いつも通りだよ
僕たちは、口に出さずともお互いのリズムを知っていた。
「今日も一緒に帰れるかな」と思いながら昇降口に向かうと、柱の影に彼女がいることもあれば、いないこともある。
その偶然に一喜一憂するのが、いつの間にか僕の日常になっていた。
その日、彼女は柱の影に立っていた。
僕を見つけると、少し微笑んで小さく手を振る。
いつも通りの笑顔なのに、胸に刺さる感覚は変わらなかった。
心の奥で、昨日彼女がいなかったことを思い出し、胸の中で小さな棘が痛む。
「……久しぶりだね」
「うん、ちょっとだけね」
彼女の声は軽やかで、いつも通りの調子。
でも、どこかほんの少し距離を感じる。
昨日も、先週も、僕たちはこうしてすれ違いながら、隙間を埋めていたのかもしれない。
坂道を下る。
夕陽が二人の影を長く伸ばし、風は穏やかに吹く。
僕は彼女の横顔を見ながら、言いたいことが頭の中で渦巻くのに、言葉にできない自分に気づく。
──なんで、伝えられないんだろう。
そのもどかしさが、胸の奥でずっとくすぶっていた。
もし僕が一歩踏み出して「一緒に帰ろう」と言ったら、関係は変わってしまうのかもしれない。
それを恐れて、僕は黙って歩く。
彼女も同じだろうと思う。
歩きながら、僕たちは何気ないことを話す。
今日見かけた小さな出来事、通り過ぎる猫のこと、ほんの些細な話題。
内容は軽くて取るに足らないのに、耳に残る声は、甘く、心地よく、そして少し切ない。
それは二人だけの、儚くて柔らかい時間だった。
でも、放課後が続くにつれて、僕の中で何かが変わってきた。
彼女と一緒にいる瞬間の幸せは、以前より少し薄くなり、淡く、日常の一部になってしまう。
甘いのに、当たり前になっていく。
その矛盾が、胸に小さな痛みとして残る。
ある日のこと。
坂道を下りながら、彼女がふと立ち止まり、上を向いて小さく息を吐いた。
「……今日は、一緒に帰れてよかった」
その言葉は、僕に向けられたのか、それともただの独り言なのか、分からなかった。
でも、僕はそれだけで胸がいっぱいになった。
翌日。
昇降口に向かうと、柱の影には彼女はいなかった。
誰かと話していたわけではない。
ただ、そこに立っていなかっただけ。
昨日の時間は、偶然だったのかもしれない。
それでも僕は歩く。
坂道の途中で足を止めて、風を吸い込み、夕陽を見上げる。
胸の奥には、昨日の言葉がまだ残っている。
甘くて、切なくて、少し痛い。
こうして、僕らの放課後は少しずつ薄れていくのだろう。
でも、まだ完全には消えていない。
彼女の笑顔も、声も、横にいる感覚も。
すべては淡く、溶けかけているけれど、確かにそこにある。
この薄さこそが、僕たちの関係の今の姿なのだと、僕は知っていた。
特別なものは、日常になるといつか薄れる。
でも、その薄さの中で過ごす時間も、やはり甘く、柔らかい。
僕はまた、明日も坂道に向かうだろう。
柱の影に彼女がいるかどうかは分からない。
でも、期待せずにはいられない。
甘く、切なく、消えそうな日々を、まだ手にしたいと思うから。




