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4、ビターかミルクか。それが問題。


「期待外れですね。まさかあなたがそんな人だったなんて。」


「それはこっちのセリフだし!」


 いつもは自分に非があるため言い返さない浩太郎(こうたろう)も、今日に関しては珍しく食い下がる。だが俺も、譲る気はない。向き合って座る俺たちの間に、冬の寒さをも吹き飛ばすほど熱い火花が散った。

 事の発端は三時間ほど前。俺が一瀬(いちのせ)サンと別れるころまで遡る。


 ―三時間前、午後二時


「今日はバレンタインですね。」


「ああ、そうですね。…一瀬サンは、貰うご予定の方が?」


「はは、いませんよ、そんな人。四季(しき)先生こそ、どうなんですか?」


 一瀬サンが運転する車が、赤信号で停車した。ルームミラー越しに、眼鏡の向こう側の細い目と視線が交わる。

 雰囲気も相まって優しい顔立ちに見えるが、こうして目元だけを見ると、目付きがかなり鋭いことが分かる。俺の過去から何から全てを見透かしてきそうなこの目が、俺は少し苦手だ。


「いませんよ。残念ながら。」


 今日は、昼から本社で新刊の打ち合わせをしていた。一瀬サンが十四時半に別の作家との約束があると言うので、先ほど話をまとめて本社を後にした。偶然、その作家と俺の家が同じ方向だったため、最寄り駅まで一瀬サンに送ってもらうこととなったのだ。

 いやあ、これで七駅分の電車賃が浮いた。なんてありがたい。


「でも、同棲してらっしゃるんですよね? その方からは?」


「ははっ。いや、アイツはそんなの、気にするようなタマじゃないですよ。」


「そうですか。」


 一瀬サンは、俺が浩太郎―トラオルの鷹山(たかやま)リオと同居していることは知らない。なんなら、「同棲」と言うあたり相手を女性だと勘違いしていそうだ。

 面倒なので特に訂正もしないが。


「あ、ここで大丈夫です。」


「はい。」


 ナビを覗き見ると、最寄り駅は少しルートを外れたところにあった。分岐点で一瀬サンに声をかけ、道程のデパートの駐車場で降ろしてもらった。確かこのデパートは家から徒歩十五分ほどのところにあった気がする。気になっていたが、わざわざ徒歩で来るのが億劫で、未だに来たことが無かった。


「お疲れ様です。またメールしますので。」


「はい。わざわざ送っていただいて、ありがとうございました。」


 一瀬サンはぺこりと軽く頭を下げると、車を発進させた。


 電車賃が浮いたのは良いが、その分時間を持て余してしまった。

 元は三時に帰る予定だったが、それを聞いた浩太郎がその時間までリモート会議を入れていた。「汚い部屋を見せるわけにはいかないからリビングでやらせて欲しい」とのことで、それが終わるまでは家に帰れない。変に巻き込まれても癪だ。

 全く、普段から部屋を片付けないからこうなるんだ。


「お兄さん、チョコ、いかがです?」


 時間を潰すためにデパートに入ると、早々に店員に声を掛けられた。バレンタインフェアなるものを開催しているようで、豊富な種類のチョコが棚に並んでいた。

 たまには、イベントにかこつけて浩太郎に買って行っても良いかもしれないな。


「良いですね。」


 軽い気持ちで寄ったが、どれもこれも値段が一丁前だ。世間の若者も、こんなもの貰ったら、重くて食べられたもんじゃないだろ。


「今季で人気なのは、こちらの商品ですね。」


 店員の男が指さしたのは、七粒で三千円ほどのチョコレート。ふざけるなよ、俺がそんな小金持ちに見えるのか。


「安いので良いですよ。アイツは味の違いなんて分かりませんから。」


「そ、そうですか…? あの、間違ってたらすみません。」


「はい?」


 そこで、初めて店員と目が合った。俺が見ていなかっただけだが、チョコを売るだけにしては随分と顔が整っているように見えた。しかし不織布マスクとえんじ色のキャスケットを被っているため、はっきりとは判別できない。

 …あれ、この人、どこかで会ったか?


四季織(しきおり)先生ですか?」


「えっ!」


 声を潜めて至近距離でそう問う店員に、思わずのけぞった。

 こんな風に声を掛けられたのは初めてだ。


「やっぱり! 僕大ファンなんです、握手してください!」


「あ、ああ、勿論…。」


 上目遣いで爛々と目を輝かせる男に、悪い気はしなかった。

 だが、今まで出した著作は三冊ほどだと言うのに、大ファンとまで名乗る人がいるとは思わなかった。


「あ、そうだ。これ、差し上げます。」


 店員が胸ポケットから取り出したのは、一枚の紙切れ。


「ここの割引券です。他の店舗で五千円以上お買い上げのお客様に渡しているんですけど、先生も一枚よろしければ。あ、内緒ですよ。」


 それだけ言うと、店員は恥ずかしそうに他の客に絡みに行った。断る暇もなかった。割引券には、『バレンタインフェアでのお買い物50%OFF』とあった。

 随分気前のいいデパートだな。

 さすがに悪いので返そうとしたが、先ほどの店員は客の対応で忙しそうだった。


「…。」


 しかしこれ、本当に大丈夫なのか? 俺が使ったからって店員がクビになることがあったら申し訳が立たないぞ。

 店員が一瞬こちらを向き、親指を立てた。マスク越しのどや顔があまりにも板についているので、思わず笑ってしまった。

 そういう事なら、遠慮なく使わせてもらおうじゃないか。

 棚の前で数分吟味し、家族向けの大きいサイズのチョコを選んだ。比較的手ごろな価格に加え、アイツとも分けられるくらいには量が入っている。しかもミルクチョコ。

 これしかない。


「あれ、それにしたんですか?」


 レジに立っていたのは、先ほどの店員だった。

 俺の選んだチョコと割引券を受け取って、首を傾げている。


「あ、すみません。ビターチョコがお好きだと聞いていたので。彼女さんの好みですか?」


 ビターチョコが好きだと、この男に言っただろうか。と言うか俺はそもそも食の好みをひけらかすタイプでもないのだが。

 少し不気味に思ったが、割引券を貰った手前下手なことは言えなかった。


「同居人です、男の。大の甘党で。」


「そうでしたか! 僕の同僚もすっごい甘党ですよ。糖尿病になるぞってくらい。」


「はは、そうですか。同僚って、ここの?」


 店員はラッピングする手を止め、少したじろいだ。

 さっきから、なんか変な人だな。


「実は僕、バイトで。本業は別にやってるんです。そっちの同僚が…」


「ああ、なるほど。」


 言いにくそうな話題だったので、話を切り上げて紙袋を受け取った。男二人で食べると言うのに、随分丁寧な包装をしてくれたらしい。俺と話しながら、器用なものだ。


「ありがとうございました!」


 深くお辞儀する店員に会釈し、デパートを出た。自動ドアが開くとともに強い冷風が吹き込み、思わず身震いした。

 時刻は午後二時三十分。ゆっくり歩いて、途中コンビニにでも寄ろう。そうしたら丁度いい時間に帰れそうだ。





「戻りました。」


「ぅうえ⁈」


 ガシャンッ


「どうしました?」


 帰宅早々、慌てた様子の浩太郎と大きな音に出迎えられた。キッチンに続く扉を開けると、床には赤い液体が飛び散っていた。その傍らに、汚れたエプロンを着た浩太郎が立っている。


「大丈夫ですか、ケガは⁈」


「あ、大丈夫です…これ苺ソース。」


 急いで駆け寄った俺の心配をよそに、浩太郎は照れくさそうに頭を掻いた。

 無駄に心配させやがって。

 一気に肩の力が抜けるのを感じた。


「はあ、そうですか。珍しいですね、お菓子作りなんて。」


「そっちこそ早かったね。帰りは五時じゃなかった?」


 キッチンペーパーで床を拭きながら、浩太郎が言った。またベタな間違いをしていたようだ。作業スペースを見ないように、ソファーに腰掛けた。


「三時ですよ、十五時。あなたの勘違いです。」


「ありゃ、そっか。」


 コートを脱いで近くのハンガーにかけた。炬燵をつけるには及ばない気温だったので、代わりにテレビを付ける。

 特に気になる番組はやっていなかった。消そうか迷ったが、作業音が聞こえてくるのが気まずかったので付けたままにしておいた。


『―先生のお好きな食べ物は、』


「いおり、伊織(いおり)―」


「…はい。」


 激しく頭が揺さぶられ、目を開けると、空は赤く燃えていた。視界の端に浩太郎の騒々しい顔が映る。いつの間にか寝ていたようだ。


「はいっ、ハッピーバレンタイン!」


 ニマニマと笑う浩太郎の手には、正方形の箱に入った歪なチョコレートがあった。上にはココアパウダーが振りかけられている。生チョコ、だろうか。


「なんです、これ。」


「やだな、寝ぼけてんの? チョコに決まってんじゃん! 伊織の好きなビターチョコだよ。」


 これ、もしやさっき作っていたやつか? 俺はてっきり意中の女性にあげるもんだと…。


「ははっ、そりゃそうですね。」


 浩太郎のチョコを受け取り、隣に座った彼に先ほど買ってきたデパートの紙袋を渡した。


「じゃ、俺からも。ハッピーバレンタインってことで。」


「えー! あれ、このデパートって…」


 予想以上の驚きに、顔が緩んだ。デパートも知っているとは、こちらの方が驚きだ。てっきりそこら辺には興味がないのかと。

 浩太郎は紙袋の中を覗いて固まっていた。


「浩太郎?」


「コーヒー…。」


「ああ、途中のコンビニで買いました。チョコに合いますから。」


「はあ⁈」


 浩太郎は袋から取り出したコーヒーを、ドンッと机に置いた。

 俺が、チョコと共に買ってきたブラックコーヒー。これが、今日の争いの火種となった。





「あり得ない! チョコには紅茶が一番合うから!」


「あり得ないはこちらの台詞。チョコにはコーヒーが一番です。」


 机の上には、俺が買ってきたミルクチョコと、浩太郎が作ってくれた歪なビターチョコ。そして、カップに注がれた紅茶と缶コーヒー。

 まさかこんなことで対立する羽目になるとは。


「買ってきてくれてありがとう! いただきます!」


 律儀にそう叫んだ浩太郎は、ミルクチョコと紅茶を順番に口に含んだ。一口サイズのチョコなのに、器用に口の周りにチョコが付いている。


「作ってくださってどうもありがとう、頂きます!」


 俺も負けじと、チョコとコーヒーを交互に食べた。…うん、やはりこの組み合わせが一番だ。ビターチョコに紅茶など、合わせたこともない。


「やっぱ、チョコには紅茶だよ! ほら!」


 半ば意地になった浩太郎が、俺の口に強引にチョコを押し込んだ。続けて紅茶を流し込む。


「ごふっ…殺す気ですか⁉ …ん、美味いですね。」

「だろ⁈」


 やたら満足げな浩太郎の顔に、やけに腹が立った。仕返しにこちらもチョコを一かけら突っ込み、ブラックコーヒーを流し込んでやった。


「お返しです。子供舌の浩太郎には、この良さは分かりませんかね。」


 浩太郎がブラックコーヒーなんて飲んでいるところは見たことが無かったが、こちらもやけくそだった。俺の予想に反して、浩太郎は悪くないと言いたげな表情だった。


「何が『あり得ない』ですか! ちょっと良いかもって顔しやがって!」


 力任せに、ティッシュで浩太郎の口を拭った。何か喋りたそうにしているが、俺が口を塞いでいるせいで何も聞き取れなかった。


「ごめんってー。前はこんなじゃなかったんだよぉ。」


 口周りを赤くした浩太郎は、少し萎れて見えた。再びチョコに手を伸ばし、紅茶を頂いた。不思議なことに、さっきほどの美味しさは感じなかった。


「…あなた、いつもミルクチョコ食べてますよね。」


「当たり前じゃん。一番美味しいし。」


 一番という言葉に引っかかり、イラっとした。

 一番美味いのはビターチョコだ…と、この前はそれで言い合いになったっけな。


「じゃ、組み合わせの妙ですね。私はブラックコーヒーとビターチョコを合わせますから。」


「えっ⁈」


 浩太郎は再度コーヒーに手を伸ばした。二種類のチョコを食べ比べている。口いっぱいに頬張る姿は、見ていて飽きない。


「そう言えば、私言いましたっけ。ビターチョコが好きなこと。」


 浩太郎はおもむろに立ち上がり、彼の部屋に消えた。戻ってきた浩太郎の右手には、見覚えのある雑誌があった。


「これで見たんだ。取材されたの、言ってくれなかったじゃんね。」


「ああ、そんなこともありましたね。」


 俺がベストセラー本を生み出したころ、取材の申し込みが後を絶たない時期があった。一瀬サンにもせかされ、この雑誌にだけ許可したんだったか。すっかり忘れていた。


「よく見つけましたね、何も言わなかったのに。」


「僕の友達に、四季織…ふっ、先生が好きな子がいてね。教えてもらったんだ。」


 ほお、私のような者に、ファンが二人もいるとは。新しい発見だな。


「ホントだ、コーヒーと合わせるなら、ミルクチョコ単体くらい美味しいね!」


 雑誌をパラパラめくる横で、デリカシーのない発言が聞こえた。悪気の有無はとにかく、売られた喧嘩は買う性分だ。


「そこに直れ、思い知らせてやる!」

「それはこっちのセリフだ!」


 半日後、浩太郎が溢した紅茶が炬燵布団にかかったことで、この喧嘩はお開きとなった。

 奴のせいで、居間には紅茶の香りが微かに漂っていた。これなら、ミルクチョコを二人で分け合うのも悪くない。

 半分ほど残った浩太郎からのビターチョコは、冷蔵庫の俺専用スペースに、静かに置いてきた。


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