6.女主人
「家政婦のポーラでございます。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
ナタリーが部屋に連れてきた40半ばの初老の女性は、深々と頭を下げた。
「いいのよ。わたくしも人前に出られる姿ではなかったし」
アデラインが言うと、ポーラは横目で半歩後ろで控えているナタリーを見た。
「今後はお手伝いが必要な際はわたくしをお呼びくださいませ。以前はヘッセン伯爵家でメイドをしていた経験がございます」
この数少ない会話でポーラは全てを察したのだろう。
アデラインはポーラの存在を少しだけ頼もしく思った。
「そうね。明日の朝はあなたにお願いします——と、言いたいのだけど、わたくし、このドレスがとても気に入ったの。明日もこれを着たいわ」
「ですが、2日続けて同じご衣裳など——いいえ、畏まりました。では、針子に命じまして同じようなものをすぐに作らせますわ」
ポーラはアデラインの考えを察して、すぐににこやかに答えた。
アデラインはポーラの答えに満足して、「よろしくね」とだけ言うと、ナタリーは仏頂面を少しだけ気まずそうにしかめたが、アデラインは見ない振りをした。
「家令のトマスは——」
「外出しているとナタリーに教えてもらったわ。戻ったらまた挨拶をさせて頂戴。それまでナタリーに屋敷を案内してもらうわ」
アデラインが言うと、ポーラは頷いてナタリーに「頼みましたよ」とだけ言って、部屋を後にした。
ナタリーの先導で屋敷を見て回ったアデラインは、領地の侯爵邸に引けを取らない広さと、豪華な装飾、そしてそれらが埃ひとつなく丁寧に手入れされていることに感心していた。
窓にかけられたカーテンひとつとっても、丁寧にブラシをかけて手入れをされていることがわかる。木の床などは念入りにワックスをかけて磨かれているおかげで、艶やかに輝いている。
「旦那様はとても厳しい方なのかしら」
「いいえ。旦那様はお忙しくい方ですのでお屋敷にはほとんどいらっしゃいません。屋敷にいらっしゃる時も執務室から出られることは滅多とありません」
「お客様は頻繁にいらっしゃるの?」
「滅多といらっしゃいません。年に数回、お食事をご一緒されることはありますが、滞在される方は見たことがありませんね」
ナタリーの答えに、アデラインは「そう」と残念そうに答えた。
せっかくこれだけ素晴らしい家を、ヒューガードという人は気にかけもしないのだ。
それでも、この屋敷の使用人たちは、主人に見られなくてもこんなに丁寧な仕事をしている。
それだけ、使用人たちから信頼され大事にされている主人なのだろう。
ナタリーの先導で客間に入ると、ビロードの柔らかいソファに、大理石のテーブルが目に入った。
深い緑に金のダマスク模様の壁紙に囲まれた部屋の中に、深紅のビロードと、ミルク色の大理石のテーブルはとても印象的だった。
「まあ……素敵……」
アデラインは、思わずうっとりと言葉を漏らした。
ビロードのソファは以前は侯爵邸にもあったが、使用人が減るとともに手入れができなくなり、4年前にとうとう手放してしまった。
最後には毛は倒れ、みっともなくテカテカと光っていたものだが、この屋敷のソファは使い込まれているにもかかわらず、毛並みがしっかりと立っていて素晴らしい。
ナタリーを見ると、仏頂面は変わらないが、どこか自慢げにも見える。
「あなたがお手入れをしているの?」
アデラインが尋ねると、ナタリーは戸惑いながらも小さく頷いた。
「ビロードはお手入れが難しいのよ。それをこんなに見事に保つなんて素晴らしいわ。それにこれまで見せてくれた場所もとても見事に手入れが行き届いていたわ。あなたの指示かしら」
「ええ。私は一応メイド頭ですから。掃除はメイドの一番の仕事ですし」
ナタリーは仏頂面を少しだけしかめているが、それは怒っているからではないことはアデラインにもよくわかった。
「素晴らしい仕事ぶりだわ。貴族の屋敷でもここまで丁寧な仕事は中々見られないわ。あなたはとても優秀なのね」
アデラインが嬉しそうに言うと、ナタリーは少しだけ仏頂面を歪めて顔を背けた。
その仕草に、アデラインは少しだけ嬉しくなったが、それ以上の声はかけずに客間へと視線を戻した。
ソファから視線をずらすと、どうも重苦しさというか、落ち着かなさを感じる。
よく見ると、正面に置かれた磨き上げられた樫の飾り棚には、水晶やガラスの置物が置かれていたが、それぞれひとつひとつが華美すぎて、アデラインは少しだけ眉を顰めた。
部屋の隅に置かれたアラベスク文様の陶器の大きな花瓶には、遅咲きの薔薇がこれでもかと詰め込まれている。
質のいい家具に対して、飾りが多すぎる。これではせっかく素晴らしいソファでも客が落ち着かないだろう。
アデラインは、まずやらなければならないことを頭の中に書き留めた。
トマスが戻ったのは、アデラインが客間を出てすぐだった。
ナタリーの元に若いメイドが小走りに駆け寄り、耳打ちした声がアデラインの耳にも漏れ入ってきた。
丁度いい。
「お部屋に戻られますか」
ナタリーの言葉に、アデラインは「いいえ」と首を振った。
「ここに呼んでちょうだい」
アデラインの言葉に若いメイドは頷いて、また小走りに使用人用の出入口へと戻って行った。
こういう所から教育をしなくてはならないのね。
アデラインは小さく息をついて、ナタリーを連れて客間へと戻った。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくしは、この屋敷の管理を任されておりますトマス・ジョンソンと申します」
ポーラと同じくらいか、もう少し年上だろうか。家令にしては若いが、新興ブルジョワに仕えるのなら、多少の経験不足は許容されるのか。
だが、そんな感想はすぐに消し飛ぶほど、トマスの身なりや所作には卒がなかった。
ポーラと同じく、トマスも貴族に仕えていたに違いないと、アデラインは確信したが、その2人がいながら使用人の所作は洗練されていない。
客人を迎える機会が少なかったこともあるだろうが、長い間女主人が不在だったからにほかならない。
それに、義理の母を悪く言うつもりはないが、平民上がりのブルジョワでは限界があるのも事実だ。
新聞や読み物でしか世間を知らないアデラインにも、そのくらいのことは理解できた。
「トマス、旦那様はわたくしにどれだけの権限を与えてくださったのかしら」
アデラインの第一声に、トマスは驚いて下げた頭を勢いよく上げてしまった。




