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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第一章 邂逅

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第15話 南海への道

 

 水中では人魚たちが二列に並び、陽気で美しい曲を奏でている。


 汕と清が小舟の傍らを泳ぎ、光仮羅の一行を島の外へと見送った。


 沖では、白い円形の船が彼らを待っていた。


 近づいて見ると、それは巨大な海貝であり、上には豪華で精緻な三層の楼閣が建てられていた。


 陸上の楼閣と何ら変わらぬ佇まいである。




 光仮羅の配下の小妖たちが、まず胡白と伊高屋たちを楼閣の中へと案内した。


 そして四方の窓を固く閉ざしたが、部屋の壁には夜明珠が掲げられており、昼間のような明るさだった。




 伊高屋たちは、扉が閉ざされ窓が封じられたことに不安を感じていた。


 胡白は扇子をゆらしながら言った。


 「山主が術を使うから、早く帰れるのだ。心配いらぬよ」




 言い終わるか終わらないかのうちに、外で猛烈な風が吹き荒れ、貝の船は宙に浮き上がると、矢のような速さで疾走し始めた。


 胡白は慣れっこで、藤椅子に揺られながら悠々と扇子を使っているが、伊高屋たちは初めての体験に顔を青ざめさせ、椅子の手すりを必死に掴んでいた。




 幸い、恐怖の時間は長くは続かなかった。



 茶を一杯飲み干すほどの時間で風は止み、波は静まった。



 小妖が扉と窓を開けると、一同は楼閣の外へ出た。


 四方は美しい碧波が広がり、頭上には太陽が輝いている。


 遠くには海辺の島影が見えていた。




 仮羅が笑った。


 「師弟、一日千理の気分はどうだね?」



 胡白は拳を握って一礼した。


 「師兄の法力はますます冴え渡っておりますな。恐れ入りました」



 伊高屋も慌てて前に出ると、深々と頭を下げた。


 「山主の妙技、神通力、我ら凡夫には聞いたこともない代物です。今日は実に見聞を広めることができました!」



 仮羅はまた笑って言った。


 「お前たち人間は陸を歩むもの。茫々たる大海原では、法術も使い道があるまい」



 伊高屋は思わずため息をついた。


 「この奇遇がなければ、我ら人間がこれほどの絶景を目にすることなど叶いませんでした」




 ―――




 仮羅は彼らを眺めた。



 伊蘭と伊貴は堂々とした体躯を持ち、雲英は可憐、伊念は小柄ながら落ち着いている。


 伊高屋の風采はどこか卑屈だが、優れた弟子たちを持っているからには、この師父にも相応の器量があるに違いない。


 彼はふと、彼らを招き入れたいという心に駆られた。




 「伊殿、これからどこへ向かうのだ?」


 「殿」という親しげな呼びかけに、伊高屋は舞い上がった。


 しかし、彼はそれを表に出さず、恭しく答えた。


 「山主、そのようなお呼び方は、私には分不相応でございます。あなたと兄弟のように肩を並べるなど、恐れ多いこと」


 「構わぬ。出会ったのも何かの縁だ。私はもともと気難しい性質でな、師兄弟のほかには滅多に友を作らぬのだ」




 仮羅は面倒を嫌う。


 本来の姿が亀族ゆえに、せわしないことを好まぬ性分なのだ。


 道行の高い多くの大妖が彼と結びつこうとしてきたが、彼はいつも「近づく者には下心があるのではないか」「厄介ごとを持ち込まれるのではないか」と警戒し、淡々と距離を置いてきた。


 だが、伊高屋の控えめで穏やかな性格には、なぜか好感を抱いたのである。




 「海上の事物に興味があるようだな。南海の底には私の行宮がある。もし先を急がぬのであれば、一度立ち寄ってみるがよい」


 「おお! ……なんと身に余るお言葉! 山主にそれほどまで目を掛けていただけるとは!」




 波有は、師父が口も塞がらないほど喜んでいるのを見て、(師父は嬉しさのあまり、小亀のことを忘れてるんじゃないかしら)と危惧した。



 彼女は伊高屋の裾をぐいと引っ張った。


 「師父、お忘れですか。私たちは先を急がねばなりません。師弟も待っていますし!」


 暗に、小亀のことを思い出させるように言ったのだ。




 胡白は二人の顔がそっくりなのを見て、思わず口にした。


 「伊殿、娘さんは本当にお前に生き写しだな!」




 この一言に、波有たちは固まった。



 師父はきまり悪そうに笑った。


 「いや、……彼らは皆、私の弟子でしてな……」


 今度は胡白が、決まりの悪い思いをする番だった。




 伊高屋は、人魚の汕が胡白を「胡仙人」と呼ぶのを聞き、彼もまた光仮羅と同じく強大な大妖であることを察していた。彼に対しても失礼のないよう、慌てて額に手を当てながら取り繕った。


 「いやはや、面目ない。この子は小さい頃から私に似てしまいましてな。よく親子と間違われるのです、ははは!」



 仮羅が師弟のバツの悪さを助けるように口を挟んだ。


 「伊殿、どうかな。先を急いでいるとしても、後で私が送り届けてやってもよいのだぞ」




 ―――




 どういうわけか、二言三言と言葉を交わすうちに、仮羅はこの冴えないおじさんのことが、ますます気に入ってきていた。



 これには弟子たちもたまらず、口々に伊高屋を説得し始めた。


 「師父、ぜひ! こんな機会、二度とありませんよ!」


 「そうですよ! 海底の行宮ですよ、海底の!」


 「山主様がこれほど師父を重んじてくださっているんです。行きましょう、行きましょう!」


 弟子たちは皆、神秘的な海底の宮殿を一目見ようと色めき立っていた。


 波有を除いては。




 だが、盛り上がっている皆の興を削ぐわけにもいかない。


 彼女は靴を直すふりをしてしゃがみ込み、こっそりと小亀に囁いた。


 「師弟、ごめんね。もう一日だけ我慢して。明日にはここを発てるよう、私が皆を説得するから」

 


 耳元で、小亀の微かな声が響いた。


 「いいよ、師姉。君の指の間は、意外と居心地がいいんだ」



 波有は心の中で思った。


 (この子は、お人好しすぎるのか、それとも鼻が利かないのかしら。私の足の匂いを嫌がらないなんて!)




 弟子たちの見え透いた「相談」を経て、結局、伊高屋は山主の誘いに「善に従うは流るるがごとし」とばかりに応じることにした。


 若い頃に門派を出て以来、各地を渡り歩いてきた彼だったが、大妖の目から見れば自分などしがない田舎者だという自覚はあった。


 それゆえ、弟子たちを率いて光仮羅に恭しく礼を尽くし、感謝の意を示した。



 仮羅は彼らが誘いを受けたことを喜び、人数分の「避水珠(ひすいじゅ)」を取り出して配った。


 そして深緑色の袖をひと振りすると、見る間に海面が二つに割れ、透明な水の壁の間に海底へと続く広々とした道が現れた。




 二人の小妖が先導し、胡白が続く。


 光仮羅は威張る様子も全くなく、伊高屋の隣を歩きながら、世間の面白い話に興じていた。


 残された弟子たちは冷や汗を握りしめ、隣の水の壁が崩れてこないか、海が戻ってこないかと、一歩一歩踏みしめるように師父の後に続いた。




 ―――




 避水珠のおかげで、海底を歩くのは陸上よりも自在で、一歩ごとに体がふわりと浮くような心地よさだった。


 やがて、貝や珊瑚で築かれた行宮が見えてきた。




 遠目には森の中に楼閣が寄り添っているように見えたが、近づいてみると、木ではなく高くそびえ立つ珊瑚の群れだった。


 先ほど乗った貝船と似ているが、こちらの楼閣はより大きく広く、層も重なって実に壮大である。



 行宮の周囲には、武器を手にしたタツノオトシゴの兵たちが整列していた。


 一行の姿を認めると、彼らは黒い波のように出迎えてきた。



 先頭の「海夜叉(うみやしゃ)」が鋼の(さすまた)を高く掲げると、兵たちは一斉に頭を下げた。


 「山主のお戻り、お迎えいたします!」


 

 伊高屋と弟子たちは、その恐ろしく醜い黒頭の怪物に肝を潰し、山主の背後に隠れて出てこようとしない。



 仮羅は笑いたくなったが、失礼かと思い堪えた。


 彼は海夜叉に声をかけた。


 「墨墨、客人だ。あまり驚かせてやるな」




 伊高屋たちは、その名があまりにも体を表しているのに感心した。


 まさに墨のように真っ黒だ。


 黙って目を閉じれば、どこにいるのかすら分からなくなるだろう。



 海夜叉はへらへらと笑った。


 「はい! 山主。長いことお戻りにならないので、皆寂しがっておりましたぞ」



 仮羅も笑って応じる。


 「屏風山の方が忙しくてな。今回は胡師叔と人魚島へ行ってきた帰りだ。客人も連れていることだし、しばらくはこちらに滞在するよ」



 海夜叉は無邪気に尋ねた。


 「山主、于のデブは元気ですか? あいつの娘がよく聞いてくるんですよ。父親はいつ山主と帰ってくるんだって。私に聞かれたって分かりゃしませんよ」


 「ああ、相変わらずだ。前よりさらに太ったぞ。元気でなきゃあんなに肉は付かんだろう」


 「全くだ! 山主についていけるのは果報者ですからな。私も屏風山の方へ行きたいくらいです」


 「墨墨、あっちは寒いぞ。南海のように温かくはない」




 二人は久々の再会に、そばで空腹に耐えている人たちがいるのを忘れて世間話に花を咲かせていた。



 しびれを切らしたのは胡白だった。


 「師兄! 中へ入って話しましょう。人魚島ではまともなものを食べていないから、私は腹ぺこですよ」




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