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アシュタルテと砂漠の女王  作者: ヤマモト マルタ
第四章 要塞都市
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3 夜会

 マドカリブの姪シャリマとして、シャールは館の人々に紹介された。

 家人にはシャールの顔を覚えている者もいる。とりあえず素性は隠すが、知っている者は仕方がない、という大雑把な扱いだ。


 その日は早々に与えられた個室に引き下がり、久しぶりに柔らかい寝具に横たわった。


 疲れていたのに深夜に目覚めてしまい、寒さに震えながら夜明けを眺めてから、二度寝した。


 昼食の後、誘われるままに館の二階の露台に出た。そこからは雨水を溜める円い池が見下ろせた。岩山をくり抜いた穴の縁に、膝ぐらいの高さまで石が積まれている。


 リッダには大小の溜め池が各所に作られているが、雨季に降った水はもう残っていない。人々は山を下りて、井戸まで水を汲みに行かなければならない。乾季のリッダでは、水瓶や水袋を積んだ驢馬ロバ騾馬ラバが、山道を頻繁に行き交うことになる。


 水のない溜め池の中央で、二人の男が闘っていた。その周りには大勢の人々が集まり、縁石に腰掛けたり、池の中で立ったまま見物していた。


(今日は請願日だったか……)


 リッダでは請願日に請願は行われず、剣や素手の武闘試合が行われる。勝てば褒賞が出るが、試合に参加する者の目的はリッダにおける名誉と序列だ。要するに強い者ほど偉いので、傭兵部隊に参加した時などに重要な役目に就ける。


「おまえが見ているので張り切っているようだぞ」


 横に立つマドカリブが、試合から目を離さずに言った。リッダの猛者たちを退しりぞけて、若いアムアナスが勝ち残っていた。


「まさか、そんなこと……首長の息子としての自負でしょう」


 アムアナスは必死に戦い、苦労して勝ちを拾っていた。対戦者たちが手加減しているようには見えなかった。


 結婚の話は、突然のことだったので保留にしてある。だが冷静に考えれば悪い話ではない。結婚すればリッダの後ろ盾を得られる。アムアナスとは旧知の間柄で、気心も知れていた。


 対戦が進み、優勝者を決める最後の試合になった。勝ち進んだアムアナスの相手は、恰幅の良い初老の男だった。薄赤のドゥループで頭を包んでいる。身なりはリッダの男たちと変わらないが、雰囲気が違う。異国人かもしれない。


 初老の男は強かった。


 だが、なぜ強いのか、シャールにはさっぱりわからなかった。鈍重そうで、あまり動かない。アムアナスの方が余程速く動き、男の周囲を巡りつつ剣を繰り出している。しかし、何故か簡単に受け流され、その後、首に刃を突き付けられた。その動作も、おっとりしているように見える。


 勝者が決まると見物人の輪が崩れ、戦いの終わった戦士たちを取り囲み祝福する。この後は食事をしたり酒を飲んだりしながら、今日の試合を振り返り意見を闘わせるのが男たちの楽しみだ。


 露台からその様子を見下ろしていると、楽しげな笑い声と共に、背後からドカドカと足音が近づいてきた。


「父上、負けました! 完敗です!」


 屈託のない笑顔のアムアナスと、対戦相手の初老の男が立っていた。二人は顔見知りのようだ。


「負けて喜ぶ奴がいるか!」

 マドカリブは怒鳴ったが、顔は笑っている。


「すまん、ご子息に華を持たせたかったが、手加減するには強すぎてな。本気になってしもうた」


 初老の男はドゥループを外し、短く刈り込んだ白髪混じりの頭をツルリと撫でた。


「いや、上には上がいることを教えてもらえて良かった。若いうちに勝ちすぎると、結局早死にする」


 男はシャールの前に立つと、無骨な見かけによらず宮廷風の挨拶をした。マドカリブがシャールを紹介する。


「姪のシャリマだ。こちらは古くからのおれの友人、今はアズラッドの提督に出世したアズベハ殿だ」





 リッダでは傭兵として外に出ている者が多いが、故郷への忠誠心は厚く、糾合すれば強兵揃いの軍団になる。リッダの軍事力を目当てに、長年シェルバとアズラッドは国境に位置するリッダを取り合い、駆け引きを繰り返してきた。そして今のリッダはシェルバ側にある。マドカリブの姉であるシャールの母が、シェルバの王に嫁いだからだ。


「アズラッドの……?」


「心配なさるな、姫様。もう老いぼれでな、昔が懐かしくなって旧友を訪ねてきただけのこと」


 両目が離れ気味で、なんだか魚を連想させる顔だった。だが、ニパッと口を開けて笑うと、妙に親しみを感じさせる。シャールは曖昧に笑顔を返す。


「優勝しておいて、何が老いぼれだ」


 マドカリブがアズベハの肩を叩き、酒の並んだテーブルの方へうながした。


「アズベハ殿の強さの秘密をお聞きしたい」


 アムアナスが、それを追いかけ熱心に尋ねている。シャールには目もくれない。アズベハは一つ一つ丁寧に答えていた。


「年を取って昔のようには動けなくなった……だから最短距離で動くのだ……するとな、段々と球の動きになってくる……」


 マドカリブの配下の男たちも加わって、武術談義が熱を帯びてくる。マドカリブの妻である叔母のアミナが気を利かせて、途方に暮れたシャールをその場から助け出してくれた。


 マドカリブとアズベハの友情は本物のようだ。だがアズラッドの提督がリッダにいる理由を、シャールは言葉通りには受け取れなかった。





 アミナに誘われ、シャールは夜会に参加することにした。


 アミナの親戚や友人の集まりだが、夜会には既婚の女だけが参加する。シャールは未婚だが、ある程度年を取っていれば主催者次第で招待される。あまり気乗りがしなかったが、シャールの窮状を知っている叔母が気晴らしに呼んでくれたのだ。無下にはできない。


 軽い夕食の後、月の見える涸れた溜め池に絨毯を敷き、岩山を背に台所代わりの天幕テントを張る。時々誰かの息子や娘が来ては、お茶やコーヒー、お菓子などを用意してくれる。参加者の女たちは、今夜は働かない。


 シャールの正体を知る者は少ないが、彼らが国王に対して萎縮している気配が伝わり、女たちはシャールに遠慮気味だった。


 最初のうちは、それぞれ自己紹介しながら自分の近況などを話す。自分のことを話せないシャールは、なるべく聞き役になるよう努めた。国王の仕事は人の要望を聞くことばかりだったので慣れたものだ。


 乳香が焚かれ、甘く落ち着いた樹脂の香りに包まれると気持ちもほぐれ、当然のように未婚のシャールに話題が集まった。


「なぜ結婚しないの?」

「いい人いないの?」


 アムアナスとの結婚を勧められていることは秘密だ。


「顔が良くても、あっちが下手では困る。両方良くて、腕も立ち、金回りも良い男を探しているのだ」


 シャールの返事に、女たちは目を丸くした。


「贅沢ねえ!」

「そんな男いるわけないでしょ」


 もちろん女たちも冗談だと理解しているが、下世話な話題にも気軽に乗ってくれる相手だとわかると、途端に会話が盛り上がった。


「馴染みの男はいるんでしょ?」

「そりゃいるさ。せっかく夫がいないんだ。愛人の二、三人いなくてどうする」

「誰? 召使い?」

「召使いとは寝ない。つけ上がるからね」

「じゃあ、誰とすんのさ」

「一時雇いの踊り手や傭兵などがよい。後腐れないし、体も鍛えている。この街にも、なかなか良い男がいるな」


 女たちがはしゃぐ。顔が赤い。シャールも気分が高揚し、調子に乗って有ること無いこと喋った。


「あたしのいい人は取らないでおくれ」

「うちの夫なら安くしとくよ」


(ああ、そうか)


 お茶に入れる山羊のミルクが、アラックに替わっている。アラックは発酵したナツメヤシから造られる蒸留酒だが、水に混ぜると白濁する。


 かつて教えられた性技をいくつか紹介すると、皆は驚き、尊敬の目でシャールを見た。


「……この溝のところにな、舌先を這わすのじゃ」


 具体的に手振りも交えて話すと、皆が真似をして舌を出し、隣の者と目が合うと吹き出して笑った。


 誰かが歌い始めた。


 昔からある恋の歌だが、歌詞はつやっぽい内容に変えられている。即興で誰かの名前を入れ、一人の女を皆が指差してはやし立てた。


 歌が一節終わると、指差された女が立ち上がり、また歌詞を変えて続きを歌った。


 そうして次々歌い続けているうちに、いつの間にか別の曲になっている。


 髪が真っ白な老女が指差されると、彼女は輪の真ん中に歩み出て、歌いながら踊った。年寄りとは思えないキビキビとした動きで、銀の足輪に結わえた鈴が、足踏みと共にシャンシャンと鳴る。シャールも含め、他の女たちは手拍子でそれに応えた。


 歌い終わった老女が、シャールを指差す。


 ためらうシャールを周囲の女が引っ張り上げ、一緒に踊り始める。


 月がきれいだった。クルクルと回っている。

 冷たい夜風が気持ちいい。


(楽しい!)


 岩山の上の方から、グーグーといびきのような鳴き声が聞こえてきた。山羚羊オリックスがいるのだ。


 乳香の匂いが少し強くなった。煙がちょうど顔に当たっているのか。


 少し花の香りもする。ラベンダーのような……。

 チリチリと頭の奥で何かが騒ぐ。


 女たちが欠伸あくびをしている。既に絨毯に顔を伏せている者もいる。眠くなるには、まだ早い……。


 ラベンダーの香りが強まる。


(ハーリル!)


 シャールは睡魔に引きずり込まれた。


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