第1話 この一家(伊氏大家族)
ほぼ毎日更新していきますので、お気軽にフォローいただけると嬉しいです^^
【波有一家(門下生仲間)のご紹介】
◇師父:伊高屋、 中年男性、卑屈で薄汚い風体をしており、度を越した「超」がつくほどの守銭奴。
◇一番弟子:伊蘭、 少年、体格は大きく逞しいが、どこかお人好しで少し抜けたところがある。
◇二番弟子:伊貴 、少年、抜け目がなく有能。この一家の事実上のリーダーであり、頼みの綱。
◇三番弟子:伊念、 少女、「陰陽眼」の持ち主で、常人には見えないものを見通すことができる。
◇四番弟子:伊波有、 少女、本作の主人公。容姿は決して整っているとは言えず、よく伊高屋の実の娘と間違われる。
◇雲英、 少女、伊蘭の妻。一家の家事全般を引き受ける専属の世話役。雑務を取り仕切っている。
五月の空。
師姉の長袴のように青い。
それは、彼女が密かに大師兄の伊蘭に想いを寄せているからだという。
波有はその説に同意していた。
なぜなら、あらゆる「蘭色」を除いて、師姉の伊念が他の色の衣を纏っているのを見たことがなかったからだ。
山にはあちらこちらに野ツツジが咲き乱れている。
白、赤、紫、桃色。
花々に群がる蜜蜂や蝶は、その美しさに去りがたい様子だ。そこへ鳥たちのさえずりが加わり、実になんとも賑やかである。
一行は六人。
波有はいつものように「小さなしっぽ」となって最後尾につき、のろのろと靴の底をすり減らしていた。
決してわざと皆の足を引っ張りたいわけではない。
ただ、彼女の頭の中には、いつも他人とは違う何かが詰まっているのだ。
「あんた、なかなか威勢がいいわね!」
目の前に飛び出してきた、青々とした大きなバッタに彼女は声をかけた。
褒められたバッタは、逞しい後ろ脚を広げると、高く鮮やかな跳躍を見せ、どこかへ消えていった。
しばらくすると、今度は一匹の蜜蜂が、彼女が食べている野桜桃の甘い香りに誘われたのか、少女の周りを離れようとしなくなった。
波有はポケットから実を一粒取り出して地面に置くと、「どうぞ、召し上がれ」とばかりに手を差し出す仕草をした。
蜜蜂はその言葉を理解したかのように、地面の実に飛び移り、もう彼女を追いかけようとはしなかった。
離れていく蜂に「さようなら」と手を振ると、波有は急いで先行する一行の背中を追った。
―――
先頭を行くのは、大師兄の伊蘭とその妻、雲英だ。
一つには、師父を除けば、大師兄が一行の中で最も法術に長けているためであり、もう一つは、新婚早々の彼が常に雲英と睦まじく囁き合いたいからであった。
言葉を交わしていない時でさえ、二人は互いに見つめ合っている。
最後尾の波有は、この「二羽の馬鹿鳥」が道も見ずに躓いて転ぶのではないかと、気が気ではなかった。
やれやれ、このお人好したちめ。
五年間の相思相愛を経て、数ヶ月前にようやく祝言を挙げた時には、皆が胸をなでおろしたものだ。
もっとも、雲英は今でも、波有たちと一緒に台所脇の狭い部屋で眠るのが習慣になっていた。
一家全員の食い扶持を預かり、買い出しから炊事まで切り盛りする彼女にとって、厨房への出入りがしやすいその部屋が都合よかったのだ。
そのため、大師兄は以前と変わらず、師父や二師兄と同じ部屋で寝るしかなかった。
師父は常々「この新婚夫婦のためにもう一部屋建ててやる」とこぼしていたが、金が惜しいばかりに、それは単なる口約束に留まっていた。
そしてあの馬鹿鳥夫婦は、どこまでも師父に従順で、自分の将来を案じることもなく、ただいつ実現するとも知れぬ新居を、感謝と共に夢見ているのだった。
―――
波有たちは青々とした山林を抜け、切り立った岩壁の前に辿り着いた。
上方からは滝が激しく流れ落ち、その轟音は天を震わせるほどで、見る者を圧倒した。
ここから山下を望めば、奇峰が雲霧に包まれ、時折聞こえる鳥の鳴き声が谷間に生気を与えている。
「師父! 波有の歩みがあまりに遅うございます。これでは、今日山を下りた後、先へ進むのは無理でしょう」
二師兄の伊貴が太陽を仰ぎ見て言った。
「あのガキめ! いつも足を引っ張りおって。二番弟子よ、ならばどうする?」 師父、伊高屋が問う。
二師兄の伊貴は、常に抜け目がなく、頭も切れる。大小を問わず、この一家の決め事はいつも彼が頼みの綱だった。
「麓に着く頃には日が暮れるでしょう。師父、いかがです。今夜は麓の宿屋で一晩しっかり休み、明日早朝に出発するというのは」
伊高屋はそれを聞くや、顔をしかめた。
「何だと? 冗談ではない! 一晩泊まれば、また金がかかるではないか!」
銭の話が出た途端、彼はまるで身を削られるかのように眉をひそめた。
顔中にシワを寄せ、あれこれと考えを巡らせた末に提案した。 「少し足を早めれば済むことだ。さもなくば、夜通し歩くか?」
だが二番弟子は師父の言葉に同意せず、毅然として言い放った。
「師父、師父! 何度言えばわかるのですか。金が大事なのですか、それとも弟子たちが大事なのですか?」
さらに、呆れたように説得を続ける。
「三年前、念ちゃんが門下に入る前のことをお忘れですか? 師父が数銭を惜しんで夜道を無理にいったせいで、波有が狼の群れにさらわれそうになったではないですか!」
「あの時はまだ念ちゃんがいなかっただろうが! 今と当時を比べるなど、お門違いだ!」 古傷を抉られた伊高屋は、バツが悪そうに声を荒らげた。
「いいか伊貴、念ちゃんは『陰陽眼』を持っているのだ。我々に見えないものも見通せる。もし危険があれば、あやつに調べさせれば済むことではないか。見てみろ、あやつが来てからというもの、この一家はどこへ行っても順風満帆、何事もなかったではないか」
伊貴は伊高屋をじっと睨み据えた。
「駄目です、師父! あなたは金のこととなると、そうやって調子のいいことばかりおっしゃる。ですが、私はそう簡単に騙されませんし、あなたの言うことも聞きません。たとえ微塵でも危険があるのなら、私は師妹たちを連れて遠くへ避難しますからね!」
伊高屋は弟子の言い草に、顔を真っ赤にして怒らせた。
「騙される」とは何だ。
師父を詐欺師扱いする者がどこにいる。
反論しようとした矢先、二番弟子は畳み掛けた。 「師父、もう仰らないでください。皆、私と同じ考えのはずです。安全が第一。信じられないなら、皆に聞いてみてください」
―――
伊高屋は怒りのあまり目を剥き、歩みを止めて皆を呼び寄せた。
「伊の次男坊め! 師父は私か、それともお前か! 見ておれ、お前の師兄はお前のように私を怒らせたりはせん!」
そして彼は一番弟子の方を向くと、一転して柔和な顔を作り、問いかけた。
「伊蘭、我が愛弟子よ。お前の考えを言ってみなさい。師父の言葉に従って、多少の苦労はあっても注意深く夜道を進むか?」
さらに唾を飲み込み、愛想笑いを浮かべる。
「それとも、伊貴の言う通り、今夜は麓の温泉街に泊まるか?」
愚直な弟子が答える間も与えず、彼は哀れっぽく装った。
「これほどの大所帯だ……ああ、一晩泊まるだけでも銀がかかって仕方ない。私は一刻も早く銀を貯めて、お前と雲英に新居を建ててやりたいのだ。お前はいつまでも師父や師弟と同じ部屋では、師父として不憫でならんのだよ」
大師兄の伊蘭は「ははっ」と笑い、お決まりの間抜けな仕草で後頭部を掻いた。
「師父のお心遣い、私と雲英は常に肝に銘じております!」
伊高屋はほくそ笑んだ。
やはり、この愚直な弟子が一番聞き分けがいい。
しかし、その後に続いた言葉に、彼は思わず激昂した。
「ですが師父、実は我々兄弟、もう相談して決めていたのです。波有にわざとゆっくり歩かせて時間を稼げば、今夜は温泉街に泊まれるだろう、と! いやあ、我ら兄弟、しばらくその話で盛り上がっておりまして。雲英も念ちゃんも、温泉は肌にとても良いと聞き、女心として美しくなりたい一心で、この日を待ちわびていたのですよ!」
のろのろと近づいてきた波有は、自分の名前を聞きつけた。
「私を呼びましたか? 大師兄!」
不機嫌そうな師父の顔を盗み見て、不審に思う。
もしや計画がバレたのか。
彼女は慌ててポケットから何か出そうとしたが、惜しくなり、こねくり回した挙げ句、二粒の野桜桃だけを差し出した。
「師兄たちが、あまり速く歩くなって言うものですから。でも、私も遊んでいたわけじゃありませんよ。ほら師父、野桜桃をたくさん摘んだんです。甘酸っぱくていけますよ、召し上がれ!」
伊高屋は逆上して飛び上がり、その実を地面へ叩き落とした。
「この親不孝者どもめ! 最初から私を嵌めるつもりで穴を掘っておったのだな!」
伊高屋は、不意に自分が皇帝になったような気分を味わった。
――ああ、なんと。朕はこれほどまでに、天涯孤独の身であったか!
主人公の名前についてです~
作者は一匹の猫にこう語りかけた。
「お前に、花のような美貌と、草亀の婿を授けよう。……どうだい、受けてくれるかい?」
猫の波有は、真っ白な小首を傾げて答えた。
「ニャン~、ニャン~」
作者は絶句する。
「……なに、『ぜひお願いする』だって? よし! ならば筆を執るとしよう!」
こうして、この上なく愛くるしい猫ちゃん・波有の冒険が幕を開けた。
さて、彼女はこの物語の結末に満足してくれるだろうか?
きっと、満足してくれるはず!……たぶん。おそらく。




