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波有伝説~海をゆく虹色の鱗【前編:人魚涙のブレスレット】  作者: 唯紅蓮真美(いちべにまみ)
第一章 邂逅

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第10話 水竜巻


 話題は再び波有たち一行に戻る。




 温泉街を離れてから一ヶ月あまり。


 伊高屋の記憶によれば、都に最も近い街―豊城(ほうじょう)はもう目と鼻の先のはずだった。



 かつて伊高屋が拠点にしていた道観(どうかん)もそこにある。

 つまり、あと数日も歩けばようやく家に戻れるということだ。



 ところがその日、朝から突然、深い霧が立ち込めた。


 一行は歩みを緩め、一歩一歩確かめるようにして足を進めるしかなかった。



 正午近くになり、風が吹き始めると霧が徐々に晴れていった。


 すると目の前に、燃えるような紅色の景色が広がった。



 花海だ。



 脂の乗った青々とした葉の間から、鮮やかな紅色の花びらがすっくと立ち上がり、風に揺れている。


 女の子なら花を愛でるのは当然。雲英と伊念は歓声を上げ、たまらず駆け寄っていった。



 だが、波有はその場に立ち尽くした。


 

 紅色の花畑の向こう、青い空と白い雲の下には、見渡す限りの碧い大海原が広がっていたのだ。


 (これだったのね。小亀が言っていた『海の匂い』、塩辛くて、なんていい匂い……。これが『砂浜』、白くて、踏むとふかふかして気持ちいい……)



 

 弟子たちが興奮する中で、伊高屋だけは眉をひそめた。


 「……さっきの霧のせいだ。道を間違えたな」


 

 二番弟子の伊貴が、はしゃぐ女性陣の姿を見て師父をなだめた。


 「師父、急ぐ旅でもありません。豊城はもうすぐだと言っていたじゃありませんか。ここで一日休んでいきませんか? 見てください、師妹たちがあんなに喜んでいます。それに、水族の出である小師弟だって、ここならきっと嬉しいはずです」



 伊高屋は愛おしそうに末弟子の頭を撫でて尋ねた。


 「甲ちゃんや。今日はここで夜を明かそうと思うが、嬉しいか?」



 これこそが、小亀が霧を呼び寄せて一行をここへ導いた理由だった。

 彼が嬉しくないはずがない。


 「師父、ありがとうございます! ここは北海ではありませんが、海を見ると故郷に帰ったような気持ちになります」



 しばらくして、伊蘭と伊貴が小亀の元へ駆け寄ってきた。


 「小師弟、夕飯のおかずに海で魚を獲ってきてもいいか?」


 彼が水族であることを気遣い、不快にさせないか確認したのだ。



 小亀は笑って首を振った。


 「構いませんよ、大師兄、二師兄。人間界の言葉にもあるでしょう、『大魚は小魚を食らい、小魚は蝦を食らう』。弱肉強食は海の理です。僕のことは気にしないでください。海の魚や蝦は、湖や川のものより骨が少なくて身が厚く、ずっと美味しいですよ」




 ―――




 白い砂浜の上で、波有はただ呆然と座り込んでいた。


 波が寄せては返すのをじっと見つめる。


 海面には深緑の海藻が揺らめき、時折、美しい貝殻が波に乗って彼女の足元へと運ばれてきた。



 「師姉、これあげる」


 伊甲が大きな海螺(つぶ)を拾って彼女に差し出した。



 殻に渦巻き状の美しい紋様がある見事な海螺だった。


 「耳に当てると波の音が聞こえるんだ。嘘じゃないよ、試してみて」



 彼は花海を指差した。


 「師姉、見て。あの花はカンナ(美人蕉)って言うんだ。人魚が一番好きな花なんだよ。……師姉、人魚の姿に戻ってみたい?」


 

 「どうやって戻るのよ……?」


 彼女は海螺を握りしめたまま、呆然と聞き返した。



 伊甲は隣に腰を下ろした。


 「人魚はみんな美しくて、歌がとても上手いんだって。上半身は人間で、下半身は魚の尾びれ。もし師姉が人魚の姿に戻ったら、きっと自分の仲間を探しに行って、ずっと海の中で暮らすことになるんだろうね」



 「……じゃあ、陸には上がれないの? 師父たちと一緒にいられなくなるってこと?」


 波有は少し想像してみたが、急に目の前が眩むような感覚に襲われた。


 あまりに重大な問題だ。じっくりと考えなければならない。



 「師弟……でも私は美しくないし、歌だって下手だわ。あんたが言う人魚とは似ても似つかない。」


 「……あんたの間違いじゃないの?」


  彼女はまばらな眉間にしわを寄せ、小さな三角の目尻を見開いて、心細げに尋ねた。



 「私は足の指の間に水かきがあるだけで、他の師兄や師姉と何も変わらないわ。それに、あんたが言わなきゃ、私が人魚だって誰も気づかない。このまま黙っていれば、いいんじゃない?」



 波有は考え抜いた末、やはり師父たちと離れ、見ず知らずの者たちと海で暮らすなんて恐ろしすぎると結論づけた。

 

 (そうよ、私は人間のままでいいわ!)




 ―――




 遠くから、伊蘭と伊貴の歓声が聞こえてきた。彼らは剣を使い、見事な大魚を仕留めたようだ。



 海岸にはココナッツの木も茂っていた。


 伊甲はその落とし方を教え、硬い殻を割って甘いジュースを振る舞った。



 海風が優しく吹き、波が穏やかに揺れる。


 皆の腹は、脂の乗った魚の身と甘いココナッツジュースで満たされていた。



 花の中で語らう雲英と伊念。


 魚の話に花を咲かせる伊蘭と伊貴。


 そして自分の左右に波有と伊甲を座らせている伊高屋。



 師父は、ここで足を止めた判断は正しかったと満足していた。


 特に夕食の海魚は絶品だった。これほど腹いっぱい美味しいものを食べたのは久しぶりだ。



 満腹感と涼やかな海風。


 カンナの花が放つ清々しい香りが鼻腔をくすぐり、一行は心地よい眠りへと落ちていった。




 ところが夜半、突如として地平線の彼方が白く輝いた。


 「ドォォォン!!」


 激しい雷鳴と共に、うねるような稲妻がカンナの花畑に突き刺さった。



 全員がその衝撃で飛び起きた。


 稲妻の後、海面には凄まじい風雲が巻き起こった。



 天から巨大な漏斗のような暴風が降りてくる。

 大量の海水を巻き上げ、まるで脱走した野馬のように咆哮しながら迫り、瞬く間に砂浜の半分を飲み込んだ。



 波有は恐怖のあまり立ちすくんだ。


 狂風が耳元で「ゴォォォ」と鳴り響き、何も聞こえない。


 騒音の合間に、師父の叫び声が微かに聞こえた。



 「水竜巻だ!!! 蘭! 貴! 逃げろ!!!」



 意識を失う寸前、彼女はまだ考えていた。

 

 (……師父ったら、やっぱりひいきしてる。私の名前だけ、呼んでくれなかった……)



【読者様への感謝を込めて:キャラたちの楽屋裏】


読者様からの「キャラが魅力的」というお言葉に、当の本人たちが騒ぎ出しました。


【伊高屋(師父)】:

「ふはは! 実に眼が高い読者殿だ! 我ながら、私のキャラ描写が一番面白いと思っていたところだぞ!」

【波有】:

(師父を冷ややかな目で見ながらボソッと)

「……私が主人公なんだから、読者様が言ってるのは当然、私のことに決まってるじゃない」

【小亀】:

(師父に反論できず、波有の耳元でこっそり)

「……師姉、もちろん一番輝いているのは師姉ですよ。師父はいつも通り自信家なだけですから、放っておきましょう」


☆作者より:

素敵なコメント、本当にありがとうございます! 励みになります^^

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