3、一人の夜に罪なマヨネーズ
『本日のゲストは、トラオルのお三方でーす!』
うーん、どうしたものか。
『よろしくお願いします! 三人で協力して、優勝目指すぞー!』
『おー!』
ここからの展開が、見せ場なんだが…。
『皆ダンス上手いし、運動神経良いんとちゃう!』
グウウゥゥ…
しまった、お腹が空いた。
すっかり夜も更けた丑三つ時、午前三時。今日の午後一時までの原稿がなかなか終わらず、残りのページ数はあと三ページ。早く終わるかと思ったが、思いっきり行き詰ってしまった。
この三時間で書けたのは、わずか五行だけ。今日ばかりは徹夜を余儀なくされている。
そんな日に限って、浩太郎はトラオルの合宿だとかで山梨に行っている。
いつも締め切り前にアイツが出してくれる甘すぎるココアが、とてつもなく恋しい。
『こん中だとリオが一番っすかね。』
作業のお供にと、先ほどから付けていたテレビが煩わしく感じてきた。流れているのは、以前トラオルが出演したスポーツ番組の録画。グループに分かれて各スポーツで競い、得た点数が最も高かったところが優勝という、シンプルな番組だ。
トラオルの中で一番運動神経が良いのは? という質問に、氷海レオが答えているところだった。
リオ―もとい浩太郎がそうなら、アイツが喋ればいいものを。
浩太郎がテレビに出ると言うから録画した番組だが、喋っているのはほぼ氷海レオである。需要が高いのもあるだろうが、一番は浩太郎のキャラ崩壊を防ぐためでもありそうだ。
すぐにボロを出すからな、アイツは。
『それじゃあ、最初の対決は―』
グウウゥゥ…
クソ、腹が減った。身体には良くないが、何か食べないと仕事が進まない。
キッチンの収納を漁ると、蓋に大きく「コウ」と書かれたカップ焼きそばがあった。浩太郎の物なんだろうが、他に今すぐ食べられるものが見つからない。料理も一手だが、今は一刻も早く執筆に戻りたい。
浩太郎が帰ってくるのは明日の夜だと言っていたし、仕事が終わり次第買ってくれば良いだろう。
ヤカンに水を注ぎ、火にかける。カップ焼きそばなんて何時ぶりだろうか。
沸騰した湯を容器に注ぎ、スマホのタイマーで三分計る。
テレビでは氷海レオがリフティング対決をしていた。
サッカーなら、浩太郎は全国レベルの高校でレギュラー入りしていたと記憶しているが。彼の技を見るに、サッカーは少しかじった程度だろう。本気で勝ちたいなら、そこは浩太郎に譲るべきだったのでは?
ピピピピ
「おっと」
タイマーを止め、容器の穴からお湯をシンクに流す。顔が湯気に覆われ、少し眠気が覚めてきた。
ベコンッ
「うおっ!」
シンクから大きな音が鳴り、麺を溢すところだった。何か、変なことをしただろうか。不安に思ったが、目の前の食欲には抗えなかった。ソースをまんべんなく散らし、冷蔵庫に寄り道してからソファーに腰掛けた。
「ふふふ…」
これは流石に身体に悪い。分かってはいるが、俺の手を止める者はいない。
光沢のある茶色の麵の上に、勢いよく黄色い液体をぶっかける。
そうそう、これこれ。やっぱり、焼きそばにはマヨネーズがないと!
「美味い…」
深夜のカップ焼きそばとは、罪深いものだ…。麺の上で輝くマヨネーズはまさに重犯だな。
塩味のソースと酸味の効いたマヨネーズが、驚くほど調和している。寒さがより一層厳しくなる深夜だからこそ、輝く組み合わせだ。
『おい、リオ! 頑張れ!』
今度はストラックアウトに挑戦する浩太郎の姿が映されていた。野球をやったことが無い浩太郎は当然、苦戦している。残り三球で、当てられているのは五と八の板のみ。投げられるのは十五球と、少し優しめの設定らしい。
プロ野球を見て「打球? ってさ、蹴ったら骨折れそうだよね」とか言ってた浩太郎にしては、健闘している方だと思う。
『結果はー、四枚! これは厳しいかっ?』
無神経に盛り上げようとする司会に、腹が立った。横で浩太郎の肩を叩き励ましている氷海レオにもだ。
「ん?」
ほんの一瞬、氷海レオのことを物凄い形相で睨む衣泉ラオの姿が見えた。巻き戻して一時停止すると、やはり恐ろしい顔をしている。確か衣泉ラオは、小柄でトラオル最年少メンバー。持ち前の顔を活かして、可愛いキャラを売りにしていたはず。てっきりメンバー内は仲が良いのかと思っていたが、そうではないらしいな。芸能人も色々大変だな。
気付けば焼きそばは残り一口になっていた。途中から味を良く覚えていない。それもこれも、全部氷海レオのせいにしておこう。焼きそばの容器を片付け、再びパソコンに向き合った。テレビは、流石に鬱陶しくなったので消した。
不気味なくらい静かな夜が、俺を襲ってきた。今にも浩太郎のイビキが聞こえてきそうだ。
いや、俺が起きていたらきっと、「お腹空いたー」とか言って夜食を作りに来る。俺の分も一緒に。そして毎回必ず、砂糖を加えた温かいココアを淹れてくれる。
…そうか、浩太郎がいないからか。昔から俺は静かな場所を好んでいると思っていたが、どうやら変わったらしい。あんなに騒々しい同居人がいれば、慣れるのも当然か。
ピロンッ
唐突に、スマホにメールが届いた。差出人は…
「チッ」
あいつか。連絡先を変えてから、番号は教えてないはずだ。愛助か、斎あたりが教えたか。本当に、しつこい奴だ。一週間ほど前にいきなり野菜を送ってきたと思えば、今度はメール。何の話かは分かり切っている。
跡継ぎなら、テメェでいくつもこさえただろうに。
プルルルル…
メールをゴミ箱に入れ、電源を切るか迷っていると、電話がかかってきた。
しまった、電話番号まで手に入れていたのか。
急いで電源ボタンに手をかけたとき、相手の名前が表示された。そこには「浩太郎」とあった。
なんだ、お前か。こんな時間まで起きてるなんて、合宿で何をやってるんだ?
「もしもし?」
『もっしもーし!』
耳元に大音量の声が響いた。思わずスマホを耳から離す。
「どうしました、急に。」
『んー、別に。掛けたくなっただけ。あ、寝てた⁈』
「や、起きてたよ。締め切りが近いんです。」
『良かったー…ん、良くないのか? 邪魔しちゃったよね。』
顔が見えない分、何を考えているか分からない。さっきから妙に気遣いしてきやがって、気味が悪い。
「大丈夫です、休憩してたので。…合宿は、どうですか?」
浩太郎の声が聞こえなくなった。後ろから物音も聞こえないし、他のメンバーはもう寝てるのだろうか。
『楽し…い、けど。うーん、って感じ。』
「何ですか、それ。」
『なんか…、レオは相変わらず完璧人だし、ラオは歌めっちゃ上手いし。じゃ、僕は? …って感じだね。』
なるほど、落ち込んでいたわけか。他を褒めるのも良いが、浩太郎も運動神経は良いし、三人の中では一番ダンスにキレがある。気付いていないのか、自己評価が低いのか…。
『マネージャーにも言われたよ。普通に良いですねって。』
「ふっ。普通ね。」
『え、今笑うトコ⁈』
マネージャーも、メンバーも、見る目がないな。こんな時間まで起きていたということは、多分自主練でもしていたんだろう。そもそもコイツは覚えが悪いから、ダンス一曲覚えるのに相当な練習を積んでいる。浩太郎の魅力はそこにあると言うのに。
「すみません。明日も練習するんでしょう? 今日はそのくらいにして、さっさとシャワーを浴びて寝てください。」
『はいはい、お母さんみたい。って、なんで知ってるの⁈』
「誰がお母さんですか。」
『そうじゃなくて!』
「あー、実は、あなたのスマホのカメラはハッキング済みでしてね―」
『ええっ⁈』
「ふっ、冗談ですよ。」
向こう側から愉快な笑い声が聞こえた。こんな深夜に、わざわざ電話で何をやっているんだと恥ずかしくなってきた。
『…ねえ、』
「はい。」
『明後日のお昼に帰るからさ、一緒に食べたいものがあるんだけど。』
「なんです?」
『カップ焼きそば!』
なっ⁈ ま、まさかさっき食べたやつか? いや、あれは一人前の商品。それをわざわざ分け合うなんてこっ恥ずかしいことやるわけが…
『買ったのは一人前なんだけどさ。美味しそうなカサ増しアレンジ見つけたから、食べたいなって思って!』
「あぁ…」
『ダメ?』
「あ、だ大丈夫です。楽しみにしておきますね…」
『うん! じゃ、おやすみー』
「おやすみなさい…」
やってしまった。まさかそんなに大事なモノだったとは。明日急いで同じものを買って来よう。そして筆跡を似せて名前も書いておかねば。
スマホをソファーに放り投げ、再びテレビを付けた。先ほどの録画の続きから流れている。相変わらず司会にも氷海レオにも腹が立つし、リオ、ラオは空気のような扱いを受けている。
だが、浩太郎と話した後だと、特別感が増したように思ってしまった。こんな扱いを受けている浩太郎の私生活は、俺が一番知っている。俺だけが。
そう考えると、どこか誇らしくなるのだった。
「ふむ…」
よし、良い案が浮かんできた。やはり騒がしい中での作業が、俺には合ってるのかもしれない。脂っこい口内に、ココアの風味が広がったような気がした。
あんなに手こずっていた原稿は、それから二時間ほどで書き上げられた。空には太陽が昇り始め、日が差し込む居間に少し温もりが帰ってきたように感じる。
さて、これを一瀬サンに送って、返信が来たら少し寝るとするか。大人になったら夜更かしが堪える、まったく。
焼きそばを食べたことがバレないよう、窓を開けて換気をした。冷たい風を身体で受け止めながら、ソファーにもファブリーズを吹きかけた。こんなことをしなくてもバレないとは思うが、どうも良心が痛む。
『原稿、受け取りました。』
早朝にも関わらず、一瀬サンからの返信は早かった。もしかして、ずっと待ってたんだろうか。彼からのメールを見ると、急激に眠気が襲ってきた。今日はまだアイツも帰ってこないし、ソファーで寝るか。
翌日、ゴミを出し忘れた俺が浩太郎から叱責されるのを、この時の俺は知る由もない。




