7、卵と玉子の二面性
「伊織、大変だ!」
日曜の昼下がり。
部屋で執筆に没頭していた俺の集中力を途切れさせたのは、浩太郎の鬼気迫った声だった。あまりにも突拍子のないその叫び声に苛立ちを覚えながら、居間に顔を出す。
「なんです、急に。」
息を切らしている浩太郎は、どうやら今帰ってきたところらしい。小脇には雑誌が挟まっている。
あれは確か、俺が以前取材を受けた雑誌と同じものだ。表紙を見るに、俺が出た回ではなさそうだが、浩太郎が雑誌を買うなんて珍しい。
「見て、見てコレ!」
浩太郎が俺の目の前に掲げた表紙を見て、顔をしかめた。その表紙には、氷海レオの盛りに盛った写真が登用されていた。
これを見せるために、ゾーンに入っていた俺の意識を引っこ抜いたとでも言うのだろうか。
「僕らの写真もあるんだ! インタビューもされた!」
「それを早く言ってください。」
強引に浩太郎から雑誌を取り上げ、ページをめくる。右上を三角に折られているページが目に留まり、広げて見ると、そこが該当のページだった。
『急上昇中の実力派ユニットを深掘り!』との大げさな題名と共に、浩太郎の写真が右ページを埋めていた。白いワイシャツの上に無造作に流れる銀髪が、随分と官能的に見えた。
ああ、そうか。浩太郎はそういうキャラでしたね。
「男前に見えますね、実物より。」
「ねー、カメラさん凄いよね。」
呑気に言う浩太郎の頭をぺしゃりと叩き、雑誌を返す。
「浩太郎とはまた別の魅力があると言ってるんです。…少し出てきます。」
「どこ行くの?」
「それを買いに。」
浩太郎はカバンからもう一冊の雑誌を取り出し、俺に手渡した。
「伊織の分もあるよ、貰ってきたから。」
「では、それは保存用にします。」
「なんでさ。そんなお金あるの?」
「…なめないで頂きたい。」
昨夜一瀬サンから届いたメールを表示し、浩太郎の目前に出した。活字の苦手な浩太郎は少し目を細めたが、数秒後にその目を最大限開かせた。
「執筆依頼⁈」
「ふっ、これで私もプーから脱却ですね。」
一瀬サンからのメールには、とある漫画作品の小説版を出版することに決まり、それの文章を担当して欲しいとの旨が書かれていた。アニメ化するほどの有名な漫画で、反応から察するに浩太郎も知っていそうだった。
「じゃ、今日はお祝いだ! ちょっと待ってて。」
玄関で靴を履く俺に続き、カバンと帽子を持った浩太郎が小走りで寄ってきた。
「本屋に行くだけですよ。」
「ついでに食材も買ってこよーよ。」
「なら、あなただけでスーパーに行ってください。」
「つれないなー。良いじゃん、今日くらい。」
浩太郎に両肩を掴まれたまま、家を出た。この辺りの本屋と言えば、近いのはデパートだろうか。鍵を掛ける浩太郎を置いて、デパートの方面に歩き出した。
今日は風がない分、昨日より暖かく感じる。吐く息が白くなったのを見て、顔が緩んだ。たまにはこうして息抜きするのも大切だな。
「置いてかないでよー。」
気づけば背後に浩太郎が立っていた。人が感傷に浸っているときに、風情がない声だな。
「どこの本屋さん?」
「少し歩いた所のデパートの。前にあなたのチョコを買ったところです。」
「ぅえ⁈」
横を歩く浩太郎の足が止まった。そこまで驚くことじゃないだろうに。
そういえば、チョコを渡したときもこんな反応をしていたような気がする。
「どうしました?」
浩太郎はスマホを少し覗き、首を振った。
「何でもなかった。行こ!」
「…?」
何だったんだ、今のは。
自分から言わないことを詮索する気にもなれないので、それ以上深掘りするのは止めた。
少し風が吹き始め、自然と肩が上がる。浩太郎を横目で見ると、息を大きく吐き、それが白く染まっている様子を楽しんでいた。
「子どもか。」
「え?」
「いえ、何でも。」
風に背中を押されること数分、前方にデパートが見えてきた。浩太郎はここら辺には初めて足を伸ばしたらしく、物珍しそうに辺りを見回している。恥ずかしいから止めてほしい。
「それで、何が食べたいんですか?」
「何って?」
「夕飯です。お祝いするんでしょう?」
「あー、考えてなかった。」
「なら、先に食品売り場に行っててください。俺は雑誌を買ってきます。」
デパートに到着して早々、浩太郎を一階に置いてエレベーターに乗った。本屋は確か、五階だったか。
五階のボタンに手を伸ばすと、後ろの男とぶつかった。
「あ、すみません。」
「いえ、こちらこそ…あれ、四季織先生⁈」
「え?」
そう言った男の顔には、どこか見覚えがあったような、なかったような、はっきりとは思い出せなかった。微妙な顔を見せた俺に対して、男は前髪を上げ口元を手で覆った。
「俺です、俺。以前チョコレートを買われたときに…」
「ああ、あなたでしたか。」
確かに、よく見るとあの日割引券を貰った店員だった。
キャスケットの中に隠していた髪はベージュ色で、男にしては長めで艶のある綺麗なものだった。マスクを外し、露わになった顔つきはやはり整っており、大きくぱっちり開いた目は女性ウケしそうだと感じる。
「先生は、今日はどちらに?」
他に乗客がいないことを確認してからエレベーターの扉を閉め、男に向き合った。
「本屋に。気になる雑誌がありまして。」
「え、先生、雑誌とか読まれるんですね。」
短い会話の間に五階に到着し、男に軽く会釈して本屋に向かった。
冷たい対応をしてしまっただろうか。だがしかし、素性も知れない人にプライベートを詮索されることほど苦痛なものはない。
目的の雑誌はすぐに見つかった。氷海レオの初表紙ということもあってか、雑誌は山のように積まれ、俺の前に数人の客が手に取っていた。
表紙だけで満足せず、ぜひ中身も見てほしいものだ。
『買えたのでそっちに向かいます。どこに居ますか。』
レジに並びながら打ったメッセージに、既読は付かなかった。雑誌の入った袋を受け取り、一階の食品売り場に向かう。スーパーよりも少しばかり広いが、平日の昼間で客が少ないため、歩き回っていれば合流できるだろう。
食品売り場に赴いた俺の目に浩太郎が映るまで、存外時間はかからなかった。奴は卵売り場の前に立っていた。今日の夕飯には卵を使いたいのだろうか。
近寄ると、誰かと話しているのが分かった。浩太郎の身体で相手は見えないが、浩太郎の低めの声が聞こえる。会話が終わるまで待っていようと思ったとき、浩太郎がこちらに気付き、彼の話し相手が顔を覗かせた。
「あ、伊織―」
「あれ、先生!」
「あ、あなた…」
浩太郎と話していたのは、先ほどエレベーターで相乗りした男だった。浩太郎とは知り合いのようだが、どういった繋がりがあるのだろうか。
「え、リオ、違うよ。この人は作家の…」
そこまで言って、男は口を抑えた。作家バレしないようにという気遣いか、浩太郎がアイドルのリオと知られないようにの事かは分からない、
が…待て、なぜこの男が、浩太郎の仕事の面を知っている。
「いや、ラオ、この人は―」
男は、今度は浩太郎の口を背伸びして抑え、俺に向かって取り繕ったような笑みを浮かべた。不格好な笑顔だが、テレビで見た顔に面影があった。
なぜ気づかなかったのだろうか。この男は、浩太郎の同僚、衣泉ラオじゃないか。
「…なるほど、そうですか。」
頭の中を整理し、焦り散らかす二人を前にため息を吐いた。それに反応して二人の肩が跳ねたのが、少し面白かった。
「私だけが全てを知っているのは不公平ですし、情報を共有しましょう。ただし、このことは他言無用と言うことで、良いですか?」
身長差が三十㎝はありそうな二人が顔を合わせ、同時に俺に向かって首を縦に振る。大型犬と小型犬の飼い主になったような気分だった。
それから、端的に状況を説明した。卵売り場の前で立ち話するような内容には到底思えないが、俺が話す内容も現実だとは思えなかった。
俺の同居人がアイドルで、その同僚アイドルがデパートでアルバイトしていて尚且つ俺のファンで、俺はただの一発屋の小説家。どこの漫画だ、と疑ってしまうくらいには出来すぎている。
「お前、同居人って四季織先生だったのかよ。」
「お前こそ、小説とか読むんだな。」
「と言うか、アイドルもアルバイトするんですね。」
「そこはまあ、世知辛い世の中ですから…」
「っつーか、今日ラジオ収録は?」
「やっべ!」
男―もとい衣泉ラオはスマホを取り出し、買い物カゴを背後のカゴ置き場に戻した。
「それじゃ、俺これで失礼します! リオもまたな!」
言い終わるが先か、走り出すが先か、数秒後には衣泉ラオの姿は見えなくなっていた。テレビでは可愛いふわふわキャラで売っているが、本人ははっきりものを言うタイプなんだな。
顔からは想像できないサッパリとした性格に、図らずとも高感度が上がった。
「不思議なこともあるもんですね。」
「ねえ、言って良かったのか? 伊織そういうの嫌いじゃ…」
「…今日は、卵ですか?」
気まずそうにしている浩太郎を前に、無理やり話を変えた。浩太郎はいつもより斜に構えているような佇まいだったが、カゴを強く握った後にいつもの調子に戻った。
「オムライス、食べたくて。」
「ふむ、丁度卵も安売りしてますし、良いですね。」
卵パックを二つ、浩太郎の持つカゴに入れた。後の材料は家にあったため、無駄遣いを阻止するためにレジに向かう。道中、「お祝いなんだからデザートもないと!」という浩太郎の言葉のままに、アイスコーナーに足を運んだ。
今日くらいは贅沢に、美味しいアイスを買ったって良いなと思ってしまった。
「ふー、歩いたねー!」
家に帰ると、往復で三十数分の道のりをいかにも大げさに浩太郎が言った。
…あなた、仕事でもっと動いてるでしょうに。
「作りますよ。」
ダラダラと支度をする浩太郎を急かし、夕飯の準備に入った。
お祝いと言うことなので存分に甘え、今日はチキンライスの素を使うことにしよう。冷凍ご飯を取り出し、レンジに入れたところで、部屋着に着替えた浩太郎がキッチンにやってきた。
「卵割ってください。チーズも入れます?」
「入れるー!」
嬉々としてエコバッグから卵を取り出している。一パックは冷蔵庫に入れ、もう片方から四つの卵を手に取った。
「卵って、二つ表記あるよね。あれ何で?」
作業台の下の収納からボウルを出しながら、減らない口が開いた。
「鶏卵に限りますが、一字だと調理前、二字だと調理後を指すようですよ。」
「…詳しいね」
「私も小学生の頃に気になって、調べたんです。」
「へー、そっか。…え、僕って小学生の伊織と同レベルってこと?」
何て返答するか迷っていると、浩太郎は静かに卵を割り始めた。静かすぎて怖くなるくらいに。いつもの調子とはまるで異なる様子は、失敗を必死に隠そうとしている子どものよう、で、
…ま、まさか。
「ね、ねえ伊織」
震えた声が聞こえてきた。ああ、少し目を離した隙に、何をやらかしたんだろうか。
「見て、コレ!」
予想と反する嬉々とした喋り方に、耳を疑った。浩太郎が指すものを見ると、ボウルの中に卵が二つ入っていた。二個連続で綺麗に割れたという報告だろうか。
そこまで料理下手キャラじゃないでしょうに。
呆れながら浩太郎の手元を見ると、卵の殻は一つ分だけだった。
「双子だよ、この卵!」
「え、凄い!」
浩太郎はポケットからスマホを取り出し、殻と共に写真を撮っていた。
「こっちが伊織で~、こっちが四季織かな。」
「下らない名前つけないでください。それを言うなら、浩太郎とリオで充分です。」
「充分って何だよ! じゃあ間を取って伊織と浩太郎!」
「同じ殻に入ってたんですよ、正気ですか⁈」
レンジが止まったのを合図に、俺たちはまたオムライス作りに戻った。
双子の卵で作ったオムライスは、普段の味と何ら変わりなかった。その卵はまるで、俺たちの願望を露わにしているようで、何の変哲もないその味に、ひどく安心したのだった。




