田淵、再び
その週末、田淵から連絡が来た。
大学の軽音サークルの後輩で、就活のころ、俺に真っ直ぐ気持ちをぶつけてきた男だ。あのとき俺は、はっきりとは答えなかった。答えられなかった、が正しい。田淵はそれでも諦めず、月に一度はこうして律儀に連絡をくれる。しつこいわけじゃない。ただ、誠実なだけだ。だからこそ、たちが悪い。
駅前の居酒屋で向き合うと、田淵は少し大人びて見えた。就職して、営業で揉まれているという。顔つきが、学生のころより一段、締まっていた。
「熊沢さん、相変わらずすごいっすね。営業で無双してるって噂、こっちの会社まで届いてますよ。落ちない城を落とした女、って」
「尾ひれがつきすぎだ」俺は苦笑して、ビールを注いでやった。
近況を話し、仕事の愚痴を言い合い、昔のサークルの馬鹿話で笑う。気づけば二時間が過ぎていた。田淵は、話していて楽な相手だった。中身がおっさんだろうと何だろうと、こいつは俺という人間を、ちゃんと見ている気がする。
別れ際、田淵は少し改まって、まっすぐこちらを見た。
「……俺、まだ、諦めてないですから。熊沢さんのこと」
俺は、何も返せなかった。ただ、曖昧に笑って手を振った。
*
その夜、一人の部屋で、俺は珍しく眠れなかった。
田淵は、いいやつだ。真面目で、不器用で、俺の見てくれに惑わされず、俺の芯を見ようとしてくれる。情が、ないと言えば嘘になる。この半年、合コンクラッシャーと呼ばれ、同僚に避けられ、俺は自分で思っていた以上に、人肌の温度に飢えていたのかもしれない。誰かに真っ直ぐ想われることが、これほど胸に響くとは思わなかった。
一生、このまま女として、独身で生きていくのか。
四十六の中身で、二十三の女の体。元には戻れないと、研究所にも言われた。この先、五十年。誰とも寄り添わず、ただ数字だけを追って、一人で老いて、一人で死ぬのか。ふとそう考えると、胸の奥が、冷たくすくんだ。田淵の気持ちに応えられたら。そう思う瞬間が、確かに、ある。嘘じゃない。
だが。
*
俺は、暗い天井を見つめた。
応えるとは、どういうことか。その先には、避けて通れない一線がある。女として、男に抱かれること。
想像しかけただけで、全身が、本能のように拒絶した。中身は男だ。四十六年、男として生きてきた。頭では田淵を好ましく思えても、体を開いて男を受け入れることだけは、どうしても、受け入れられる気がしない。恋心と、その一線は、俺の中でまるで別の場所にある。心が頷いても、芯が首を横に振る。
これは、努力で乗り越えるべき壁なのか。それとも、越えてはいけない、俺という人間の背骨そのものなのか。いくら考えても、答えは出なかった。
就活のころ、俺は自分にこう言い聞かせた。処女だから無理なんだ、と。だが違う。処女かどうかの話じゃない。俺が、男だからだ。その一事は、この体になっても、一ミリも揺らいでいない。たぶん、死ぬまで揺らがない。
田淵、すまん。俺は心の中で呟いた。お前の気持ちは、本物だ。痛いほど伝わっている。だが俺の芯も、同じくらい、本物なんだ。
窓の外が、うっすら白んでいた。答えの出ない夜が、また一つ、静かに明けていった。




