第295話 桜と光秀
遮那の王──遮那光明尊というのが、現在の帝の正式な名である。
帝の祖が国を興して以来、その子孫たちは帝の血の神格化を進めた。
居城を迷宮のようにしてその最奥に帝を配置したり、帝の祖の正式な名を広めないことでその神聖さが祖よりあとの帝にも継がれることを望んだのだ。
「何故、帝を討たんとされるのでしょう」
金柑のヘアピンをした、四肢がサイバネ化された少女──明智光秀が問いかける。
そこはサイバネティックネオアヅチの居城──空中機動鉄鋼船『ギザン』の軍議の間である。
ネオアズチはクローン清州兵とサイバネ武将、そして空中を飛び回り警戒する機動要塞によってその武力を担保している。
……それでも、帝および氷邑、七星、熚永の四国連合には、進行を決意しなかった。
空を飛び回り砲撃する金属の塊程度では、優れた血筋の剣士を含む四国の連合を崩すには足りない──それがこのクサナギ大陸の常識である。
現在は熚永が潰え、この時──光秀らは知らないが──氷邑家もそのほとんどが国を出ている。
行動を起こすには絶好のチャンスだった。
そのチャンスを運命的にものにしようとしている異世界勇者・桜は、液晶タブレット軍議台に映された周辺地図を見ながら、少しだけ悩むそぶりを見せた。
それから、『たはは』というような笑顔を浮かべ、ポニーテールにした黒髪を梳きながら、照れたように、語る。
「私自身に、帝を攻める理由はないんだ」
「……理由もなく、あの大国と、『遮那の王』を敵に回す──と?」
「うん。……もちろん、願われたからさ。必死に叶えるよ。私を信じて、私に託してくれた人の願いを、きっと叶えてみせる。そのために、命懸けで、真剣に戦う。それは、間違ってない。でも……私は、帝に恨みもないし、帝の治世に不満みたいなものもないんだよね」
政治って言われても、よくわからないし、と桜は笑う。
光秀は困惑しつつも、すぐに理解する。
桜は『こういう人』だ。
だからこそ、藁にも縋る思いで、脳のサイバネ化から逃げて、ノブナガを倒そうとしていた自分に手を貸してくれたのだと。
……自分が脳をいじられてノブナガの操り人形とされる前に、なんのゆかりもなかったのに、助けてくれたのだと──そう、思った。
「……しかし、あなた自身に報酬がないというのは……承服いたしかねます」
光秀は長い黒髪を艶やかに伸ばした、生真面目な顔立ちの少女である。
その内面も顔立ちに似合って生真面目だ。……だからこそ、『脳改造で奴隷化する』というノブナガのやり方に、すさまじい嫌悪感を覚えたのだけれど。
桜は、笑う。
「報酬か。受け取った方がいいものだって、わかってはいるんだ。でも……あんまり……興味がわかないんだよね」
「……興味がわかない?」
「うん。……大事なものなのはわかるよ。何かを成したら、報酬を受け取る──受け取るべきだ。受け取らないと、後に続く人が、私を理由に『報酬をもらえない』っていうことが発生する……」
「……?」
「……どこから来た考え方なんだろうね? ははは……とにかくさ、『受け取るべきだ』っていうのは、わかるんだよ。でも、どうしても興味がわかなくて」
「……興味……まあ、確かに、『興味』の対象ではないかもしれませんが……生きるためには、必要なものだと思います」
「それもわかるんだけどさ──それで死んでもどうでもよくない?」
「…………はい?」
光秀は、さすがに目を丸く見開いて、驚きをあらわにした。
人間は生きたいものだ。
『生きるぞ!』と決意をしなくとも、デフォルトで人間には『生きる』という軸がある。
『死にたい』と思う者ももちろんいるが、それは『生きる』ことがデフォルトだからだ。だから、『生きる』というのはいちいち決意もしないし、頭にもよぎらない。
だから『生きるための手段を得なければならない』というのは、人がスタンダードに思うことだ。そのためには働きへの報酬がいる。行いへの報いがいる。
だが。
「飢えて、苦しんで、何もできなくなって死ぬ──それって、そんなに、悪いことかな?」
「……ええと」
「死んだらそこまででしょ」
「……それはそうですが」
「戦いの果てに死ぬのと、暮らしていく手段? がなくなって死ぬのと、その二つのどこが違うのかな。どっちも、託された願いを叶えられないで終わるっていうことに変わりはないよね」
「……託された願いを叶えんとするならば、生活をすべきで、生活のために、報酬を受け取るべきでは?」
「わかってるんだけどねー。興味がわかないのはどうしようもないよ」
「……」
「それにさ、あくまでも、人の願いを背負うのは、『生きる目標が欲しいから』なんだよね。面倒くさくなければ、生きるための努力もするし、報酬だって、受け取る。でも……気分が乗らない時はさ、全部がどうでもよくなるよね」
桜は、氷邑梅雪との戦い・対話を通して、己自身の言語化を進めていた。
そうしてたどり着いた。
自分は──
「どうでもよく、なりたくないな。できたらさ」
「……」
「世界は楽しいものだって、思いたいんだよ。人は、すごい。人の生きる世界は、すごい。人と関わって、人を通して夢を叶える。夢を持った人たちがたくさんいるこの世界は素晴らしいって──私は、そう思って死にたいんだ」
──人が、好きだ。
でも、人を好きだという気持ちに、『感情』がついてこない。
人を肯定したいという気持ちはあるのに、人の夢が満ちたこの世界で生きるのが、全然楽しくない。
「だから私は生きてる。楽しいっていう気持ちを知るために生きてる。……私は、脇役なんだ。夢も熱意も自分の中にはない、夢を叶えたがる人のたくさんいるこの世界の、脇役」
「そのようなことは……」
「ははは。別に脇役って、悪いことじゃないよ。……私自身のモチベーションがないすべてのものにおいて、私は間違いなく脇役だよ。あなたがノブナガに謀反をした時と同じようにね」
「……」
「あの謀反の主役はあなただった。……帝を倒すためにする行動の主役だって、私じゃない。私に願いをかけた人だ。私は、そういう人の願いのために命を懸けられることを、誇りに思ってる。だから、脇役は悪いものじゃないんだ。ただ、楽しいかどうか、まだわからないだけで」
「……そう、ですか」
光秀はただただ困惑していた。
わからなかった。目の前の人が。
ノブナガへの謀反は、『圧勝』ではなかった。
苦しみ、傷つき、死にかけながら成し遂げたものだ。自分はもちろん、桜も、苦しんだし、命懸けだった。
だからこそ、桜の言っていることがわからない。
……それでも。
「……それでも、私は、あなたに従います。あなたに助けられた恩を、返します。我が忠誠は、あなたに」
「それがあなたの願いなら、私はあなたの主人になるよ」
「……はい」
「あ、そうだ! 謀反を達成した時、どんな気持ちだった?」
「……ど、どんな気持ち……と仰られましても……」
「達成感はあった? 気持ちがいいものだった? 生きてる実感を得られた? 楽しかった?」
「……楽しい、という気持ちはありませんでした。安心はしました。気持ちが良いというよりは、『ああ、これで、脳を改造されて、無理矢理に従わされることはないんだ』という安心が勝っていて……達成感というよりは、本当に、安堵ですね」
「そっか」
「……ただ、生きている実感は、ありました」
「……」
「誰に侵害もされず、私は私の意思で進む方向を決められる──そういう、実感を得ました。それは、今も、私の中にあります」
「そっか」
桜は慈愛のこもった笑みを浮かべた。
──夢を叶えた時、生の実感を得られる。
それは桜にとって福音だった。
なぜなら。
「……梅雪を殺せば、私の人生はそこから始まるのかな」
「……桜殿?」
「ううん。なんでもない。……じゃ、とりあえず帝を倒そうか。あ、でも──宣戦布告ぐらいは、した方がいいよね」
「戦力差を考えれば、奇襲をすべきとは思いますが……」
「ええ? ダメだよそういうのは。私も一国一城の主になっちゃったし、どうにもネオアヅチも帝の家も正式な国家だし、ちゃんとした手順は踏まないと」
「……そういうものですか」
「うん」
「わかりました」
光秀は、桜のことを理解できない。
その行動原理も、行動指針も……己にどのようなマナーを課しているのか、どういうルールの中で生きているのか。さっぱりわからない。
だが、彼女は、自分を救った。
だから、自分は、彼女に従う。
……それは操り人形の生きざまではあった。
だが、根っこのところに、『自分で選んだ』という自覚がある。それだけで、何よりも、マシだった。
自分の人生を自分で決めた実感こそ、生きていくのにもっとも重要なものだ。
たとえ第三者から見て、『ノブナガがお前にさせようとしたことと、お前が桜にしていること、どのように違う』というものでも、そこに『自分で決めた実感がある』。だから、この人生は──
──自分のものだ。
なぜ生きているのか。生きる理由を己に問いかけるまでもなく、生まれ、育ち、生きている。
人生というのは、自分以外のものではありえない。
……桜にとっては、なんだか違うようだけれど。
(……私は、桜殿に従う。私が、そう決めた)
迷いはない。
誰かのために生きることが素晴らしいのは、光秀にとっての真実で……
恩返しが善なるものであるのもまた、真実だから。
どこまでも善。
が、ゆえに……
光秀は、忠臣となった。
なってしまった。




