泡のようで棘のようで飲み込んでしまいたい
彼女がいない放課後は、二度目だった。
初めてのときほどの驚きや不安はなかった。
人は不思議なもので、どんなことにも慣れてしまう。
けれど慣れれば慣れるほど、心のどこかでひっそりと痛みが増していく。
「また友達と帰ったのかな」
そう自分に言い聞かせながら、僕はひとり坂道を下った。
頭の中で彼女の声を探すけれど、耳に残っていた響きは次第に薄れていき、代わりに風の音ばかりが強くなった。
坂道を下る足取りは、いつもより重かった。
翌日。
昇降口には彼女がいた。
いつものように柱の影で待ち、僕を見つけて微笑む。
その光景に、胸の奥がじわりと温まる。
「昨日ね、急に誘われちゃってさ。ごめん」
「うん、気にしてないよ」
本当に、責める気持ちはなかった。
けれどその「気にしてないよ」という言葉は、僕が彼女にとっての「優先じゃない選択肢」になりつつあることを認めてしまう響きも含んでいた。
彼女はそんな僕の心を知らず、無邪気に今日の出来事を話し始める。
僕はいつものように相槌を打つ。
何も変わらないように見えて、その裏で少しずつ小さなひびが広がっていくのを感じていた。
三度目は、もっと自然にやってきた。
その日は彼女は友達と話し込んでいて、僕が昇降口に行ったときにはもう彼女の姿はなかった。
きっと気づかないうちに先に帰ったのだろう。
「……仕方ないよな」
そう呟きながら靴を履き替える。
教室や廊下で彼女が友達と一緒に笑っているのを見ていると、放課後に二人で帰る時間がどこか“余分”なものに思えてくる。
本当はその余分こそが、僕にとって一日のすべてを満たすものだったはずなのに。
次の日、彼女は何事もなかったように隣に立った。
僕の方を見て小さく手を振る。
その姿にホッとしながらも、昨日のひとりの帰り道が、胸のどこかに澱のように残っていた。
「ねえ、この前のテスト、どうだった?」
「……普通かな」
「普通って? 絶対良かったでしょ」
彼女は変わらない調子で話を広げてくれる。
その明るさに救われながらも、僕の心の奥では別の声が響いていた。
──昨日も、一昨日も。君は僕と一緒じゃなかった。
それを口にすることはできない。
彼女を責める権利なんてない。
僕たちはただ「偶然一緒に帰っている」だけの関係で、約束すらしていないのだから。
週の終わり。
また彼女はそこにいなかった。
今度は「ごめん」も「昨日ね」という言葉もなく、ただ時間が流れていくだけだった。
僕らの放課後は、いつからこんなに脆くなったんだろう。
交差点で別れるたびに感じていた痛みは、今では坂道を下る前から胸に広がるようになっていた。
彼女と一緒に歩くことは「特別」だったはずなのに、今では「もし一緒に帰れたら」という偶然に変わってしまった。
家に帰って机に向かうと、彼女と過ごした断片的な会話が頭の中で反響した。
「待った?」
「また明日」
「気にしてないよ」
一つひとつの言葉が、日ごとに薄れていく。
僕がしがみつこうとすればするほど、手のひらから砂が零れるように消えていく。
それでも僕は、翌日も昇降口に向かう。
そこに彼女がいるかどうかはわからない。
けれど確かめずにはいられなかった。
もしかしたら──今日こそ一緒に帰れるかもしれない。
そんな淡い希望に縋るように。
関係は壊れていない。
でも、揺らいでいる。
それを意識しているのは、きっと僕だけだ。
彼女はいつも通り笑い、僕の横で歩いてくれる。
それで十分幸せなはずなのに、その幸せが「永遠ではない」と気づいてしまった瞬間から、僕の胸には小さな棘が刺さり続けていた。
──この棘はきっと、これから少しずつ大きくなっていく。
そう直感した。
けれど、それを止める術を僕は持っていなかった。




