第304話 帝都決戦 四
その日、誰もが空を見上げた。
夕方の空を塞ぐような、黒い、黒い、黒い、数々の穴。
そこから降り注ぐ異形のモノども。
そして、表面を赤熱させながら落下してくる、人型の巨大な金属塊──
「トモリ様、いかがなさいますか!」
……そもそも。
氷邑トモリは、帝からの命令により、氷邑家領内に、《《帝都市民を受け入れる活動を進めていた》》。
それは異世界勇者・桜が『帝の命をいただきます』という宣戦布告状をよこしたからだ。
その布告状から分析すれば、帝都は真っ先に──帝が迎撃に失敗した際にはという意味だが──戦場になる可能性が高かった。
そこで、帝は氷邑家、七星家にとりあえず帝都民を避難させる提案をし、《《両輪》》たる氷邑・七星はそれを呑んだ、という前提がある。
毛利にも同じく要請を飛ばしたので、帝都民の何割かはそちらに向かっているが、なにぶん、氷邑領・七星領よりも毛利領は遠いため、『もしも、帝都が戦果に包まれ、その戦火が他の帝内地域の都にも延焼した場合の避難先』としての位置づけで、言い方は軽いが、帝都民からすれば『毛利領に回されたやつは、ハズレを引かされた』ぐらいの感覚だった。
そもそもにして、帝が出陣するとなった時点で、帝都民はその勝利を疑っていない。
なのでこの避難も『まあ、そうおっしゃるなら、おっしゃるようにいたしますが、大げさだな』ぐらいの感覚で捉えられていた。
……が、帝が戦端を開いていたあたりで、《《黄金の爆発》》が起こり……
それからほどなくして、破壊されたはずの墨俣一夜砲からの白色破壊光線がなぜか帝都の中から放たれ、南から飛来した巨大金属兵器──黄金龍がそれにより撃墜されかけている。
しかも天空には『異界との穴』が広がり、そこから異形の者どもがあふれてきている。
勝利を疑っていなかった、つまり『自分の足元や頭上にまで戦火が及ぶなどと思っていなかった』帝都民はこれに酷く混乱し、避難は事前の取り決め通りに進んでいる、と言い難い状況になった。
トモリの指示で氷邑家家臣団が奔走しているものの、『帝都民の避難』『上空で展開されたスタンピードへの対応』『墜落して来る黄金龍への対処』と、どれも《《武士団全部をフル稼働させて当たらねばならぬ危機》》であり、これらに同時に対処するのは、純粋に何もかもが足りていない。
氷邑家がこの状況であるから、七星家も恐らく似たような状況であろう。
こういう時に熚永家が残っていれば多少はマシだったかもしれない。……熚永家の領土は氷邑家のものとなったが、領土が増え、そこに代官を置き、その直下兵と民が増えたところで、いきなり代官や兵の練度が上がる、というわけではないのだ。トモリの足元以外の場所もまた、対応には苦慮していることだろう。
苦慮して当たり前だ。
これは未曾有の危機である。
トモリは、考える。
(どこにリソースを割くべきか)
武士団というマンパワーは限られている。
避難誘導──これは民が『大人しく、事前に言い含められた通り、きちんと列を乱さず行動してくれれば』という条件で、対応に当たっている武士団を引き揚げさせることが可能だ。
だが、『そんなこと』はあり得ないのだ。負けると思っていなかった帝が『負けたのではないか』と思われるような事態になり、空からスタンピードが始まり、黄金龍が降って来る。この状況で『事前に決めた通りに粛々と避難をする』などという度胸を民に求めるのは、酷であった。
避難誘導は『戦力』という意味ではさほど必要ないのだが、相手が民の集団であるだけに、細やかで寄り添った対応が求められる。そうしなければその後の治世に響く。
その後の治世を顧みない国家総動員をするのであればまた話が変わってくるかもしれないが、『民の生きる世のために戦う』のが武家というものだ。ゆえにこそ、民をないがしろにはできないし、民に敵視されるような行動もとりにくい。
スタンピード。
どうしようもない。
物量が多すぎる。ありえないことが起きすぎている。
避難誘導と別口でスタンピードから民を守る戦力が必要であり、上空に『穴』が空いている以上、根元を断つのも難しい。
実際、トモリのもとにもたらされた情報では、避難民の何割かがスタンピードによってわいてきた『異界のモノ』に包囲され孤立している状況がすでにできあがっている。
『民の生きる世のために戦う』原則に則れば、今、トモリのもとで待機している予備戦力を民の救出に向かわせるべきだが、そういう場当たり的な対処で最終的な生存者数がどうなるかは、試算せねばならない状況にあった。
それに何より、黄金龍の落下。
スタンピードからあふれ出る異界のモノへの対処は、強い武士を遊撃に回せばある程度は可能だ。
しかしあの巨大な質量が、何やら表面を融解させながら迫っているこの状況。あれは、武士団をまとめて待ち構えねば対処ができないし、対処しなければ、広い範囲が一気に被害に遭う。
三択、でさえなかった。
発生している問題が相互に絡み合って、十も百も一気に選択肢が増えていく。
限られたマンパワー。そして何より、限られた時間で正確な答えを出さねば、民が《《万単位で死ぬ》》。
トモリは、
「……夕山様をお連れし、領都屋敷を放棄します。忍軍の者ら、屋敷周辺の民の避難を急がせなさい。武士団、衝撃が屋敷の外に広がらぬよう、列を組み、対衝撃陣を布きなさい」
「あれはここに墜落すると!?」
「黄金龍は、ヨイチが救援要請をし南に向かいました。向こうで銀雪様と合流した可能性が高く、中に銀雪様がいらっしゃるものと考えます」
これは『それ以外の可能性を検討している時間がないので、そう決め打ちする』という意味だ。
「銀雪様であれば、墜落先には屋敷を選ばれるでしょう。……早く行動なさい!」
この決断は恐らく正しい、とトモリは思った。
だが──《《その次は》》?
とりあえず黄金龍墜落による『一気に被害が出る状況』を食い止めるための指示は出した。
しかし、その衝撃を受け止めるために武士団の少なくない数が行動不能に陥るだろう。さらに、忍軍を散らしてしまった。彼らの行動は早いとはいえ、連絡・偵察に使える者が指示をこなし戻るまでのわずかな時間で、状況は恐らくすさまじく変化をする。
民の避難を特別呼びかけず、現地で誘導に当たっている者を信じて任せ、忍軍は『耳目』としてここに置いておくべきだっただろうか?
忍軍を手放し、屋敷という『拠点』を犠牲にする判断は、次にどのような不利益を産むだろうか?
トモリは頭痛を覚えながら、複数の選択肢を同時並列的に検討していく。
……とはいえ、ここから先の思考は、黄金龍墜落による被害が最小限で抑えられた場合の話だ。
被害が甚大であったり、あるいは、落下地点が領都屋敷でなかったりした場合、トモリの考えはすべて無駄になるであろう。
……結果的に言えば。
トモリの考えは、すべて、無駄になった。
なぜなら──
「──黄金龍、上昇を確認!」
「……あの状態から?」
どう考えても墜落以外に未来がないのが、地上にいるトモリたちからもよくわかった。
墨俣一夜砲直撃、外装は無事だが、全体的にとろけて、制御系が生きているだけで奇跡、飛行のために必要なパーツ類は九割方破損、もうゆるやかに落下する以外にないとしか思われなかった。
だが、それが持ち直し……
しかも。
「ご、黄金龍、上昇し──《《スタンピードへの対処に当たり始めました》》!」
「馬鹿な」
思わずトモリは、まるで黄金龍を堕とした側みたいな言葉を口走ってしまった。
しかし実際、『馬鹿な』としか言えない。
あの状態から持ち直すだけでも奇跡。その上、戦える状況になっている?
何が起きているのか、わからない──
「──スタンピードが降ってきます!」
黄金龍に目と意識を奪われている間に、ついに、氷邑家領主屋敷のところへも、スタンピードの被害が降り注ぎ始める。
上空の穴からバラバラと落ちて来るのは──異海の連中。
氷邑家においてもっとも忌み嫌われる異世界人であり、トモリにとっても、梅雪の母である椿の死の遠因と思しき(トモリは事実は聞いていないが、振り返れば椿は異海関連の何かを治療しようと素材集めをしていたことはわかる)もの。
状況が二転三転し、トモリは対処に迷う。
黄金龍墜落はなかったが、領都屋敷放棄はまだ命令として通すのか。それとも撤回するのか。撤回するならば、守らせるのか。あるいは放棄を是とし、この場所を異海の者どもに明け渡すのか──
トモリはまだ判断に迷っている。
だから、その時トモリが継いだ言葉は、被害を計算して出した結論というよりは……
「──異海の者どもに、この氷邑の屋敷を渡してなるものか。残った者、応戦なさい!」
椿の居場所をアレに穢されたくなかった。
梅雪の母。トモリにとっては、姉のような人だった。
その人を殺し、銀雪の父の命を奪う遠因となった、海異のモノども。
それを前に、屋敷を放棄して撤退することを、トモリは、生理的に嫌ったのだ。
愚かな指示だとトモリは一瞬で後悔した。
守り切れない。ここを守り切るつもりでマンパワーを割けば、他がおろそかになる。
これは『民の生きる世のために戦う』武家の本懐に背く、あまりにもノスタルジックな決断だった。
……だが、結果として。
空から降り注ぐ海異のモノども。
それをまとめて断つ、銀の一閃。
黄金龍より飛び降りたその人は、長く、きらめく刀を振りながら、空でスタンピードのモノどもを斬り裂く。
氷邑家領主屋敷めがけて降りてこようとしていたモノらは、地上を踏むことなく粉々に砕かれ、そして、肉も残さず消えていく。
……黄金龍より飛び降りたその人が、着地した。
高度から見れば、あまりにも穏やかな着地だった。
その人は──
「留守役、ご苦労。状況はだいたいわかる」
偶然にも、空から、地上と空中の状況を俯瞰することができたゆえに、今、何が起きているのか。氷邑領に多くの民が流れ込み、その誘導が混沌としていることなどを、理解していた。
「民を屋敷に集めさせ、武士団を遣わして領内の異界勢力をしらみつぶしにさせなさい。屋敷の守護は……」
その人は、冷気を放つ長刀を空へと向けた。
「私が一人で請け負う」
黄金龍は再び羽ばたき、氷邑銀雪がかくして氷邑領都屋敷に着地した。
大人には大人の役目がある。
それは、『多くの人の命を守る』という、地味だが必要で、確実性が求められる仕事だ。
銀雪は落ちて来る異界のモノどもから一瞬だけ視線を逸らし、帝都の方を見た。
自分は盾である。
だが、帝都には、矛が──否、《《牙》》がいる。鋭く長い、竜頭に生えた、牙。
「お前が敵を倒すまで、この場所は私が守るよ。だから、安心して、背を気にせず戦いなさい。──梅雪」
決着までの領民の安全はかくして担保された。
あとは氷邑梅雪が、桜を殺すのみだ。




