第297話 遮那王親征 二
遮那の王は考える。
(ともすれば、私の治世は、『平穏に終わる』という道がなかったのやもしれぬ)
自分は決して自己評価の高い王ではないと、遮那の王──ようするに帝は、考えている。
だが、その上で、『卒のない人物である』という自己評価をしている。
実際にそうだ。遮那には卒がない。
なんでも出来た。なんでも覚えた。
もしもこの世代が『教科書通りのことをすべて百点満点で出来れば、平穏無事に終わる』という世代であった場合、今代の帝である遮那の王の時代は、後世、何も話題にのぼらぬ、そういう時代で終わったことだろう。
それは治世を預かる帝としては、百点満点だったということだ。
後世で話題にのぼるようなことなど、ない方がいい。誰もが振り返った時に、なんの印象も残していない。そういう治世が、遮那の理想であった。
だが、そうはならなかった。
遮那に卒はなかった。帝内地域をよく治め、民を苦しめることなく、しかし、おもねることもなく、王として完璧な立ち位置で、完璧なバランスの治世を行ってきた。
政治・人道に絶対的な完璧はなくとも、『用意出来る手札の中でこれ以上はないという役を作り続けることが出来た』といった意味での完璧というものは、確かにある。
遮那の王の治世はまさしくそういうものであった。
帝都騒乱までは、だ。
あそこですべてが狂った。ということは、だ。
(帝都騒乱に至る前に、どこかが狂っていた)
何かの大事件が表出したその瞬間に至る経緯。そのどこかで、何かが溜まっていた。
大事件というのはどれほど突発的に見えても、そのすべてが『溜まっていたものが勢いよく噴き出した』というものにしか過ぎないと遮那は考えている。
政治的な歪み、あるいは、民の不満。特に心の中にしかないものは、厄介だ。言語化出来ないような、『なんとなく、嫌な感じ』が積もり積もる──そういうのは為政者として最悪で、だからこそ、常に気を配るべきことだと理解していたし、そのようにしてきた、はずだった。
(私の半生を振り返るに、私自身に、瑕疵はなかった)
自分という存在に、ここまで時代が激動になるような理由はなかった。
ただし、自分のやり方には、問題があった。
……これは恐らく、熚永家が、謀反という最悪の手段をとってしまった理由と同じなのだ。
ようするに、この時代は、『教科書にないこと』が起こりすぎた。
たとえば身近で言えば、妹の夕山。
本人が色に溺れていたとか、多くの者に粉をかけていたとか、傲慢であったとかであれば、まだわかる。
だが夕山は大人しすぎ、引きこもりすぎ、そしてたまにおかしなことを言う、そういう子であった。
だというのに、夕山を巡って、多くの者が狂った。『こんなん、どうしろっていうんだ』という事象のうち一つである。
そして、氷邑梅雪。
氷邑家は、梅雪の父の銀雪の代、その父の桜雪、さらにその前まで遡っても、非常によく出来た当主たちが治めていた。
特に桜雪などは、『海異』で並ぶ者のない活躍をし、帝都の南を脅かした異海のモノどもから、帝都、帝内地域、もちろん氷邑領も含むその場所の土地と民心を大いに守護した。
まさに『盾の氷邑』として誇るべき武功である。
その息子の銀雪もまた、海異においては桜雪に随伴し、まだ年若かったが一部隊を指揮し、見事に軍忠状を彩る働きをした。
その後大きな事件はなく、武功を立てる機会はなかったものの、当主となってからの穏やかな活動は、まさしく能臣と呼ぶにふさわしいものであった。
……が、その息子の梅雪が誕生してから、おかしくなった。
梅雪が長じるにつれて『幼年であるから仕方ない』では済ませられない癇癪が増えていく。
これは当主の資質を疑う──というのがあらゆる者から言われても、銀雪は梅雪を当主にすると決めてまったく退かなかった。
何か考えがあるのかと思いきや、梅雪の増長は留まるところ知らない。銀雪が息子可愛さに狂った、というのは、銀雪がその妻と死別したこと、銀雪から梅雪の母への愛情の深さを思えば、当然の評価と言えよう。
多くの者が『家を滅ぼす当主』となった銀雪を見限った。
梅雪も教育によって立派な者になるかと思いきや、銀雪は半ば教育を放棄しているような様子で、氷邑家が急速に斜陽となり始めた……
が、急に変わった。
外部から見れば『剣聖シンコウの薫陶を受けた梅雪が、当主としての自覚に目覚めた』と思える時期が長かった。
とはいえそれは勘違いだった。剣聖シンコウの与えた影響が少なくないのは分析出来るが、そうではない、何か謎の理由で、変わった。人格の厄介さは変わらないが、何かが変わったのだ。
そしてその梅雪に、夕山が嫁いだ。
帝の周囲にいるおかしな人材のツートップがくっついたのである。
なので帝としてもこの二人の様子を注視させていたのだが、まあ、出るわ出るわ、『ちょっとそれ、聞いてない』という事件が……
改めて、遮那の王は、己という人物に瑕疵はなく、自分の政にそう大きな間違いはなかったと断言できる。
だが、世界の基準が変わっていった。
おまけに『氾濫の主人』の復活とかいう、『なんで、今……』みたいな事態まで起こり、こうしてネオアヅチから出てきた氾濫軍、その先手である明智光秀の水軍とにらみ合っている、という状況だ。
「遮那の王、船は本当によろしいのですか」
侍大将の問いかけに、遮那はうなずいた。
「いらない。どうにもあれは、無限増殖する異界の黒船のようだ。こちらは船を出すだけ損耗するのみ」
遮那はそこでつい、笑ってしまった。
自分の口から出た言葉があまりにもおかしかったからだ。
(『無限増殖する異界の黒船が、サイバネティック・ネオアヅチから発し、ドデカ湖に並んでいる。その船団の大将は明智光秀であり、背後には氾濫の主人がいる』。……まったくもって、おかしい。おかしすぎる、この状況)
まず、軍略に、『相手の船が無限増殖する場合の対処法』というものはない。
強いて言えば、相手の船団の規模がこちらよりもはるかに大きい場合の対処法というのが、近いか。
もちろん、相手の軍の規模がこちらよりはるかに大きい場合、戦わないのが最も良い対処法である。が、そうも言ってられない場合があるので、そういう時には、奇襲を行い、相手の列を乱し、大将首を獲るという方法が採用される。
特に遮那の先祖である、いわゆる『帝の祖』は、『少数で挑みかかり、多勢を打ち破る』とか、『あり得ない道を通って奇襲し、大将首を獲る』というような戦術を好んだ。
その戦術を『誰かにやらせる』ではなく、『陣頭指揮をとって自分がやる』というのもまた、帝の祖の特徴であろうか……
その戦術は帝の祖がまだ『帝』という立場についていなかったころのものであるから、まあ、当時の政府に反して戦いを繰り返していた悪党の頭目としては、そういうところで『男』を見せないと配下を従えられなかった、というのもあるだろうが……
遮那の意見は、少しばかり違う。
「侍大将よ」
「は」
遮那の視線は、昼の湖面、深い霧の中に浮かぶ、無数の黒船に釘付けだった。
「……相手が多勢、しかも、壊しても壊しても尽きぬ船を使ってこちらに渡って来る──この状況において。我々は湖畔か、あるいはもう少し後ろの布陣しやすい場所で待ち構え、船を降りた相手との野戦を行う。あるいは、出城にこもり、籠城戦を行う。これが、正しい。そうだな」
「は」
「我々がこうして湖畔に布陣しているのは、侵略軍を少しでも人里に近付けさせぬため。帝都騒乱の心の傷が癒えぬ民に、『帝の軍勢、ここにあり』と示す──そういう、政治的な効果も狙ってのこと。そうだな」
「は。ゆえにこそ、帝がこうして、最前線に布陣なさっておられるのです。その姿は、必ずや民心を照らす光となりましょう」
「うむ」
遮那は瞳を閉じて、考えた。
……自分の先祖。『帝の祖』と呼ばれた人物──
彼がなぜ、無茶な戦術を行ったか。
彼がなぜ、天才的な閃きで、多くの奇襲を成功させたか。
必要だったから?
……確かに、必要だった。そういう時代で、そういう状況だった。歴史書を読めば、そう思える。
だが、それは、現代、すでに『帝の祖が、帝の祖となった』という結論を知っている時代に、後からくっつけた理屈にしか過ぎないのではないか?
後世から見れば、祖の数々の、『無茶』としか思えない戦術は、『自分をリーダーだと強烈に示す』『相手の意表を突き弱点を急襲し、被害を少なく抑える』といった意味があったのだと、そう解釈できる。
しかし、その時代、その当時をリアルに生きていた人が、そこまで広く、そこまで未来の視点から物を考えて行動をするだろうか?
「……なぁ、侍大将。恐らくだが、氷邑の祖、道雪は、かなりの癇癪持ちだったのではなかろうか」
「……は? は。いえ、その……」
「そしてその性質は、受け継がれているのだと思う。……我らの血には、我らの祖の性質が宿っている。氷邑梅雪を見て、あるいは熚永平秀を見て、もしくは、七星件女を見て、そう思わされることがある」
「……」
「今、雲霞のごとき船団を見て、私も、私の血の中に、我が祖の性質を見たぞ」
「……素晴らしきことです。英雄にして偉大なる神君の性質を受け継いでおられるとは」
遮那はそこから先を言葉にしようとして、やめた。
現在の侍大将は『武辺者を崇め、英雄に憧れる』という、少年のような性質を持った者だ。
それが長じて、毛利からの救援を氷邑梅雪に伝える場で、梅雪に斬りかかりそうになった──
──この侍大将は、彼が『英雄』と認めた者を絶対的な正義視し、それを害する者を悪とみなさずにはいられない、そういうところがある。
だからこそ、前侍大将を殺した氷邑梅雪は、彼にとって絶対的な悪であり、絶対的な悪とは、何もかもが悪い者なのだ。
だから、遮那は、帝の祖を『英雄だ! 素晴らしい!』と語る彼には、到底、言えなかった。
なぜなら、遮那が感じた、『帝の祖から受け継がれた性質』は、そういったものではない。
この心に起こる気持ち。そもそも、今、この最前線に立つ理由。それらは、立派な言葉で飾り立てることこそできても、決して立派なものではないのだ。
遮那は、平穏な治世であれば、決して発見できなかったであろう、己の中に眠る衝動を見つけた。
そしてこれは、祖にも宿っていた性質だと、確信した。
それすなわち……
(『戦好き』。……なるほど、大軍を前に、どうしようもないほどの状況を前に──我が祖よ。あなたは、こんなにも、ワクワクしてしまったのですね。いてもたっても、いられなかったのですね。だから、最短距離で、無茶をしてでも、敵の軍に突っ込み、敵の大将と……語らいたかったのですね)
戦を前に高揚するのを、『戦を知らぬ、しかし、梅雪の活躍を聞かされ続けていたがゆえの、若さの発露』だと思い、抑え込もうとしてきた。
だが、無理そうだ。
遮那は、侍大将に語る。
「侍大将に問う。連中は、侵略者だ。船団を率い、我が領地に踏み込もうとしている。村を焼き、民を焼き、我が喉元に迫ろうとしている。そうだな」
「は。許しがたき者どもです」
「そういった連中にだ。我が領土の土を踏ませてやるのは、癪だな?」
「……は? は、は。そ、そうかもしれません」
「しかしだ。現実的に考えよう。氷邑梅雪や七星彦一からの報告にあった、無限増殖船団──これを前に、こちらの船を出しても、いたずらに損耗を被るだけ。そうだな」
「……は。であるから、水上戦を選ばぬご判断、まことに──」
「ならば、だ」
「……」
「そこにある船を使おう」
「………………は?」
「あるではないか、あんなにもたくさんの船が。──連中の、黒船が」
遮那は、剣をすらりと抜いた。
それは帝の祖が氾濫の主人との決戦の時に用いた、アメノハバキリではない。
出陣式の時に持っていたハバキリの模造品である七支刀はここにはない。
手にあるのは、反りの少ない、長さもやや短い、そういう刀……
帝の祖より伝わる『天狗の剣法』。その流派で本当に用いる、実戦用の刀である。
「侍大将に命じる。身の軽い者を集めよ」
「……な、何をなさるおつもりで?」
「何、簡単なことだった。船から船へと飛び移り、敵の大将の首を獲る。……我が血に眠る祖の軍法が、そうせよと啓示をくださったのだ」
「…………」
侍大将は、あぜんとしていた。
だが……
「……かしこまりました。あなた様を信じ、軍を率いるお手伝いをしている身。あなた様のご判断に従いましょう」
「助かる。では人を集め──八艘飛びと参ろうか」
かくして。
濃霧の中、無数の黒船。
そこへ向けて──
──遮那王が、進軍を開始した。




