第6話 電車と血液
「先週、東京都K区T市V小学校で発生した殺人事件について…」
反射的にテレビを消す。
あれから一週間が経った。
森川円を殺してまだ一週間しか経っていないというのに、僕の生活は日常へと戻りつつあった。
起きて、ご飯を食べて、制服を着て、学校に行く。
そんな当たり前の生活を送っていた。
直接的にではないにしても、僕は人を殺した。
それなのに、こんなにも当たり前の生活を許されていいのだろうか。
異形者だとはいえ、人間なのは変わらない。
殺人衝動があろうが、超人的な能力を発現させようが、中身は人間だった。
森川円が絶対的な善だったかどうなのかは、僕には分からない。
だけど、あの無邪気な子供…伊野拓磨の屈託のない笑顔と、あの声が、僕の脳裏から離れないでいた。
朝食を済ませて、学校へ向かう。
教室へ入っても誰も僕を見ない。
僕はそれくらい"日常"だったし、世界の異物でもなんでもなかった。
自分の席に座ると隣の机には榛真白が座っていた。
彼女もみんなにとっては"日常"の一部に過ぎなかった。それどころか、その存在感の無さと、他者を拒む彼女の生き様は、もはや世界から隔絶されていた。
それでも、僕にとっては紛れもない"非日常"の象徴だった。
僕にとっては何よりも目立つ強烈な、日常という世界の異物だった。
あの一件以降、僕と榛は話していない。
僕の無謀さに呆れてしまったのか、それとも見放してしまったのか。
その真意すら聞けずにいる。
僕の頬を叩いたこと。
それが彼女の僕に対する心配や無事だったことへの安堵。その全てが具現化したものだったことは理解している。
怒っているのだろうか。
興味すら無くしてしまったのだろうか。
それとも僕を"日常"へと戻すべく、あえて遠ざけてくれているのだろうか。
答えはきっと、全部だ。
お昼になった。
僕はいつも通り屋上へと向かう。
あれ以来、彼女は昼休みに屋上にいない。
僕を避けているのだろう。
非常ドアを開ける。
「遅かったね」
しかし今日は彼女がいた。
何食わぬ顔で、いつも通りの彼女がいた。
「いつもより並んでて」
冷静さを保つために、嘘をつく。
しかし、彼女の手には既に購買で買ったであろうパン。
気まずさがあった。
それは僕にとって異常事態だった。
前は沈黙さえも心地よかったのに、今ではすっかり気まずさの象徴になっていた。
それ以前に彼女と同じ空間にいるのが嫌だった。
彼女に認識されていることが嫌だった。
彼女に対する嫌悪感ではなく、僕という存在を彼女が認識してしまっていることが嫌だった。
「星奈が、今日廃ビルに来てって」
「どうして?」
「新しい異形者が見つかった」
彼女は僕を"日常"に戻す気はないらしい。
◆
「久世透。君たちと同じ18歳」
見覚えのある書斎。
放課後になると、彼女は僕の元へ来た。
特に何も言わなかったけれど、僕は急いで荷物をまとめて学校を出た。
「今朝、某SNSにアップされた動画だ」
星奈さんはスマホの画面を僕たちに向ける。
駅のホーム。横浜だ。青色なので横須賀線。
線路には満員電車が入線している。
それなのにドアが開いていなかった。
そしてホーム。
そこには血だらけで倒れる少年。そしてその側に座り込むスーツの男。
男はしきりに何かを謝っていた。
ごめん、ごめんと何度も謝っていた。
10秒くらいして、血だらけの少年が立ち上がった。
その少年は何も言わずに歩き出すと、そのまま改札へと続く階段を登ってその場からいなくなった。
すれ違いで、駅員や救急隊の人がやってくる。
男は駅員の声には反応していなかった。
救急隊の人に「あっちに行った」と階段の方を指差す女性。
そこで動画は終わった。
「この動画はセンシティブ規約に違反し、現在削除されている。現在は一部のディープウェブでしか閲覧できない。
久世透は血だらけで倒れていた少年。
制服を着用していたことから学校を特定、少し学校側のセキュリティに潜って久世透に辿り着いた」
「じゃあ私たちは久世透のもとへ行けばいいのね」
行って殺せばいいのね。
そう聞こえた気がした。
「いや、真白と結城くんにはこのスーツの男のもとへ行って欲しい」
星奈が一枚の付箋を机に投げ置く。
「男の住所だ」
横浜市からは分からなかった。
「映像を解析したところ久世透はかなりの重傷だ。歩けるはずがない。
でも、この映像だけでは異形者であると断定できない。
もし殺人衝動が既に発現しているなら、対策もせずに異形者と対面で接触するのは危険だ。
まずはこの男から話を聞き、典臓部位を特定。
久世透との接触はその後だ」
「了解。じゃあ行こっか、横浜」
「え?」
放課後。
脅威のスピードで、秋葉原から横浜へ向かうことになった。
◆
蔵波星奈は、今日20本目のタバコを吸いながら映像を見返していた。
血だらけの少年。
謝る男。
そして立ち上がり、歩き始める少年。
駅員と、救急隊員。
そこで彼女は思い出した。
(まさか……)
しかし彼女は戸惑っていた。
そんなことがあるはずないと。
自分の頭に浮かんだ考えを認めたくなかった。
◆
電車に揺られている間も、僕と榛の間に会話はなかった。
彼女はずっと車窓を眺めていた。
だから僕もずっと車窓を眺めていた。
右から左へと流れていくビル群。
遠くに見える小さな人々。
ミニチュアを見ているみたいだった。
それでも僕が見ているのはビル群でも歩道を歩く人々でもなく、榛真白だった。
彼女は一体何を見ているのだろう。
「ここだな」
時刻は19時20分。
電車に揺られること1時間弱。
横浜駅西口を出て、徒歩10分。
住所に記載された一軒家の前に到着した。
横浜というだけあって新築そうだ。
白い外壁に最新の玄関。
一軒家なら世帯持ちの可能性もある。
インターホンを鳴らして、旦那さん、お父さん、に話がある、なんて言ったら怪しまれる。人によっては通報するかもしれない。
それにしても、血だらけの少年に対し謝るなんて。
一体何があったらそんな状況になるのだろう。
そもそも久世透が異形者だと疑っているのも、それは重傷の体で自然に歩いていたという点しかない。
彼を異形者だと認めたくはないけれど、そんな状況に陥る要素の一つとして、異形者が介入していると考えるのは自然だ。
「あの…何か用ですか…?」
左側から声がした。
そこにはスーツを着た男がいた。
「動画の男だ」
榛が小さな声でそう言った。
動画では顔を伏せていていたので、視認できなかったが、言われてみれば動画の男だ。
スーツも動画の男が着用していたものと酷似している。
「今朝の…駅にいた男性でしょうか」
曖昧にそう訊く。
すると男は察して、僕らに礼をした。
「そうです。田中浩と申します。
お二人は何の方で…?」
「詳しくは申し上げられませんが…いくつかお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「は、はい…」
男は眉に皺を寄せた。
それもそうだ。皺を寄せる理由も理解できる。
「少年に謝っていた理由は何ですか?」
黙っていた榛が単刀直入にそう訊いた。
すると、男の顔が曇るのが分かった。
それは聞かれたくないことを聞かれた人の顔だった。
男は長い沈黙の後に口を開いた。
「嘘だと思われるかもしれませんが、私の傷が少年に移ったんです」
僕と榛は目を合わせる。
男は続ける。
「実は私…飛び込んで死ぬつもりだったんです。もう全てを終わらせようと思って。
…飛び込んで、死ぬつもりだったんです。」
男は戒めるように言った。
「電車がやってきて…飛び込んだ。
鉄の塊が僕の体に触れた感触がしました。
激痛が走ったことも覚えています。
死ぬんだと。
でも、直前で、誰かが私の足を掴んだんです。
そしたら、物凄い力で引っ張られて、ホームに投げられて…しかも、体に傷がなかったんです。
何が起きたか分からず辺りを見渡すと、目の前に血だらけの少年が倒れていました」
要するに、飛び込み自殺をした田中さんを電車に轢かれるよりも早く助け出した。
しかも、傷を自分の体に肩代わりした、ということか。
「私がそばに近寄ると、彼は目を瞑っていました。
私は自分の代わりに轢かれ命を落としたのだと思い、僕は彼に謝っていたんだと思います。
彼はそのあとすぐに立ち上がって、何も言わずにどこかへ行ってしまいました」
田中さんの傷を肩代わりしたこと。そして異常な怪力と生命力。
異形者の可能性が濃くなった。
◆
横浜駅西口へと到着する。
僕も彼女も口に出さなかったが、久世透が異形者だということを確信していた。
すると、異形者が人を助けた、ということになる。
僕はそのことに対して、なんの驚きもなかった。
森川円も異形者となる前は、子供を愛する教師だった。久世透が人を助けたとしても…異形者が人を助けたとしても、何も不思議じゃなかった。
彼女はどうだろう。
異形者はいつか人を殺す。
だから人を殺す前に殺す。
そう言っていた。
彼女は久世を殺すのだろうか。
殺せるのだろうか。
時刻は19時50分。
退勤ラッシュなども重なって、辺りは人でごった返していた。
肩がぶつからないように歩く。迷路みたいな人混みを掻き分け、なんとな改札口まで辿り着く。
すると、榛が足を止めた。
何かを見ている。
「どうした?」
近寄ってそう訊く。
「久世だ」
急いで彼女の視線に僕の視線を重ねる。
髪型はウルフ、黒いワイシャツに黒いスキニーを着た少年が一人いた。
明らかに異質で、オーラがあった。
顔は覚えていないけれど、久世透だと直感する。
「どうする?」
「尾ける」
「周りに人がいなくなったら?」
「……とりあえず話しかける」
森川円の時とは違い、間があった。
改札から久世へと目標地点を更新する。
彼は北口に向かっているようだった。
階段を降りて、地下通路を歩く。
「また尾行がバレることはない?」
「分からない。成人男性を一瞬でホームまで投げ飛ばせる怪力に、電車に轢かれかけても普通に歩ける生命力。
進行具合で言えばかなり重症だ」
「でも人を助けた」
「………」
彼女は黙って肯定した。
やがて、地上へ出る。
歩道橋で反対に渡り、住宅街へと入る。
薄暗い。人もいない。
話しかけるなら今だ。
榛の歩が早まった。
右手をポケットに入れている。おそらくあの中にはナイフがあって、彼女の右手はそのナイフの柄を握っているのだ。
距離がだんだんと縮まってくる。
彼は変わらずに歩いている。
やがて話しかければ聞こえる距離になる。
すると、久世が足を止めた。
僕らも立ち止まる。
振り向いて彼は言った。
「俺を…殺してくれるのか?」
その瞳は、どこまでも澄んでいた。




