表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アシュタルテと砂漠の女王  作者: ヤマモト マルタ
第三章 砂の行路
13/25

1 一ヶ月前(一)

 砂漠の奥にある小さなオアシスの村クァダリムを、サリマたちは夜中のうちに出発した。


 クァダリムはシェルバの北東の辺境にあり、一応国境内に位置するが、常駐する兵も無く支配は緩い。


 波打つ砂丘を朝日が朱色に染めるまで、〈砂漁すなあさり〉を走らせる。〈砂漁すなあさり〉はおおスナネズミとも呼ばれ、顔はネズミだが、体形はイタチに似ている。土色の長めの硬い毛をぴったりと肌に寝かせて、砂の中を泳ぐ。


 〈砂漁すなあさり〉は、サラサラとした砂地の広がる地域にしか棲んでいない。オアシスの民が乗用に使う。固い地面が苦手なので、砂丘以外では使われない。砂丘に棲む砂虫が主食のせいでもある。性質は大人しい。


 ひときわ盛り上がった砂丘の上で〈砂漁すなあさり〉を止めると、サリマは後ろを振り返った。


 もう一頭の〈砂漁すなあさり〉が、滑るように砂丘を這い上ってくる。その背にまたがった乗り手が手綱を引き、サリマの目の前で砂を舞い上げて止まった。


 乗り手は黒いハブルを頭からすっぽり被り、肩から垂れ下がった部分を全身に緩く巻いていた。砂を払いながらハブルを頭から外すと、いただきが尖った白髪まじりの頭が現れた。首から目元まで薄赤のドゥループをぐるぐる巻き付けて砂除けにしている。


 ドゥループを人差し指でグイッと引き下げると、初老の男の顔が露わになった。がっしりと角張った顔に大きな目、薄い唇。両目がやや離れ気味で、総じて魚を連想させる。


「あれが魔神ジン棲家すみかか」


 よく響く低い声で、初老の男アズベハが言った。砂の海の真ん中に、ぴょこんと突き出た灯台のような灰色の塔が見える。


「言い伝えでは、あれはシェルバ古王国の城で、最初の王が魔神ジンを封印したそうだよ」


 かつてはこの近くにシェルバの王都があったと言われているが、今のシェルバ新王国の王都サルームは、ずっと南に移っている。


 答えたサリマは、深緑のハブルをまとっていた。このハブルを着ている時、彼は予言者として振る舞う。


「ずいぶんと古そうな塔だ。何のために封印したんだろうな?」


「調べたが、よくわからない。なにしろ三千年前のことだから。ただ、魔神ジンは水と関係があるようだ。古王国の頃は、ここにオアシスがあった。そして今、魔神ジンの影響でクァダリムのオアシスが涸れようとしている」


 サリマはクァダリムの孤児だった。物心がついた頃から、時折、未来の光景を垣間見ることがあった。しかし予言はすべて事故や災害に関わることだったので、村人からは気味悪がられ、常に孤独と餓えにさらされていた。


「辛い思い出しかあるまい。よく村を助ける気になったな」


 サリマの心を見透かしたように、アズベハが言った。


「親切な人もいましたよ。そうでなければ、わたしはとうに死んでいた」


 死にかけた彼は、補給に立ち寄った隣国アズラッドの傭兵部隊に拾われ、村を離れた。その時の傭兵隊長がアズベハだった。


「我々だけで、魔神ジンを倒せるのか?」


「倒す必要はないんだよ。魔神ジンをここから遠ざければ、村は救われるだろう」


 サリマはクァダリム村の破滅を、予言として視ていた。


 ザザザザザ……。


 見下ろした斜面の砂が、風もないのに流れる。


「これ以上進めば引き返せない。アズベハ、あなたにはアズラッドの提督としての立場がある。今回のことは、わたしの我儘わがままだ。やはり、あなたには……」


「それを言ったら、あなたにもアズラッドの予言者としての立場があろう? お互い、休暇をどう使おうが勝手ということだ。では、お先に」


 アズベハはそそくさとドゥループを引き上げて顔を隠し、〈砂漁すなあさり〉の腹を蹴って、斜面に飛び込んだ。砂に潜る前に、ハブルを頭から被る。





 〈砂漁すなあさり〉は砂丘では最も速い乗り物だが、乗り手は常に砂を浴びなければならず、操縦は大変だった。ドゥループで顔を守り、布越しに前を見るしかない。


 ザァァァァーッ。


 〈砂漁すなあさり〉は静かに泳ぐ。この音は〈砂漁すなあさり〉が立てているのではなく、周囲の砂が流れる音だ。


(速い)


 サリマはとっくに〈砂漁すなあさり〉の腹を蹴るのを止めている。それでも〈砂漁すなあさり〉は、ぐんぐん速度を増す。サリマは手綱をつかんだ両手で〈砂漁すなあさり〉の首にしがみつき、腹を挟む両足に力を込めた。


 〈砂漁すなあさり〉が速いのではない。砂の流れが速いのだ。

 灰色の塔を中心に渦巻く、砂の流れが。


 それは地下の水の流れを変え、やがてオアシスの水源を枯らす。残った水を巡る醜い争いの末に、村は滅びるだろう。


 右回りの渦の流れに乗って走っているので、塔は常に右手に見える。朝日が横から照らすので、塔は朱く光ったり、後光を帯びて影になったり、めまぐるしく点滅した。


 砂煙越しにかすむ塔が、次第に大きく、倒れ掛かるように迫ってくる。


 塔に近付くにつれ、渦の急流はますます速くなり、その勢いで砂丘が崩れ、漏斗ろうとのように中心に向かってなだれ落ちていた。





 サリマは〈砂漁すなあさり〉の手綱を引きっぱなしにしていたが、速度は一向に落ちない。たぶん〈砂漁すなあさり〉も既に泳いでおらず、砂に流されているだけだ。


 塔の外壁に四角い穴が見えた。塔の周囲には幾つも穴が開いているが、入口になりそうな大きさの穴は一つしかない。


(あれに飛び込めるか?)


 〈砂漁すなあさり〉の大きさを考えると穴はぎりぎりで、失敗すれば、自分の頭や手足が穴の縁に引っ掛かるだろう。うまく飛び込めても、この勢いで穴に突っ込めば、塔の中の壁に激突するかもしれない。


 サリマはとまどい、穴の前を通り過ぎた。


 塔の周囲をひと回りし、再び穴が近づいてきた。


(行くか!)


 決断し、手綱を右に引こうとした時、穴の縁に黒いハブルの端がひらめくのが見えた。


(アズベハ!)


 先に辿り着いていたのだ。

 サリマは穴に飛び込むのを止め、再び通り過ぎようとした。


 どすんっ、と〈砂漁すなあさり〉が後ろに傾く。


「そのまま、もう一周回れ」


 すぐ耳の後ろから、低く澄んだ女の声が聞こえた。


(アズベハじゃない!)

「誰だ!?」


「アシュタルテ、と呼ばれている。今の速度では失敗するぞ。塔に入りたいなら、手を貸そう。その代わり、帰りは〈砂漁すなあさり〉に乗せてくれ」


「遭難者か?」


「そうだ」


 女の胸が、サリマの背に密着した。しかし硬い椅子を押し当てたような感触しかない。


(女のような声だが、男なのか?)


「借りるぞ」


 背後からアシュタルテの黒い腕が伸び、サリマの腰の長剣シャムシェールを引き抜いた。


 ギャリギャリギャリッ!


 塔の外壁に押し当てた剣先が、不快な金属音をがなり立てる。その衝撃で〈砂漁すなあさり〉がグラグラ揺れたが、速度はみるみる落ちていく。


 一周して、再度穴が近づいてきた。


 サリマは〈砂漁すなあさり〉を飛び込ませた。穴をくぐる前に、頭を下げて〈砂漁すなあさり〉の首に押し当て、手足をぎゅっと縮こませた。ツヤのある硬い毛並みから、獣の汗の臭いがする。


 幸い、中の部屋は広かった。〈砂漁すなあさり〉は灰色の壁の上を走りながら勢いを弱め、その後石床に下りた。床の上には沢山の白い骨が散らばり、それを蹴散らしながら〈砂漁すなあさり〉はゆっくりと走り、最後は部屋の隅で丸まった。





 サリマが〈砂漁すなあさり〉から降りると、足が頭蓋骨に当たり転がった。見渡せば、頭蓋骨は部屋中に落ちている。ある者は穴から差し込む光を受けて笑っているように、ある者は影の中で沈んでいるように見える。


「助かったよ」


 礼を言ったサリマに、黒いハブルをまとったアシュタルテが、ボロボロに刃の欠けた長剣シャムシェールを差し出した。頭からハブルを外すと、磨いたようにツヤのある赤銅しゃくどう色の長い髪が現れた。ドゥループは巻いていない。白い顔は陶器のように滑らかで硬そうに見えた。


「見たところ西方の異国人だね。どうして遭難した? ここの流砂のことを知らなかったのかい?」


「ペルセポリスからリッダへ行く隊商キャラバンに同行していたが、盗賊に襲われた。人数が少なかったので皆殺しにしたが、後から本隊が来て太刀打ちできなかった。剣が折れ、矢も大分打ち込まれた。逃げ延びたつもりだったが、奴らは流砂のことを知っていたのだな」


 流砂に捕まった者は、砂に呑まれるか、この塔に流れ着くしかない。


「運が良かったな。この塔を訪れるものなど滅多にいないはず。ちょうど我々が来る頃に遭難するとは」


「そうかもしれない。八百三十七日で済んだのだから」


「八百日? どういう意味だ?」


 不審な顔のサリマを、アシュタルテも不思議そうに見返す。


「自力では脱出できなかったので、八百三十七日待った」


「二年以上!? 水は? 食料は?」


「わたしはヒトではないから、水や食料がなくても生きられる」


 サリマは、改めてアシュタルテを眺めた。


 全身黒ずくめ。ボロボロのハブルからのぞく長い手足には、ツヤのある黒い布が貼り付いている。この地域では珍しく靴を履き、手袋を嵌めているが、それらも黒い。唯一露出した顔は白過ぎるほど白く、だから異国人だと思った。


(異質だ)


 だが、人の形はしている。


 その時、サリマが通ったものと同じ穴からアズベハが単身飛び込んできた。握った手綱の先には、穴の縁に半身だけ乗り上げた〈砂漁すなあさり〉がもがいている。ゲヒッ、ゲヒッ、と鼻息のような鳴き声を立て、必死に前足の爪で床石を引掻く。


「手伝え!」


 アズベハの体が引きずられ、〈砂漁すなあさり〉もろとも、穴の外に戻されそうになる。


 サリマが取りつく前に、アシュタルテの手が手綱をつかむと、アズベハの〈砂漁すなあさり〉が塔の中に走り込んだ。


「おお! 力持ちだな!」


「そうでもない、今はだいぶ弱っている」


 アズベハはドゥループを下ろし、しげしげとアシュタルテを見つめた。


「塔にいたのは魔神ジンではなく、魔女神ジーニヤだったか」


「わたしは魔女神ジーニヤではない」


 簡単に名乗り合った後、アズベハの提案で、アシュタルテは護衛としてサリマと契約することになった。〈砂漁すなあさり〉がなければ、この塔から脱出することはできない。乗せてやる見返りだ。


「足元を見るようで悪いが、あんたは強そうだからな」


「かまわない。今は誰とも契約していないから」


「護衛が稼業か?」


「契約次第だが、護衛が多い。以前は暗殺もやっていたが、恨まれやすいからめた」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ