のまったくない献立を見て不満げに呟いた。 「……これが『良心的』な商売?」
張は愛想笑いを浮かべながら言った。
「贅沢な肉料理をご所望なら、大きな料理屋へ行かなきゃいけませんが、うちはお腹いっぱい食べられますよ。足りなければもっとお持ちします」
その傍らで、伊高屋の目が吊り上がった。
伊貴は師父が怒鳴り散らす前に、慌てて波有の頭を撫でた。 「いい子だ、小師妹。明日の朝、街に出たら二師兄が飴を買ってやるからな」
街に入る前、弟子たちが結託して自分を嵌めたことが、まだ師父の腹に据えかねていたのだろう。
伊高屋は気炎を吐くように小弟子を叱りつけた。
「貴様らが甘やかすからこうなるのだ! タダで食わせてもらっておいて、まだ文句があるか! ほら、食べないならあっちの席へ行っていろ。人の食事の邪魔をするな!」
波有はそれ以上口を利けず、心の中で「けっ!」と毒づいた。
見たところ美味しくもなさそうだし、食べなくて結構、お腹もそれほど空いていない。
山にいた時、あちこちで見つけた野桜桃を歩きながら腹一杯食べていたのだ。
―――
波有は師父に隣のテーブルへと追いやられ、目を白黒させた。
彼女を除いて、一日中歩き通した一行は空腹の極みだったようで、茶を啜りながら黙々と食事にかじりついている。
おや? 最初から接客しているのはあの痩せっぽちの張だけで、店の主人の姿も見えなければ、他の奉公人もいない。
波有は不思議に思った。
せめて奥に料理人くらいはいるはずだ。
でなければ、この饅頭や花巻はどこから湧いてくるのか。 まさか、ここは追い剥ぎの店じゃあるまいな?
師父はいつも、彼女のことを「不細工な奴ほど余計な騒ぎを起こす、ブスの脳みそは腐っている」などと、ろくでもないことばかり妄想すると馬鹿にするが……。
鉢の中の饅頭が底をつきかけると、張が言った。
「饅頭のお代わりをお持ちしましょうか?」
伊高屋は口をパンパンに膨らませ、もごもごと答えた。
「張くんと言ったか! 花巻と饅頭をもう一鉢ずつ頼む!」
「へい! 少々お待ちを!」 張は威勢よく応じ、奥の部屋へと消えた。
波有は横目で様子を伺った。
ちょうど皆が食事に没頭していて誰も自分に気づいていないのを確かめると、音もなく張の後をつけて厨房へ忍び込んだ。
―――
そこは広々として清潔な厨房だった。
壁際には大きな竈がいくつも並んでいる。
張は竈の蒸籠から花巻と饅頭を取り出すと、急いで食堂へと戻っていった。
波有はいまや「幻影術」の使い手であり、普通の人には彼女の姿を捉えることはできない。
入り口の角に置かれた半人ほどの高さの水瓶に術で張り付き、彼女は張の動きを観察した。
幼い頃から食いしん坊だった彼女は、鼻も人一倍利く。
師父からは「犬の鼻」だとよく嘲笑されていた。
実はここに入った瞬間から、芳しい焼き鳥の匂いを嗅ぎつけていたのだ。
張がいなくなるのを待ち、一番奥の竈へ駆け寄って蓋を取ると、そこには黄金色に輝く二羽の焼き鳥が温められていた。
彼女は歓声を上げた。
今すぐモモ肉をもぎ取って食らいつきたい衝動に駆られたが、食堂で粥と饅頭を啜っている師父や師兄たちの顔が浮かんだ。
「みんなと一緒に食べなきゃ……。ああ、私ってどうしてこうも情に厚いのかしら!」 独り言を言いながら、彼女は厨房を物色し、焼き鳥を包むための油紙を探し始めた。
ふと、彼女は動きを止め、自分の額を叩いた。
いけない! 私は盗み食いに来たんじゃないわ!
波有は唾を飲み込み、師父が普段言っていることを思い出した。
彼女は師父が仰々しく首を振る仕草を真似て呟いた。
「『欲』の字の上には刃がある。自分の物でないものに、決して貪欲になってはならん!」
焼き鳥は魅力的だが、これは他の客の料理かもしれない。それに勝手に持ち去れば店にバレて、師父や師兄たちに迷惑がかかる。
「ダメよ、取っちゃダメ。匂いだけで我慢しなさい!」 自分に言い聞かせるものの、目は黄金色の輝きに釘付けで、鼻は香ばしい匂いでいっぱいだ。何より、彼女の大好物は焼き鳥なのだ。
波有は苦悶の表情を浮かべた。
その時、どこからか笑い声が聞こえた。
「ぷっ!」
「誰!?」 彼女は振り返ったが、誰もいない。
自分の空耳だろうか。
法術を修めた彼女の霊識は常人を凌駕している。誰かが近づけば、部屋に入る前に察知できるはずだった。
波有は焼き鳥への未練を断ち切り、辺りを見回したが、そこはどこにでもある平凡な店の厨房に過ぎなかった。
妙なものは何一つ見当たらず、結局、無駄足だったと感じながらその場を後にした。
GWのお過ごしはいかがでしょうか~自分は衣替えと庭の草取りで奮闘ナウ……




