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アシュタルテと砂漠の女王  作者: ヤマモト マルタ
第三章 砂の行路
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2 殺戮

「痛ぇな、少し刺さってたんだぜ」


 シャールに揺さぶられて、キリクの胸から小さな短剣がポロリと落ちた。チャフィーブの血の滲みも小さい。よく見ると、キリクの胸が不自然に盛り上がっている。シャールはキリクの胸に触った。そして自分の胸を触る。


「盗んだのか!?」


「不用心だから預かっただけだ、おかげで助かったよ」


 少し体を浮かせたキリクが、胸元からシャールの金袋を引っ張り出す。短剣で空いた穴から、金貨ディナールが零れ落ちた。


「何が不用心だ、この……!」


 シャールは拳を振り上げたが、不思議と怒りは湧かなかった。キリクが死なずに済んだ安堵の方が大きかった。


「まあ、いい……おまえに預けておこう。わたしは、今宵こよい生き残れるかわからぬ」


「心配すんな、あんたを死なせやしない」


「キリク……」


「何言ってんだい! ここじゃあ一番弱いくせに。客人を守るのはアシュタルテの仕事さ」


 いつのまにか傍に這い寄っていたギルヒバが、新しい袋に金を詰め替えながら言った。





 太い鉄の輪に体をめ込まれたようだった。


 アシュタルテのハブルの内側に隠れ、その左腕に抱えられ、シャールは天幕テントを離れた。


 狙われているのはシャールだ。彼女が敵を引きつければ、キリクたちには逃げる機会が生じる。敵が彼らを見逃すかはわからないが、ヤザンの落ち着きを信じるしかない。


 アシュタルテは怪我をしており、密着した脇腹や腰が濡れていた。ネトネトした血の感触。だがハブルを満たす臭いに汗や血の生臭さはなく、ほのかな金属臭がするだけだ。体温が感じられない冷んやりとした身体は、人の腕の中とは思えなかった。


 足取りは確かで、怪我を微塵も感じさせない。痛みを庇う仕草も、呼吸の乱れもない。いや、そもそも息遣いが聞こえない。


 静かに進み、立ち止まれば戦う。


 ハブルの隙間からのぞき見たそれは、戦いというより殺戮だった。


 ほとんどの刺客は長剣シャムシェールを振り下ろす間もなく、頭蓋を一突きにされる。同時に攻撃すれば、誰かが犠牲になる間に残りの者が剣を繰り出せるが、それもギリギリかわされて、胸や脇に金色の細剣を刺し込まれる。命を賭けても、ハブルを切るか、肩や腕を僅かに切りつけるか、戦果はその程度だ。


 アシュタルテの剣の腕は、武芸にうといシャールにはわからない。ただシャールを抱えてもなお、動きの速さが刺客たちを凌駕していることはわかる。


 切り合いは分が悪いことを悟ったのか、刺客たちは追いついてもすぐに攻撃に移らず、アシュタルテを遠巻きにして走った。その包囲が徐々に狭まってくる。


(一斉に襲われたら、いくらアシュタルテでも……)


「ここまでのようだ。しばらく自分で身を守れ。その間に全員倒す」


 アシュタルテは急に立ち止まると、反転して眼前に迫った敵の先頭、長剣シャムシェールを突き入れてきた刺客の、その握り手を切り叩いた。


 散らばる指と共に、長剣シャムシェールが落ちる。


「拾え」


(ええっ!?)


 急に体が自由になったシャールは、反射的にアシュタルテの言葉に従い、地面の長剣シャムシェールを拾った。重いうえに握りに付着した血が滑る。チャフィーブで血を拭い、一応構えてみるが、使える自信はない。


 その間にも一人の刺客が目の前に迫り、シャールを突き刺そうと剣を伸ばす。

 かろうじて目は見開いていたが、体は動かない。


(だめだ……ここで終わり……)


 死を覚悟した時、構えた剣の上を金色の光が走った。


 悲鳴を上げて、眼前の刺客がる。顔に巻いたドゥループからのぞいた片目に、金色の蛇が震えながら潜り込んでいくのが見えた。


 硬直した刺客の体が倒れかけた時、今度は反対の眼を突き破り、蛇が外に飛び出してくる。スルスルと地面からシャールの足を這い上り、首にだらりと巻き付く。血と脂に濡れた皮の感触が気持ち悪い。


(わたしを守ってくれている……?)

「ム、ムシュフシュ……ありがとう」


 ようやく声が出た。


「餌が欲しいだけだ。次々に食わせないと、最後はおまえを襲うかもしれない」


 アシュタルテの手には、いつのまに敵から奪ったのか、シャールが手にしているものと同じ長剣シャムシェールがあった。


 ギザギザの背びれの生えたムシュフシュの背中を、恐る恐る撫でてみる。


 ムシュフシュはピクリと鎌首をもたげた。次の獲物が目の前に迫っていた。





 簡単に人が死んでいく。


 相手が多いので自らも傷を負うが、それに構うことなくアシュタルテの剣は相手の首や喉を切り、あるいは頭蓋や鳩尾みぞおちを突き刺す。


 刺客たちは発作のように体を歪ませて倒れる。暗さのため、うめきと血の臭いを除けば、その光景は生々しさに欠ける。月光に捧げられた生贄のようだ。


(どうか、シェルバの者ではないように……)


 哀れなことに変わりはないが、シャールは死んでいく者たちが、ハーリルが連れてきたハドラムの兵であることを願った。


 刺客の攻撃が止んだ。包囲は維持されている。


(短剣で一斉に攻撃されたら……)


 天幕テントでの攻撃で使い果たしていることを祈るしかない。


 跳ねるような、聞き覚えがある足音が近付いてくる。


 音はあっという間に大きくなり、刺客の一部はそちらへ向き直り、剣を構える。


 ウゴルゲーッ!


 布を裂くような高い声で叫び、二頭の竜駝ティンタムが飛んだ。


 たいして高くない。短い羽根を激しくバタつかせているが、ようやく人の頭を超える程度だ。


「ドニとバニが!」

(あの高さでは剣が届いてしまう!)


 先を飛ぶドニが、クイッと顎を引いたかと思うと、


 ウグゲーッ!


 くちばしやりのように突き出され、口から放たれた大量の唾液が、剣を振り上げた刺客の顔に貼り付いた。


 視界を奪われた刺客の顔を、ドニのくちばしがドゥループごとついばみ、肉を引きちぎる。


 シャールの前に着地したドニにはナディヤが乗っており、差し出された手をつかんで、シャールはドニの背に這い上った。上りきるのを待たず、ナディヤはドニを走らせる。


 ウグゴゴゴゴルゲーッ!!


 ドニは天を仰ぎ、くちばしを大きく開いて咆哮を上げた。


 その声は鋭く大きくビリビリと響き渡り、竜のような迫力で、刺客たちの動きを束の間止めた。そのあいだに竜駝ティンタムたちは包囲の隙間を駆け抜ける。


 振り返ると、後ろのバニにはキリクとアシュタルテが乗っていた。


「ナディヤ……助かった」


 シャールは、背後で手綱を握るナディヤに声を掛けたが、


「気を抜かないで、口輪を外しているのよ! あなたを拾う時どんなに危険だったか」


 ナディヤがピシャリと言った。その視線は、ずっとドニの顔に向けられている。確かに口輪に繋がるはずの手綱が、今はドニの胸元から伸びている。口輪をめるまでは、自分たちがドニのくちばしの的になるかもしれないのだ。


 沈黙のまま、しばらく走る。


「伏せて」


 ナディヤに言われるまま、シャールは顔をドニの首の羽毛に押し付けた。


 ナディヤは腰を浮かせ、手にした手綱をふわりとドニの頭の前に投げ、反射的にドニが伸ばしたくちばしを、手綱を交差させた輪で縛った。


 くちばしを縛った手綱を片手で握ったまま、ナディヤはシャールを押し潰すように身を乗り出し、もう一方の手でドニの首にぶら下がった口輪をつかんだ。少しだけくちばしいましめを緩めて、口輪をくちばしの中へ押し込む。首の後ろの留め具を締め、くちばしから手綱を外し後ろに強く引っ張ると、口輪の装着が完了した。


 ナディヤが、ほっと息をつくのが聞こえた。騎乗中に口輪をめるなんて、シャールにはとても真似のできない手業てわざだ。


「口輪のない竜駝ティンタムの強さがわかったでしょう?」


 ナディヤがいつもの笑顔を見せた。


「襲撃の時、天幕テントにいなかったな……?」


「父に言われて出立の支度をしていました。天幕テントに戻る途中、キリクに会って」


「ヤザンは襲撃を知っていたのか?」


「まさか! でも、そろそろここを離れないと危ない、と言ってました」


 事情があるとはいえ、ただの侍女が刺客に襲われるとは思わないだろう。

(ヤザンはわたしの正体を知っているのか?)

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