貞操の危機、金的一閃
相沢が飲み物を買いに売店へ行って、俺は一人、パラソルの下に残った。
その隙を、さっきのバーベキューの男たちが突いてきた。四人。日焼けした、いかにも遊び慣れた風の連中だ。肩で風を切って近づいてくる。
「ねえ、一人? 俺らと飲もうよ」
「連れがいるんで」俺は短く断った。こういうのは、取り合わないのが一番だ。
だが男たちは引かなかった。一人が俺の手首を掴んで、「向こうに車あるから、ちょっとだけ」と引っ張る。残りが囲むように立って、浜の視線からこちらを隠す位置に動いた。手慣れている。これはナンパの形をした、連れ去りだ。断られる前提で、最初から力ずくのつもりでいる。
二十四年、修羅場はくぐってきた。酔客の喧嘩も、刃物を出すクレーマーも、体を張っていなしてきた。だが今の俺の体は、二十三の女だ。腕力じゃ、この四人には勝てない。背筋が一度、冷たくなった。久しぶりに味わう、本物の危機感だった。
*
掴まれた手を、俺は振り払わなかった。
振り払えば力比べになる。力比べなら負ける。逃げようと暴れても、この細腕じゃ引き戻されて終わりだ。だったら、相手の油断を作る。俺は逆に一歩、男の方へ身を寄せた。抵抗をやめたと見せる。相手が「お、その気か」とにやついて、掴む手の力をわずかに緩めた。その一瞬を、俺は待っていた。
俺は、腰の入った膝蹴りを、男の股間へ叩き込んだ。
二十四年、喧嘩の作法は体が覚えている。急所は、腕力の差を一発でひっくり返す。細腕でも、膝に体重を乗せれば威力は出る。男が声にならない悲鳴を上げて、膝から砂の上に崩れ落ちた。
「っ……な、何すんだこの女っ」
囲みが、崩れた一人に気を取られて一瞬ゆるむ。俺はその隙間を、迷わず走り抜けた。
*
売店の方へ全力で駆けると、戻ってきた相沢とちょうど出くわした。両手にジュースを抱えて、きょとんとしている。
「く、熊沢さん!?」
「走るぞ相沢。説明は後だ」
俺は相沢の腕を掴んで、人の多い海の家へ飛び込んだ。男たちは、人目の中までは追ってこなかった。卑怯な連中ほど、衆人環視に弱い。これも経験則だ。暗がりでは強気でも、明るい場所では途端に牙を引っ込める。
海の家の軒先で、俺はようやく足を止めた。心臓がまだ早鐘を打っている。相沢が、へたり込んだ俺を見て青い顔をした。
「今の、やばかったですよね。警察、呼びます?」
「大丈夫だ。一発、きっちり入れといた」俺は、まだ少し震える膝をさすって笑った。「……急所ってのはな、相沢。腕力の足りないやつに残された、最後の武器なんだ。覚えとけ」
相沢が、ぽかんと俺を見て、それから噴き出した。「熊沢さん、ほんとに何者なんですか……」
新人の女子社員だよ、と俺は答えた。中身は、修羅場四十六年分だ、と心の中で付け足して。
少し落ち着いてから、相沢が真顔になった。
「でも、怖くなかったんですか。四人もいたのに」
「怖かったよ」俺は正直に言った。「この体は、昔より、ずっと非力だからな。腕っぷしじゃ勝てない。だからこそ、頭を使うしかないんだ。相手の油断を待って、一点だけ、全力で突く」
言いながら、俺は自分の細い腕を見下ろした。昔なら、胸ぐらを掴んで押し返せた。今はそれができない。この半年で、俺は何度も、それを思い知らされてきた。力で守れない体で生きるというのは、こういうことだ。常に、頭で先回りして、危機を避け続ける。気の抜けない話だった。
「……でも、ちゃんと逃げ切ったじゃないですか」相沢が言った。「かっこよかったですよ、熊沢さん」
俺は笑った。かっこいい女子社員の中身が、金的を得意とする四十六のおっさんだと知ったら、相沢はどんな顔をするだろう。ジュースは、ぬるくなるまで、二人とも飲むのを忘れていた。




