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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【後編:不老不死の秘薬】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第四章 宿命の決戦

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第108話 風の囁き



 仮羅は手に持った手紙を掲げ、震える声で読み上げた。




 『道友たちへ。


 老い先短かったワシも、いよいよこの世を去る時が来たようじゃ。縁が生まれ、縁が尽きる。縁があれば、またどこかで逢おう。


 唯一の心残りは、鶴ちゃんと狼ちゃんの弟子二人が側におらず、直接お別れを言えなかったことじゃな。


 もし彼たちが戻ったら、こう伝えておいてほしい。


 「わしはどこへも行っておらん。悲しむ必要はないぞ。幼い頃から育ててきたお前たちは、本当の子も同然じゃ。そよ風の囁きを聞いた時、温泉の泡や、空を見上げた、その白雲を目にした時……それらはすべて、お前たちを見守るわしの姿なのだから」』




 伊貴は顔を涙で濡らしながら言った。


 「和白様と藍様の二人が私たちのために人魚島へ向かわなかったら、仙尊のお見送りに間に合ったのに……」



 「仙尊は自分の寿命が尽きることを察していたからこそ、昨日あんな話をしてくださったのだな」


 仮羅も目を真っ赤にして呟いた。




 手紙を聞きながら涙を流していた波有は、全身を震わせながら、自分宛ての手紙を開いた。


 一枚の便箋いっぱいに、ギッシリと文字が綴られている。


 『姫様、お許しくだされ。


 去り際になってようやく大悟し、この件を告げる決心が固まりました。


 ワシの旧友であり、お前の師匠である光如意羅漢(こうにょいらかん)は、生前、竹林や蒼山と共に暮らし、天下の生きとし生けるものを救おうという壮大な志を持っておられた。


 かつて大旱魃と疫病が世を襲った際も、弟子を連れて徳を施し、多くの命を救われたものじゃ。


 羅漢の果位を得た彼の法宝、「如意琉璃塔(にょいりゅうりとう)と「如意錫杖(にょいしゃくじょう)」には、計り知れぬ光明の心力が込められております。


 もし心魔の呪縛から解き放たれ、その光明のエネルギーが解き放たれれば、あらゆる闇と悪業を滅ぼすことができるでしょう。


 ここまで言えば、もうお分かりですね。


 ただし……塔の頂点にある宝珠、すなわちお前の「人魚の涙」が消え去れば、姫様もこの世に留まることはできなくなる。


 本当は伝えるつもりはなかったのじゃが、どう決断すべきかは、姫様ご自身が決めるべきことなのだと思い直したのです』



 手紙を読み終えた波有は、静かに仙尊の布団に向かってひざまずき、三度叩頭した。


 周りの者たちも後に続いて深く頭を下げ、星盤仙尊の旅立ちを心から惜しんだ。




 ―――




 銀髪に黒衣を纏い、底知れぬ瞳に妖しい光を宿した無光は、そびえ立つ九重塔の前に立ち、ニヤリと笑みを浮かべていた。


 上出来だ。


 これほど短い期間で塔を完成させ、薬人の精錬も順調に進んでいる。


 やはり陸の妖怪より、海の怪物どものほうが役に立つ。




 昔、万人を魅了する美しい女を見ても嫌悪感しか抱かなかった無光にとって、美姫のような女など目に入りもしない。


 ただ、悲願を果たすために不快感を押し殺し、愛想よく振る舞ってきただけだ。


 己の判断は正しかった。


 どんな駒にも使い道はある。


 こうして利用してこそ、目的に最速で到達できるのだ。




 休息を取っていた美姫は、無光が来たと聞きつけると、慌てて円筒を連れて駆け寄ってきた。


 「国師様、本日は薬人の様子を見に寄られたのですか?」


 彼女の顔には焦りの色があり、心臓がバクバクと鳴っていた。




 皇宮に放っていた手下から、無光が激怒して李御の侍女を灰にした噂は耳に入っている。


 彼女は急いで男たちに薬人の精錬現場を監視させ、南海の夜叉墨墨やタツノオトシゴ親衛隊を動員して人魚島周辺を厳重に封鎖させていた。


 島の人魚や、地下室で処分される予定の失敗作が逃げ出さないようにするためだ。




 それでも先せんと持ちこたえられず、少し前に幼い人魚が二匹逃げ出してしまう大ポカをやらかしていた。


 運良く自ら戻ってきたからよかったものの、あの時は生きた心地がしなかった。


 彼女は手下に「この件は絶対に国師様に知られるな」と厳命していたのだ。




 「よくやってくれているな」


 珍しく、冷徹で美しい国師の唇に笑みが浮かんでいた。




 美姫はその笑顔にうっとりとし、体が羽のように軽くなって浮き立つような心地になった。


 「国師様のお役に立てることこそ、美姫の最大の喜びにございます!」




 「ところで……幼い人魚が二匹、逃げ出したと聞いたが?」




 美姫の顔から一瞬で血の気が引いた。声が出なくなった彼女は裾を揺らし、後ろに控える太っちょの円筒に合図を送った。


 「こ、国師様! その二人は逃げ出したものの、すぐに戻ってまいりまして……今も洞窟に閉じ込めてあります!」


 円筒は冷や汗を流しながら、必死に言い訳をした。




 逃げて、また戻ってきただと? 一体どういうことだ。


 「案内しろ。見てくるとする」


 無光は歩みを進めた。




 ―――




 小舟に乗り込んだ無光たちは、汕の洞窟へと入っていった。



 内部は静まり返り、岩穴の中に閉じ込められた人魚たちが水の中を泳いだり、鍾乳石の上に座って長い髪を梳かしたりしているのが見える。


 誰もが無表情だったが、不思議と悲しみの色はなかった。




 やはり言い伝えは本当らしい。


 人魚は歓喜の歌しか歌えず、涙を流すこともない。


 千年前、彼に騙されて唯一涙を流した人魚の姫も、「人魚の涙」を落とした直後に息絶えたのだから。




 手下の妖怪がある洞窟の入り口前で木格子の扉を開け、小舟を中へ進めた。


 そこにいたのは、戦勇の妻と、二人の息子である戦大と戦小だった。




 この若くて冷酷な男こそが父親と伯父を連れ去った元凶だと、彼たちは分かっていた。


 戦大と戦小は歯を食いしばり、母親をかばうように立ちふさがる。




 戦勇の妻は息子たちを押しのけ、目の前の男に頭を下げて泣きついた。


 「国師様、どうかこの子たちの代わりに私を罰してください! まだ小さくて、何も分かっていないのです!」




 無光は薄く笑った。


 「大人しく従っていれば、戦勇たちと引き合わせてやってもいいぞ。彼らとは古い付き合いだからな」



 彼は天井を見上げ、ふうと息を吐いた。


 「時間の流れは早いものだ。あの兄弟と知り合った頃、戦勇はまだ独身だったのだがな」




 母親は息子が痛めつけられるのを恐れ、息子たちは母親に危害が及ぶのを恐れ、怒りを買って刺激しないよう息を殺した。




 「一度脱出したというのに、なぜ再び人魚島へ戻ってきたのだ?」


 無光が淡々と尋ねる。




 戦大は拳を強く握りしめ、爪が肉に食い込んで血が滲み出た。


 この激痛がなければ、目の前の男への殺意を抑えきれそうにない。



 「姫様にお会いできたのですが……母様が一人で苦しんでいると思うと居ても立っても居られず、戻ってきたのです」


 弟の戦小が答えた。




 「ほう?」


 無光は無表情のまま返した。


 「お前たちの人魚姫とやらは、昔は族人を何より大切にしていたはずだが? 今回はなぜ一緒に戻ってきて同甘共苦しようとしなかったのだ? まさか転生して顔がブサイクになり、胆力まで縮んで性格が変わってしまったのか?」


 あざけるような笑みが彼の浮かんだ。




 戦大は思わず叫んだ!


 「姫様は、人魚族で最も美しく尊い方だ!」




 「ほう、そうか」


 無光はすぐに冷静さを取り戻した。




 最も尊い人魚の血を使ったからこそ薬人を精錬したのだが、失敗した。


 待てよ……秘伝書には、高貴な者の素材を使えば成功率が上がるとあった。



 人魚の血だけでなく、人間の心臓や肝臓を蘇らせる際に聴かせる歌声もまた、尊き人魚のものでなければならないとしたら……?


 もしかすると、原因はそこにあったのかもしれない!




 カラクリに気づいた瞬間、無光の気分は一気に晴れやかになった。


 彼は美姫に向かってひらひらと手を振った。


 「戻るぞ」




 手下が再び木格子を閉めた。


 小舟が遠ざかっていくのを見送りながら、母子三人ともは自分たちが極悪人の手からあっさりと逃げ切れたことが信じられずにいた。



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