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6、辛い家と苦い家


「それじゃあ、行ってきます…」


「行ってらっしゃい! が、頑張って…!」


「…はい。あ、冷蔵庫にお昼ご飯、入れておきました。温めて食べてください。」


「えっ、ありがとう!」


「それから、今日あなたが頼んだ宅配便来ますから。出かけないでくださいね。」


「うん!」


「あと…」


 浩太郎(こうたろう)が玄関のドアを開け、強引に俺を押し出した。外の寒さとは別の寒気が、家を出た瞬間に襲ってきた。


「大丈夫だから、伊織(いおり)。早く帰ってきてね。」


「う…はい。行ってきます…。」


 無慈悲にもドアが閉められた。観念して歩き出すと、強い向かい風が吹いた。まるで俺をあそこに行かせないようにしているように。

 俺だって、逃げられるなら逃げたいさ。

 上着のポケットに地獄への片道切符が入っていることを確認し、再び駅へと歩き出した。二月も終わりに近づくが、寒さが和らぐ気配は一向にない。春が待ち遠しい。


 ピッ


 改札は問題なく開いてしまった。何かの手違いで、あいつが送ってきた切符が使えなければ良いのにと、幾度も思った。現実はどうも甘くないらしい。

 九時三十五分。新幹線が駅に到着した。降車する乗客を見送ってから乗り込み、切符に印刷された席に向かう。俺が乗った乗車口から六列目の座席に、随分懐かしい顔があった。


「よ、久しぶり。」


「久しぶりだな、愛助(あいすけ)。」


「荷物それだけ?」


 愛助が俺のショルダーバッグを指差した。中にはスマホと財布しか入れていない。


「長居する気はないからな。」


「はは、相変わらずだね。」


 ブランケットを膝に掛ける愛助の隣に、重い腰を下ろした。彼の足元にはキャリーケースと大きめのバッグが置かれており、随分と窮屈そうだった。上の棚に置けばいいものを。

 そう提案するのは癪だったので、何も言わなかった。


「兄貴は、帰るの何日ぶり?」


「俺は…五、六年くらいか。愛助は、ちょくちょく帰ってたんだろ?」


「んー、まあ。まだ、意地張ってるの?」


「…そうだな。」


 何となく目を合わせるのが気まずかった。愛助とは、前回俺が実家に帰ったぶりの再会。話したいことも聞きたいこともあったが、これからのことを考えると頭がうまく回らなかった。

 愛助との会話はそれきり。盛岡に着くまでの二時間と少しの間は、どこか息苦しかった。


 少しの間でも執筆しようとパソコンを開いたが、今にも親父の声が聞こえてきそうで、小説なんて書けたもんじゃなかった。新幹線は仙台に停車し、通路を挟んで隣の乗客が降りて行った。隣の愛助はいつの間にか寝ており、肩にもたれかかってきた。


「愛助、愛助。」


「んぁ…着いた?」


「あと一駅。」


 愛助はその場で大げさに伸びをした。ずり落ちたブランケットを拾い、バッグに仕舞う。ギリギリまで寝かせろ、とでも言うかと思った。


「トイレ行ってくる」


 あと十分もせずに到着、というときに、愛助が席を立った。なんてマイペースな男だ。浩太郎といい勝負だな。


「早く戻って来いよ。」


「分かってるって」


 しかし盛岡に到着しても愛助は席に戻って来ず、結局俺が奴の荷物を全部降車口まで持っていった。丁度俺が降りるときにトイレを出たから良いものの、乗り過ごしたらどうするつもりだったんだ。


「いやー、良かった、一緒に帰ってきて。父さんのおかげだね。」


「親父のせいだろ。」


「兄貴のおかげかもね。滅多に帰らないんだから。」


「ほっとけ。」


 今回の帰省だって、俺が進んでやったことじゃない。なかなか帰ってこない俺にしびれを切らした親父が、手紙と共に切符を送ってきやがった。愛助には切符だけだったようだが。


「お帰りなさい。」


 改札を抜けると、目の前に着物姿の女が立っていた。

 …親父のやつ、どれだけ俺を逃がしたくないんだ。


「ただいま戻りました、お母様。」


 愛助の大げさな挨拶を聞き、悪寒がした。

 実家に帰ってきたという実感が湧いてくる。今すぐにでも、帰りの新幹線に乗り込みたい。財布を入れたショルダーバッグを、強く掴んだ。


「ただいま。珍しいな、おふくろが出迎えなんて。」


 強がる俺の内情を知ってか知らずか、女は冷たい笑みを浮かべた。見た者の心を芯から凍えさせるようなこの目が、俺は苦手だ。


「久しぶりにあなたが帰ってくると聞いて。さ、行きましょう。」


 何も言い返せず、ただ女に付き従った。辺りは騒がしかったが、愛助のキャリーケースのキャスター音が、俺の耳に酷く障った。


「お帰りなさいませ。」


 母親の車に揺られること三十分、俺の実家に到着した。

 仰々しい外門が、母親の荒々しい運転で弱った俺の三半規管をさらに刺激した。吐き気を抑えながら門の前で車から降り、母親が外に立っていた執事に鍵を預けるのをただ見ていた。彼は黙ってそれを受け取り、車庫に戻しに動く。門が開き玄関口に向かう道中も、庭の掃除をするメイド達に頭を下げられた。彼女らの手によって、母親が手を煩わせることなく玄関の扉が開く。


 扉のすぐ向こうには、険しい顔の男が鎮座していた。


「お父様、お久しぶりです。」


 またわざとらしい挨拶をする愛助を横目に、男は俺をひと睨みした。母親に会ったことで削られた精神状態を悟られないよう、負けじと睨み返す。


「今度こそ帰ってきたか。」


「…ああ、お望み通りな。」


 男はわずかに眉毛を動かしたが、それを俺に悟られないようすぐに笑顔を繕った。あまりに不器用な一連の動作に、思わず舌打ちしそうになった。


「食堂に来なさい。話がある。」


 それだけ言うと、執事の手を借りて立ち上がり、杖をつきながら食堂の方に消えていった。もう早々に帰りたいが、両隣に母親と愛助、背後に先ほど車を預けた執事が立っており、逃げるに逃げられない。

 というか、この執事仕事早いな。


「ちぇ、俺は無視かよ。」


「お前が羨ましいよ。」


「…行きますよ。」


 母親に続き、長い廊下を進んだ。

 壁には点々と絵画が掛けられているが、これの価値を俺は知らないし知りたくもない。所々にある厳つい花瓶も、アイツが選んだのかと思うとセンスを疑う。


「お、兄さん久しぶり。」


 食堂に入ると、長い机の一番奥に親父が座っていた。机の左、真ん中ほどに座る女が、軽く手を振る。 

 随分皮肉っぽく聞こえ、母親との血のつながりを再確認した。


「久しぶり、(いつき)。」


 齋の正面の椅子に腰かけ、隣に愛助が続いた。齋の隣、親父に近い方には母親が座った。兄貴がいないと思ったが、そう言えば何年か前に結婚し、絶縁同然で婿にいったのを思い出した。

 末の弟はまだ高校生。今は学校だろうか。


「揃ったな。」


 親父がいやに重々しく言った。愛助は真面目な調子で聞いているが、俺はどうもそんな気分にはなれなかった。


「今日こそ話をつけるぞ、私の後継者について。」


 ああ、始まった。こうして兄妹を集めておきながら、明らかに俺に向けて言っている。

 皺だらけの垂れ下がった瞼を、力の限り引き上げた奥にある瞳が、俺を捉えている。別に後継者を話し合うのは良い。だが最初から俺に押し付けようとするその姿勢が気に入らない。


「相馬が婿に行った今、家を継ぐのは伊織が一番適している。くだらん反抗は辞めて、戻ってきたらどうだ。」


 親父にしては柔らかい物言いだった。そんなに切羽詰まっているのだろうか。

 心配しなくても、俺の隣に俺以上にやりたそうな適任者がいるぞ。


「俺にこだわる理由はなんだよ。当主候補なんて他に三人も居んだろうが。」


「女にこの家は継げん。愛助も要人も、上に立つには足らん。」


「何が。」


「何もかもだ。」


 そう言い切った親父に、カチンときた。どうせ俺が次男だからだろ。長男が出て行った今、家を継ぐのは次男であるべきとか思ってんだろうが。下らない考えだな。


「俺はやんないぜ。育成でもなんでもすれば良いだろ。それでも当主に向かないと思うなら、新しく子供を作るんだな。」


「お前、何だその言い方は! 目上は敬えとあれほど!」


 勢いで立ち上がった親父は、執事に支えられていた。もう自分で立つこともままならないのに、下らない意地を張って、俺が首を縦に振るのを待っている。

 実に哀れな男だ。


「だから、俺には向いてないって言ってんだろ。愛助はあんなに尻尾振ってるってのに、気付かないフリして。アンタ何がしたいんだ?」

 

 親父の顔はみるみるうちに赤黒くなった。目を充血させながら何か言いたげに震える姿は、流石に心配になった。


「父親に向かって、何だその言い方は…」


「それしか言えないのかよ。」


 ワゴンを引いてきたメイドが紅茶を準備する前に、席を立った。ここで飲む紅茶はどうにも不味い。扉に向かう俺を引き留める者はいなかった。親父を除いて。


「お前、一度名をはせたからと調子に乗っているな。物書きなんぞくだらないことは辞めて、神野の名を継げ。」


「いい加減諦めろよ。俺に拘ることもねぇ。ちったぁその薄い目でよく周りを見るんだな。」


 随分重く感じる扉を引き、親父のうめき声を無視して部屋を出た。


「俺は、いくら年上でも、尊敬してないヤツには敬語は使わねぇ。」


 言い終ると同時にバタンと扉が閉まり、それを合図に走り出した。こんな家、一秒だって長くいてやるものか。驚くメイドたちを横目に、家から三〇〇mほど離れた最寄りのバス停まで止まらなかった。

 慣れないことはするもんじゃないな。日々の運動不足が祟り、酸欠で今にも倒れそうだ。


 時刻表を見ていると、丁度バスがやってきた。予定より五分ほど遅れていたらしい。何にせよラッキーだった。バスで盛岡駅まで揺られる間、必死に息を整えた。

 よし、何とか乗り切った。財布の中に隠していた切符を取り出し、時間に余裕があることを確認する。親父が送ってきた切符は、帰りの新幹線も含まれていた。ただし、二日後の。急いで払い戻しに行き、もっと安い席を買った。おかげで少し儲けてやったぜ。


ブブッ


 改札を通る直前、スマホが微動した。齋かと思ったが、送り主は浩太郎だった。『お土産は甘いので良いよ!』だそう。文字列だけで口元が緩んだ。


『期待して待っててください』


『うわ、そう言うときってロクなことない』


『失礼ですね。お土産が、何でしたっけ?』


『う…買ってきてください!』


「ふっ」


 駅の構内、一人で笑ってしまい、思わず口を抑えた。お土産は、そうだな。かもめの玉子でも買って行ってやろうか。ほろ苦い、チョコのやつを。


 浩太郎へのお土産で、今回の俺の儲けは消えてしまった。だが、これをアイツと食べることを考えるだけで、お釣りがくる。きっと今日、俺らの家は、甘くほろ苦い家になるだろう。


 帰りの新幹線の中、電話をかけたい衝動を必死に抑え、夕飯の献立を考えた。


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