第13話 むせび泣くような歌声
その夜、汕と清は客人を連れて、人魚たちが「鮫紗」を織り上げる様子を案内した。
深い紺青の天幕には、白く清らかな満月が高々とかかっている。
微風が海面をなで、幾重ものさざなみが立っていた。
美しい人魚たちが杼を操ると、月光と碧波が溶け合い、溢れる情愛が色とりどりの糸となって、曇りなき「鮫紗」へと織り上げられていく。
幻想的な光景に、光仮羅と胡白の二人は感嘆の声を漏らすばかりであった。
やがて、汕はうやうやしく「鮫紗」を献上した。
胡白はパッと顔を輝かせ、喜びを露わにした。
「師兄から貴重な鮫紗をいただいて以来、他の布地では肌が満足しなくなってしまいましてな! 感謝いたします。もし私に手伝えることがあれば、何なりとお申し付けください」
光仮羅は彼の肩を叩いて言った。
「お前は白衣を好むからな。この鮫紗の精巧な織り、雪のような白さ、そして蝉の羽のごとき薄さは、まさに今の主にふさわしい。我ら師兄弟の間で水臭い挨拶は抜きにしよう」
「李御と成婚すれば、より深い縁で結ばれることになるのだ。あの時、無理にでも義理の姉を私に引き合わせてくれたお前には、私の方こそ礼を言わねばならん」
胡白は仮羅の耳元でさえずるように言った。
「姉上は幼い頃から修行に打ち込み、『天下一の美人』と謳われてからは求婚者が絶えませんでした」
「しかし本人の理想が高すぎて、並の男など目にも入りません」
「師兄と姉上、お二人のような龍や鳳凰のごとき傑物が結ばれるのは、まさに天が定めた佳き縁。我ながら、最高の仲人をしたものです!」
仮羅は苦笑して言った。
「傑物というのは、お前自身のことを言っているのではないか? 長く生きているが、師弟ほど風雅で美しい者に、他に会ったことがないぞ」
胡白は一瞬呆気にとられたが、すぐに汕の方を指差した。
「お褒めにあずかり光栄ですが、それは言い過ぎです! ごらんなさい、目の前の人魚たちだって、誰もが息をのむような美しさではありませんか」
仮羅は首を振った。
「人魚は妖族とはいえ、下半身が尾のままで人間の姿にはなれぬ。高価な鮫紗を織る以外に大きな使い道はない」
胡白は声を潜めた。
「師兄、ご存知ないのですか? 訪れる者は滅多にいませんが、この島は本物の『宝島』だという噂です」
「人魚の先祖が遺した絶世の珍宝や秘術が眠っているとか!」
「……実は今回来る前、ある稀世の宝にまつわる話を聞いたのです」
仮羅は額に手を当てて言った。
「根も葉もない噂というものは、人の心を惑わすものだ。凡夫ならいざ知らず、修行者である我らがそのような話を信じるとは、お前も少々天真爛漫が過ぎる」
「たとえ本当にあったとしても、それは人魚一族の秘密だ。部外者の我らが口を出すべきことではない」
胡白は納得がいかない様子で言い返した。
「師兄、『人魚の涙』という名を聞いたことは?」
「……まさか、あらゆる毒を解き、邪気を払うという伝説の腕輪のことか?」
「その通りです!」
「しかし、人魚は一生泣くことがなく、涙を流さないと聞くが」
「だからこそ、貴重なのです! 誰も実物を見た者はなく、ただ伝説に語られるのみ。一説には、万病に効くだけでなく、寿命を延ばす力もあるとか」
―――
妖力が強ければ長く生きられるが、数十年という短い命しか持たぬ人間にとって、長生への誘惑は計り知れない。
だが、すでに千年の道行を持つ老亀の化身、光仮羅は鼻で笑った。
「まさか、その『人魚の涙』がこの島にあるとでも言うのか?」
「間違いありません! 」
「実は先日、亡き師匠の書き付けを整理していたところ、小さな紙片を見つけたのです」
「欠けて半分しか残っていませんでしたが、こう記されていました。『我、今に至りて大いに悔ゆ。遂に人魚の涙の腕輪を、その一族へと返却せん』と」
胡白は彼の顔をじっと見つめた。
「師兄、どう思われます?」
仮羅は沈思した。
「そのような話、師匠からは一度も聞いたことがない。後霊師姐なら何か知っているかもしれんが……」
「師匠が『一族に返すべきだ』と言ったのなら、我らが手を出すべきではない」
「決して他言するな。『徳のない者が名玉を持つのは罪である(匹夫無罪、懐璧其罪)』という道理を忘れるなよ」
胡白は、彼がこれほど厳しく自分を戒めるのを滅多に見たことがなく、慌てて頷いた。
「師兄の教え、肝に銘じます。決して誰にも漏らしはいたしません」
仮羅は言葉を継いだ。
「しかし、まさか『人魚の涙』が我らの師門と深い関わりがあったとはな……」
「汕頭領は私を敬ってくれている。ただその稀世の宝を鑑賞したいと願うだけなら、難しくはないかもしれん」
そして、悠然と笑って胡白を見た。
「お前も、見てみたいだろう?」
胡白は彼の肘を小突いた。
「先ほどの厳しさは脅すためでしたか! もちろんです、見てみたいに決まっています!」
―――
光仮羅が「人魚の涙」の腕輪を鑑賞したいと申し出ると、汕頭領は驚きの色を浮かべた。
「光山主、どこでその名をお聞きに?」
だが、すぐに考え直した。
山主は神通力に長け、天下に友を持つ御仁だ。
どこからか情報を得たとしても不思議ではない。
汕にとって、光仮羅は常に尊敬の対象であり、法力は高くとも潔白な君子であることを知っていた。
他人の宝を奪うような真似は決してせず、純粋に鑑賞を望んでいるだけだろうと考えたのだ。
長年の付き合いだ、これくらいの便宜は図ってやろう。
汕は手下の人魚に命じて密室から島の家宝――「人魚の涙」腕輪が収められた青珊瑚の小箱が、二人の前に差し出された。
(師匠が遺した腕輪……涙を流した人魚と、師匠の間にはどんな関係があったのか? 『大いに悔やむ』と記した理由、知られざる因縁が隠されているのだろうか?)
仮羅と胡白は、汕の掌にある「人魚の涙」を凝視した。
それは大豆ほどの大きさの、水晶のように透き通った八つの珠を繋いだブレスレットであった。
「汕頭領、一つ無礼を承知で伺いたい」
「山主、どうぞ。私にわかることであれば何なりとお答えしましょう」
「人魚は一生涙を流さぬと聞きます。では、この腕輪はどのような由来で生まれたのですか?」
二人は腕輪を奪うつもりはなかったが、自分たちの師門と関わりがある以上、師匠がかつて何を後悔し、なぜこれを返したのかを知りたくてたまらなかった。
「詳しい理由は、先代の頭領からも聞かされておらず、ただ人魚の長老が遺した宝物であり、後世まで大切に守れと言い含められたのみ」
「山主が仰る通り、人魚の一生は長く、悲しみに暮れることがないため涙は流しません」
胡白が思わず口を挟んだ。
「涙を流さないのに、なぜこれが『人魚の涙』なのですか?」
「それは……先代たちの間の、我ら後輩が口にすべきではない私事があったのかもしれません。この腕輪を除いて、私は同族が涙を流すのを見たことがありません」
胡白がさらに問い重ねようとしたとき、光仮羅がそれを制した。
「見ろ!」
腕輪の周囲に、淡い光が宿り始めた。
光は次第に輝きを増し、皆が目を開けていられないほどの強烈な閃光を放つ。
すると、どこからともなく、むせび泣くような歌声が響き渡った。
女の声であった。
「これは……一体?」
仮羅が汕に問う。
「間違いなく、人魚の歌声です!」
「しかし、我らは喜びで胸が満たされたときにしか歌いませぬ。これほど悲しい歌は、私も初めて聴きました!」
汕もまた、衝撃に震えていた。
「あるいは、これがその長老の声なのかもしれません……」
歌声に込められた凄まじい悲しみに触れ、汕も知らず知らずのうちに涙ぐんでいた。
その哀愁は、聴く者すべてを底知れぬ孤独と憂鬱の淵へと引きずり込んでいく。
曲調に対してとりわけ敏感な胡白は、たまらずその場にうずくまり、両手で顔を覆って泣き出した。
<あと書き>
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