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アシュタルテと砂漠の女王  作者: ヤマモト マルタ
第四章 要塞都市
20/25

2 リッダ

 化粧の仕方がわからない。


 王宮に居たころは侍女が勝手にやってくれたし、遊牧の民(ワラフ)天幕テントにいた時は見かねたナディヤがやってくれた。そもそも化粧道具がないので、昨夜の炭を唾で濡らして目元に塗った。砂で磨いた銅鍋の底が鏡代わりだ。


 シャールは薄紅色のチャフィーブに袖を通し、金鎖の首飾りを巻いた。汚れたハブルは羽織らなかった。


「見違えたな」


 ドニにまたがったシャールを見上げて、キリクが言った。


「そんなお世辞を言う男だとは思わなかったよ」

 だが悪い気はしない。服を変えるだけで、気持ちが切り替わる。


 駱駝らくだではなく竜駝ティンタムを選んだのは目立つからだ。危険な竜駝ティンタムは戦う男が乗るもので、身なりの良い女が乗るものではない。大勢に注目されていれば叔父も手を出しにくいだろう。


(だが、その後は? 受け入れられなければ、どこへ行けばいい……?)


 悪い考えを振り払い、リッダへ向かう。


 灰色の岩山の周囲は、ほとんどが羊の放牧場になっている。少し離れて小さい二つの囲いがあり、そこでは駱駝らくだ竜駝ティンタムが飼われている。いずれも共同の飼育場だ。久しぶりに大勢の同類を見て興奮したのか、落ち着きなく首を振るドニをなだめつつ、シャールは駱駝らくだ竜駝ティンタムの囲いの間を抜けた。そこに、リッダへの唯一の登り口がある。


 双子のように寄り添う隣の岩山にも、かつては登り口があったが、今は封鎖されている。唯一残された登り口には石積みの簡易な門があり、そこに黒い鉄棒が横に渡されて通行を遮っていた。


 黒や臙脂えんじ、濃紺など、雑多な色のドゥループを頭に巻いた男たちが、門柱の後ろからばらばらと現れた。腰帯に短剣シャンビヤを差し、背中に長剣シャムシェールを担いでいる。


 シャールはドニの上で胸を張り、傲然と男たちを見下ろした。


「シェルバの王シャールじゃ! 我が叔父マドカリブに会いに来た。案内せよ!」


 縮れた髭が顔の半分を覆う男たちばかりの中で、中心にいる一人だけ髭が薄い。体格は大人と変わらないが、まだ若い。顔立ちは整っているものの、黒い目が少し垂れていて、柔らかな印象を受ける。その優しげな顔に、どこか見覚えがあった。


従姉いとこどの、ようこそリッダへ!」


「……アムアナスか?」


 首長マドカリブの長男アムアナス。シャールは少年の頃の彼しか覚えていなかったので、今の成人した姿とはすぐには重ならなかった。


(七年ぶりか)


 前回リッダに来た時、シャールはまだ国王ではなかった。王位継承のゴタゴタを逃れて、ここに避難していたのだ。


「われが来るのが、よくわかったな?」


「見張りから、すぐに知らせがありました。金持ちそうな女が竜駝ティンタムに乗って来るって、皆が驚いてましたよ。上で父上がお待ちです」


 おそらく十七、八歳であろうアムアナスは、大人びた控えめな笑顔を向けた。





 岩山が苦手な駱駝らくだ竜駝ティンタムふもとの飼育場に預け、シャールはアムアナスが用意してくれた驢馬ロバに乗り換えて山道を進んだ。


 従者と見なされたキリクとアシュタルテは歩きだ。驢馬ロバ騾馬ラバに乗っているのはアムアナスを含めた数人だけで、他の男たちも後から、ずらずらと歩いてくる。


 アシュタルテの異質さは目を引いたようだが、アムアナスは何も言わなかった。リッダでは傭兵として異国で働く者が多く、西方のどこかの国の者としか思われなかったようだ。


 アムアナスが騾馬ラバを寄せてささやいた。


「従姉どの、今はまだ身分は内密に。ここには来ていないとサルームには伝えますから」


(今すぐ殺されることはなさそうだな……)


 途上何度も、山羊の群れと、それを追う山羊飼いの少年とすれ違った。ふもとでは羊を飼い、山では山羊を飼っている。岩山でも周囲の荒れ地でも作物は育たず、放牧と傭兵がリッダの生業だった。


 そそり立つ二つの岩山の間の道を通る。切り立った断崖が向き合う狭い谷だが、道の上に太い影が落ちていた。


 見上げると、双子の山頂近くに、両者を繋ぐ石橋が掛かっていた。


 崖に埋め込まれた石積みの橋梁の間に、半円の弧を描いて石が隙間なく並べられ、おそらく漆喰で固められていた。狭い谷とはいえ、到底人が飛び越えられる幅ではなく、崖の壁面にどのように足場を築き、どのように石を詰めたのか。


 少しでも石積みの緩みがあれば、あっと間に崩れてしまいそうに見えるが、リッダの人々の話では、この橋は千年も前からあるという。山頂にあった二つの街が一緒になり、リッダとなったその時から。


「どうやって造ったのか、我々にもわかりません」


 リッダの住人が、外の人間に橋を自慢する時の常套句だ。


「シェルバ一の名所だな。そう思わないか、キリク?」


 シャールは馬上で振り返り、キリクとアシュタルテの姿を探した。


「彼らは帰りましたよ」


 アムアナスが怪訝そうな顔をする。


「帰った?」


「出発して直ぐですよ。仕事が終わったから帰る、と言伝をして」


 シャールは驢馬ロバの首をめぐらせようとしたが、アムアナスの言葉で思いとどまった。


「たった二人で、あなたをここまで連れてきた。彼らは良い仕事をした」


 リッダの民は遊牧の民(ワラフ)と似ている。

(彼らの役目は済んだのに、なぜ引き留める必要がある?)


「仕事か、そうだな……」


 だが、突然ハブルを剥ぎ取られたような、不安と寂しさは拭えなかった。





 一アム(約二時間)ほど山道を登り、リッダの街に着いた。


 山から露出した大岩の間を埋めるように城壁が巡らされているが、それらは住居の外壁を兼ねている。城壁の上に、洗濯物を干す女や、こちらを興味深々で見下ろしている子供の姿が見えた。平時は、そこも住居の屋上に過ぎない。


 街中の通りは混雑していた。リッダの人口は多くないが、岩山の上で暮らしているので平地が足りない。元の地形をあまり崩さず、山の形に沿って建物や通路を作っているので、道や階段が入り組んで迷路のようになっている。そのため道幅のある便利な大通りに人が溢れてしまうのだ。


 シャールたちの乗る驢馬ロバ騾馬ラバが人波を割って進む。街の人々が好奇に満ちた目で見ている。アズラッドとの国境に近いこの街には、隊商キャラバンが立ち寄ることも多く、よそ者は珍しくない。どうやら別の理由で、主に女たちから注目されているようだ。買い物中の女たちのささやきから察するに、アムアナスはリッダの女たちの憧れの的らしい。


 先ほど谷底から見上げた石橋を渡る。


 荷馬車一台なら余裕で通れるが、二台並ぶ幅はない。がっしりした石橋は、当然だが人や驢馬ロバが通ろうがビクともしない。腰の高さ程の欄干は厚みがあり、その向こうにはアズラ砂漠へと続く地平が煙って見えた。


 橋を渡った先の山頂に首長の館がある。三階立ての館には、二階まで岩山が食い込んでいるように見える。岩を基礎として利用しつつ、背後の壁にもなっているのだ。館の石積みは岩山と同じ石で、建物の角や窓枠などが白い漆喰で縁取られていた。


「シャール、立派になった!」


 館の一室で叔父のマドカリブと再会するや、彼はシャールを抱きしめ、子供に対するように髭を彼女の頬に押し当てた。


 髪に白いものが混じっているが、それ以外は以前と変わらない。膨れた頬と丸い目。人好きのする愛嬌のある顔だが、眼力が強く、目の表情だけで陽気にも苛烈にもなれる。周囲と談笑していた次の瞬間、弛んでいる部下を叱り飛ばす。その突然の迫力に、子供の頃のシャールは震えあがったものだ。


「やめてください、もう子供ではありません」


 笑顔で押し返したシャールだが、内心は複雑だった。叔父の馴れ馴れしい態度は、あくまで姪としての扱いだ。シャールを国王として遇していない。


「確かに、もう子供ではない。なぜ結婚しないのだ?」


「……いい男がいなくて」


「サルームは大都市だぞ。探せば好みの男ぐらい見つかるだろう?」


「見た目だけで選ぶわけにはいきません」


「そうか? おれは見た目が良ければ、役立たずでもかまわんがなあ。そんなことだから、ハドラムの王子に食い込まれるのだ」


 シャールは顔を伏せて黙り込んだ。部屋には、他にアムアナスしかいない。


「叔父上、わたしはどうすれば……」

(だめだ! 弱気になっては……)


 しかし堂々とした叔父の姿に、つい頼りたくなってしまう。気力で支えてきたものが崩れそうになる。不安が溢れそうになる。


「こいつと結婚しろ。そうすれば玉座に戻してやる」


「え?」


 シャールは思わずアムアナスの顔を見た。


 初耳だったのだろう。アムアナスも驚いた表情で、こちらを見ていた。


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