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愛より先に牙が届いた夜

「キャンティ公爵家が、どうしてそこまでの資源を費やし、露見する危険まで冒して私を狙ったのか、どうにも理解できないのです」


ヒルダはエリカへ疑問を投げかけた。


「私が無事に子を産み、ヘクトール伯爵家が存続すれば、ハントは安心して去勢を受け、ヴィクトリア様の騎士として彼女の傍に仕えることができるでしょう?」


それとも、とヒルダは続ける。


「もしヴィクトリア様にまつわる醜聞をすべて消したいのであれば、なぜハントを殺さないのでしょう。周知の通り、彼はひどい船酔い持ちです。船上でうっかり海に落ちるくらい、いくらでも自然に見せかけられるはずです。彼を消してくだされば、私から感謝される可能性すらあったでしょうに」


「答えは簡単よ」


エリカは磁器の茶杯から一口茶を飲み、軽やかな口調で答えた。


「その決定を下したのはキャンティ公爵父子ではなく、ヴィクトリア本人だから」


「ヴィクトリア様が? なぜです?」


ヒルダは眉を寄せた。


これまで、ヒルダとヴィクトリアはほとんど会話らしい会話をしたことがなかった。


ハントと婚約してからも、ヒルダは自分が男爵家の娘である立場をよく理解していた。公爵令嬢であるヴィクトリアと同じ場にいる時は、常に静かに、淑女らしく、礼を崩さずに振る舞った。公爵令嬢の方から声をかけてこない限り、ヒルダから口を開くことは決してなかった。


ヴィクトリアは何度か、ヒルダの前でハントとの関係を誇示したことがある。

ハントから贈られた高価な品を見せたり、二人で茶を飲みに出かけた時のことや、街へ買い物に行った時のことを語ったり。


ヒルダはそのすべてを微笑んで聞き終えた。

それどころか、贈り物の美しさや、外出先の素晴らしさまで丁寧に褒めた。


そのうち、むしろヴィクトリアの方がヒルダを避けるようになった。

二人が顔を合わせる可能性のある場には、ほとんど姿を見せなくなったのである。


「ヴィクトリア付きの侍女の証言によれば、彼女は、自分がすでにソロモン王子の子を宿しているにもかかわらず、ハントには心身ともに自分へ忠誠を捧げ続けてほしかったようね」


ヴィクトリアは暗殺を確実に遂行させるため、リタール王国から連れてきた二人の腹心の侍女のうち一人を帰国させていた。


その侍女には、刺客たちと同行し、彼らが裏切らないか、あるいはヒルダの死を偽装しないかを確認させる役目があった。


暗殺が失敗した後、その侍女はヒルダの部下に捕らえられ、密かにエリカのもとへ送られた。

そして拷問と尋問を受けたのである。

侍女の証言によれば、ヴィクトリアは卒業の時点で、すでにハントへの未練をほとんど捨てていたらしい。


父が用意した未来――すなわち、大国の王太子へ嫁ぎ、未来の国王の母となる道に、彼女は強い興味を抱いていた。


同時に、あれほど自分に心酔していたハントなら、これまでのディマン王国後宮の守護騎士たちと同じように、自ら去勢を受けて王宮へ入り、自分とまだ生まれぬ子を忠実に守るものだと信じていた。


しかし、ハントはそうしなかった。

それは間違いなく、ヴィクトリアの自尊心を深く傷つけたのだろう。


「ハントが他の誰かを愛した? 誰をです? それが私と何の関係が?」


「ええと……おかしな話だとは分かっているのだけれど」


エリカは少し言いづらそうにした。


「ハントは、おそらく貴女を愛しているわ。少なくとも、彼自身はそう思っている」


「はあ?」


ヒルダは奇妙な声を漏らした。


その一瞬で、淑女としての教育がほとんど吹き飛んだ。


「聞いた話では、彼は今、毎日使館の部屋に閉じこもり、最低限の書類仕事だけをこなしているそうよ。暇な時間は小説ばかり読んでいるとか。内容は、冷酷な夫と優しい妻が、白い結婚や契約結婚から始まり、最後には互いを愛するようになる話ばかり」


「小説は現実ではありませんよ。理由もなく、誰がそんな男を愛するのですか」


ヒルダには、ハントの思考が本気で理解できなかった。


ハントが何かを誤解していることは知っていた。

彼は婚約以来、ヒルダが自分を熱烈に愛していると思い込んでいる。


だが、あの災厄のような新婚初夜。

その後の二度目の逃亡。


さらに、ノーマンに夫の役目を代行させるという宣言まで残しておいて、どうしてなおヒルダが自分を愛していると思えるのだろう。


学院時代、ヒルダもそうした類の小説を読んだことはあった。

その時から彼女には理解できなかった。

なぜ主人公の女性たちは、そんな男を愛せるのか。


ヒルダはハントのためにヘクトール伯爵家を管理した。

ハントが望んだ通り、ノーマンに役目を与えもした。


愛してはいない。

それでも伯爵夫人として、できることはした。


では、ハントはヒルダのために何をしたのか。


ノーマンを連れてきたこと。


その巡り合わせによって、結果的にヒルダと屋敷の者たちの命が救われたこと。

それ以外に、彼が努力したことなど思いつかなかった。


「ええ。でも、その区別がつかない人はいるのよ」


エリカはジェイソンを思い出していた。


政務で失敗してから、ジェイソンはずっと寝宮に閉じこもっている。


どうやら彼は、少年向けの冒険小説を読みすぎたらしい。


『仲間から追放されたけれど、実は俺の魔法が最強だった』というような物語を真に受け、自分がしばらく休めば王宮の政務が停滞し、やがて大臣たちが恭しく迎えに来ると思っているようだった。


だが現実には、面倒な国王がいない方が、物事はずっと円滑に進んでいた。


「キャンティ公爵父子は、昔から『ヴィクトリアが生まれた時に公爵夫人を死なせた』などという愚かな理由で、彼女と距離を置いていたと記憶しています。では、なぜ今回ヴィクトリア様はキャンティ家の精鋭を動かせたのですか?」


「公爵の弟と手を組んだのよ。公爵弟の妻は、生前のヴィクトリアの母親の親友だったそうなの」


エリカは静かに説明した。


「取り決めでは、公爵の弟は貴女の死を手土産として差し出す。その後、ヴィクトリアはソロモン王太子を説得し、自分が幼い頃から受けてきた虐待と冷遇を理由に、リタール王国へ正式な抗議を行わせる。そして現キャンティ公爵を糾弾し、公爵の弟を新しい当主に据えるつもりだった」


「公爵の弟だけではないわ。キャンティ家の中には、冷淡な現公爵や、今なお後継者を決められないあの兄弟についていくより、将来ディマン王国の王太后となる可能性の高いヴィクトリアへ賭けた方がよいと考える者も多い」


「どうやら私は、彼らの内輪争いに巻き込まれたようですね」


ヒルダはため息をついた。


「来週には新聞に載るでしょうね。キャンティ公爵がどれほど世論を押さえ込もうとしても、管理不行き届きの責任は免れない。裁判では貴女へ莫大な賠償金を吐き出すことになるでしょう。加えて今回の襲撃失敗で失った人員と資金。あの親子三人が互いを責め合い、騒ぎ立てる姿が目に浮かぶわ」


ヒルダとエリカは、その展開に満足していた。


その時、エリカはふと思い出したように口を開いた。


「ノーマンに速度魔法があることは分かりました。けれど、私が見た遺体の状態からすると、どうしてあのような傷がついたのか、やはり気になります」


ヒルダは、当時の状況を語り始めた。


侵入者たちは、本来ならヘクトール伯爵家の本家の者しか知らないはずの秘密通路を使っていた。

入口は、屋敷の外れにある使われなくなった古井戸。

そこからヘクトール伯爵家本邸の地下室の一室へと繋がっている。


深夜であれば、巡回中の衛兵でさえ地下室の異変には気づきにくい。


長年仕えている女中の一人によれば、ハントはかつてヴィクトリアが客として訪れた際、その秘密通路を彼女へ見せたことがあるという。


第一陣の刺客は囮だった。

彼らは大胆にも敷地の外壁を越えて侵入し、護衛たちの注意を引きつけ、できるだけ消耗戦に持ち込もうとした。

第二陣は秘密通路を通り、ヒルダのいる主寝室へ一直線に向かう手筈だった。


幸いにも、ヒルダ付きの侍女は警戒を怠っていなかった。

彼女が異変を察知したため、刺客たちは武器を抜く前にヒルダの嘯声魔法を受け、昏倒して戦闘不能となった。


だが、ヒルダが警戒を解こうとしたまさにその時。


彼女たちは気づいた。


それは第二陣ではなかった。


第三陣だったのだ。


本当の第二陣は、さらに早い時刻に秘密通路から屋敷へ入り込んでいた。

彼らは誰も見上げない廊下の天井裏に潜み、ヒルダが一日に一度しか使えない嘯声魔法を消耗するのを待っていた。


そして、その瞬間に攻撃を仕掛けたのである。


「それで?」


エリカが促す。


「それで、ノーマンが窓の外から飛び込んできて、刺客の一人の首に噛みつき、そのまま食い千切りました」


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