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アシュタルテと砂漠の女王  作者: ヤマモト マルタ
第三章 砂の行路
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3 サソリ

 刺客の包囲を脱したシャールたちは、東のアズラ砂漠へ向かった。


 途中、岩場の陰に隠してあった駱駝らくだに乗り換えるため、ナディヤだけがバニから降りた。キリクがドニに、シャールがバニに乗り、アシュタルテは荷物と一緒に、もう一頭の駱駝らくだに乗った。


「わたしはここまでです。女王様が無事に砂漠を超えられることを祈っております」


 言葉使いを改め、ナディヤは優雅に頭を下げた。


「知っていたのか、わたしが国王だということを……」


 ナディヤは曖昧に頭を下げた。


「リッダまではキリクが道案内をします。これでも街の人よりは役に立つと思いますよ」


 リッダはシェルバの北西国境近くにある街で、高原の国アズラッドににらみを効かせる要塞都市だ。


 アズラッドはシェルバの北西の山岳地帯を領有する王国で、シェルバとは昔から小競り合いを繰り返していた。その反面、シェルバでは育成が難しいコーヒーや木材などを冷涼な高原で産し、シェルバの小麦や香料等と取引する持ちつ持たれつの関係でもあった。


「……よくわかったな? わたしが頼る先は、そこしかないことを」


「リッダの首長は、シャール様の叔父にあたる方ですから」


 リッダの首長マドカリブは、シャールの亡くなった母の弟だった。それは秘密でも何でもないが、王の親族を正確に把握している民は少ないだろう。


 叔父がシャールを受け入れてくれるかどうか、全く自信がなかった。サルームを敵に回すかもしれない、そんな危険を引き受けてくれるかどうか。だが、他に思い着く行き先はない。


「キリク、シャール様を頼むわよ」


「めんどくせえな」


「元々は、あんたのせいでしょ?」


 ナディヤがドニの短い尾羽を引っ張ると、ドニはキリクを乗せたまま駆け出す。


「おれのせいじゃねえ、サリマのせいだ!」

 キリクの声が遠ざかる。


「ナディヤ、おまえはわたしの先生だったよ」


 もしかしたらナディヤはこの日を見越して、シャールに竜駝ティンタムの乗り方を教えたのかもしれない。


 シャールは手を伸ばし、ナディヤの髪を撫でた。その手にナディヤが自分の手を重ねる。後に残るナディヤやギルヒバたち、遊牧の民(ワラフ)の家族のことが気掛かりだったが、


「ウチの家族はしたたかですから」


 ナディヤの言葉にうなずくしかない。


 遊牧の民(ワラフ)の家に身を寄せていたこの二十日程は、とにかく楽しかった。


 自分の身分を知らない人々との、無礼だが気軽なやり取り。できないことだらけで自分の無能さが嫌になったりもしたが、それができるようになっていく喜びがあった。仕事を難なくこなしていく人々への驚きは、下々の日々の営みを見下してはいけない、と痛切に感じさせてくれた。


 できるならナディヤたちとの生活を続けたかった。お客様ではなく、本当に仕事のできる遊牧の民(ワラフ)の一員になりたかった。それが無理だからこその、憧れであることもわかっている。


(もう二度と会うことはないかもしれない。だが、わたしがいると彼らが危険なのだ)


 バニに乗ったシャールが出発すると、その後に駱駝らくだに乗ったアシュタルテが続いた。


「アッシュ、二人を守ってあげて!」


 アシュタルテは振り返ったが、何も言わない。ムシュフシュがアシュタルテの腕から頭をもたげ、ナディヤの方を向いた。


「ムシュフシュもね!」





 星の数が減り、空の藍色が薄れてゆく。夜明けが近付いている。


 砂漠の旅は過酷だが、風が足跡を消してくれるし、なにより遊牧の民(ワラフ)には馴染みのある場所だ。ただし見通しが良いので、夜のうちに追手の目の届かない距離まで離れないといけない。急ぐ必要があった。


 土漠の固い地面から、崩れやすい砂地に変わっていく。竜駝ティンタム駱駝らくだは足が沈むことなく砂の上を走れるが、竜駝ティンタムの疲れもあり速度は落ちている。竜駝ティンタムは瞬発力があり短時間であれば速いが、荷重と持久力では駱駝らくだが優っていた。


「キリク、方角は合っているか?」


 竜駝ティンタムを並ばせてシャールが尋ねた。冷気で身体が震えていた。ナディヤは毛布も用意してくれていたが、それを身体に巻いても早朝は寒かった。


「大丈夫だ。しかし星読みができるのは、今が最後。夜が明けたら正確には進めない」


 消えかかる星を見上げて、キリクが答える。


 地平線が光り出すと、キリクは砂丘の上で止まり、後ろを振り返った。


「追手も見えないし、ひと休みするか?」


 シャールが国王だと告げた後も、キリクの態度は変わらない。以前と変わらず、態度が悪い。それを指摘すると、


「おれも知ってたからね。それに、今は元国王だろ?」


「今も国王じゃ!」


(知ってただと? 一体いつから……?)


 昼間仮眠を取り夕方から移動することを、キリクが提案した。昼間の移動は暑さで消耗が激しく、水の消費も増えるからだ。


「リッダへ行くには何日もかかる。ドニとバニも休ませないとな」


 リッダへは、通常はサルームから西寄りの山岳地に沿った街道で行く。東のアズラ砂漠を通る経路は、遠回りなうえ遭難の危険があるので、ほとんど誰も使わない。まれにシェルバの通行税を嫌って、ハドラムからアズラッドへ直接向かう者がいるだけだ。


 アズラ砂漠の中心部には、かつてのシェルバ古王国の王都があり、今もその廃城には魔神ジンが棲むという。一年中雨の降らない、そんな場所に、なぜ先祖が都市を造ったのかはわからない。当時は大きなオアシスがあったのかもしれない。


 廃城の周囲は砂が渦巻き、旅人を呑み込むという。シャールが眠気覚ましに、そんな話をするとキリクが笑った。


「今では魔神ジンもいなくなり、流砂が人を呑むことも無くなったそうだ。砂漠を横断しやすくなったので、オアシスのあるクァダリム村は、補給に立ち寄る隊商キャラバンが増えて賑わっているらしい」


(クァダリム? どこかで聞いた地名だ……)

「それは知らなかった。なぜ魔神ジンはいなくなったのだ?」


「さあな……旅の商人に聞いただけだからな」


 砂漠で野営場所を探すのは難しい。砂丘の形によっては昼間に影を作ってくれるが、風が強いと砂で埋まる。


 その日は弱い風が吹いていた。幸い、灌木の茂みを見つけたので、キリクは茂みを風上にして野営をすることにした。灌木には雨季の名残りで緑の葉が残っていたので、駱駝らくだに食べさせることもできる。


 駱駝らくだに一本だけ積んでいた棒を砂地に刺し、それを支柱に簡易な羊皮の天幕テントを張った。


 昨夜は、あまり眠れずにいた後に刺客に襲われ、その後竜駝(ティンタム)を走らせ続けた。疲れ切ったシャールは、毛布を広げると倒れるように眠り込んだ。





 暑さに耐えきれず、シャールは目を覚ました。天幕テントが作る影の中に横たわっていたが、吹き込む風が暑い。太陽は中天を超えたあたりか。


 砂の上に寝ていた。覚えていないが、日陰を求めて自ら移動したらしく、眠る時に敷いた毛布は日なたにあり、そこから寝転がった跡があった。


 起き上がり、まず顔に貼り付いた砂を払った。目ヤニで固まった砂を目尻と目頭から掻き出す。口の中の砂を唾と共に吐き出し、鼻を軽く摘まんで鼻孔の砂を鼻息で吹き飛ばした。後ろでまとめた髪をほどき、頭を振って砂を落とし、ついでに耳の穴に入った砂も掻き出し、それから髪をまとめ直す。衣類の砂を払い、履物バブーシュを脱いで中の砂を捨て、最後に足裏の砂を払い落した。


 遊牧の民(ワラフ)天幕テントで寝泊りしていた時も砂は入り込んできたが、ここまで砂だらけになることはなかった。


 既に起きていたキリクが、シャールに羊の胃袋の水筒を渡し、砂を払った敷布にナツメヤシの実を数個置いた。


「お茶をれたいが、煙が立つので止めた」


 視界に追手の姿はないが、煙が見える距離には居るかもしれない。シャールはうなずき、水筒を両手で掲げ、口を付けずに喉に注いだ。水だと思っていたが、駱駝らくだの乳だった。少し酸味が出ているが、とろりと濃厚で美味しい。


 水筒をキリクに返し、シャールはナツメヤシの実をかじった。


 アシュタルテは天幕テントの外で、寝そべる駱駝らくだを背もたれに日光を浴びていた。ドニとバニはしゃがんで丸くなり、羽根に頭を埋めて眠っているようだ。


 暑くて眠れないが、夕方まで休む必要がある。竜駝ティンタムも休ませないと、気が荒くなって危険だ。


 簡単な食事が済むと、シャールは再び横になった。


 ぼんやりと、砂の上の風紋が少しづつ形を変えていくのを眺める。風が強くなっている。


「アシュタルテ、おまえは何者だ?」


 日なたで微動だにしないアシュタルテに目を留め、シャールは以前からの疑問を口にした。


「人でないことはわかっている。何も食べないし、水も飲まない。傷を負っても火にかざせば直ってしまうし、何より強すぎる。本当に魔女神ジーニヤなのか?」


 アシュタルテは日焼けすることのない白い顔をシャールに向けた。熱気でどんよりしていたシャールの目が見開かれる。


 アシュタルテの口から、異様な形の長い舌が垂れている。甲虫の背のような赤黒い節が細かく連なり、硬そうな表面がツヤツヤと光っている。先端になるほど節は小さく、最後は鋭く曲がった棘になっていた。


(これが魔女神ジーニヤの舌か!?)


 バリバリと噛み砕く音の後、長い舌はアシュタルテの口に吸い込まれた。咀嚼音が続いた後、


「サソリだ」

 アシュタルテは冷静な声で答える。


「サソリを食べるのか!? アッシュは食べなくてもいいはずだろ!?」

 キリクも驚いた様子で、寝そべった姿勢から起き上がる。


「食べなくても生きられるが、食べることもできる。火や日光よりも効率が悪いから滅多に食べないが、今ちょうど目の前にいたので食べた」


「サソリは食べ物じゃないぞ?」

 とシャール。


「生き物なら何でもいい。人が食べないものでも、わたしは食べられる」


「言ってくれれば、食事の用意をしたのに」

 キリクが不満そうに言う。


「人が食べられるものは限られているのに、わたしがそれを食べる必要はないだろう?」


「それは助かるが……人前じゃ、人が食べられるものを食った方がいいぜ」


「なぜだ?」


「えーと……不気味すぎるから……?」


 腕を組んで返事に窮しているキリクを見て、シャールは吹き出してしまった。

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