第296話 遮那王親征 一
蒸気塔に宣戦布告文書が届けられた。
『これより、天下統一を開始いたします。
そのために、まずは──
──帝の命を、頂戴します。』
これは要約だ。手紙そのものの物言いは、有職故実──クサナギ大陸においては、『帝に関わる何かをする時の、古くからの決まり』に従ったものであり、相手にクサナギ大陸の伝統・文化に造詣の深い人物が加わったことを意味している。
異世界勇者はどうやら、優秀な事務官を手に入れているようだった。
優秀な事務方がいる場合といない場合では、まったく脅威度が異なる。
事務方がいない軍というのは兵糧も進軍計画も、籠城計画もない。そのために必要な人の管理・食料の管理の能力が低いからだ。
とはいえ異世界勇者・桜は、『単身にて軍隊』なので、それでも良かったが……
事務方がいることによって、『人』を使えるようになった。
大きな頭が一つだけの軍と、大きな頭の下に複数の小さな頭がある軍とでは、まるで違う。
桜は、『長』から、『師』になっている。
……あるいは。
『王』としての道を、歩み始めている、ようだった。
「もはや、一刻の猶予もならん。ネオアヅチに攻め入る」
これまでは『将来的に脅威となる可能性のあるならず者を排除する』という目的だった。
だが今、宣戦布告という形式をとったことにより、『脅威となる可能性』は『確定した脅威』に格上げされた。
やりやすくなる。
宣戦布告という行為によって、民や軍団長への説得の手間が減り、より多くの兵を動員しやすくなった。
かくして親征は始まる──
──はず、だったのだが。
「伝令!」
その時、宣戦布告文書を置いていた軍議の間に、一人の帝都警備隊が慌てて駆け込んできた。
その人物がもたらした情報は──
「氾濫の主人の侵攻、すでに始まっています!」
──宣戦布告文書が届けられたことによって、一つの勘違いがあった。
本来、宣戦布告とは、相手に『これから攻めます』と伝えて、それから、戦争のルールをすり合わせる段階が入るものだ。
宣戦布告を送りました。なので攻めます──などというのは、掟破りもいいところである。
……だが。
相手を本気で滅ぼして、後々の物言いが入らないようにするつもりであれば。
卑怯な振る舞いをしても、その後の統治に問題がないか──統治をするつもりがないのであれば。
『宣戦布告を送ったので、攻めます』という、宣戦布告の意味がない、あるいは、自己満足としてでしかない宣戦布告は起こり得る。
そして、桜は、自己満足の人だった。
……いや、それは正しくない。桜はどこまでも『他者満足』の人だ。言ってしまえば『何かを真剣になぞるが、なぞるだけの人』。
あの女の行為には信念がない。あるいは、真剣さがない。なぜなら、あの女がする『何か』は、すべて、『自分ではない誰かの願い』だからだ。
だから出来得る範囲でなぞる。なぞるが、そのなぞり方は雑だった。
今回の宣戦布告もまた、聞きかじった何かをなぞっているだけ、だったのだろう。
帝──遮那の王が呆然としたのは、ほんの一瞬だった。
「余、自ら先陣を切る。兵を集めよ」
宣戦布告がなされた事実を広める前の侵攻である。
これに帝が直接対応することの意味は大きい。
政治的にもそうだし……
民心の慰撫という意味でも、『急に来た連中に、帝が直接対応してくださった』という事実が与える安心感は、計り知れないだろう。
それは帝都騒乱の際に、結局、蒸気塔内部に引きこもったまますべてに終わられてしまったことへの後悔がとらせた選択でもある。
ここに集う者たちはみな、当時は今とは違う役職ではあったが、帝都騒乱の際に後手後手に回り苦杯を嘗めさせられた者たちだ。
それだけに、帝の決断に異を唱えることはできなかった。
かくして、親征が始まる、はずだったが──
──緒戦は、帝内地域の防衛戦となってしまった。




