第7話 悟られ地獄
時刻は午前八時過ぎ。
本当は学校に行く時間なのだが、昨夜の事もあり、なんの準備もできていない。
それに祖父のこともある。夜に家を抜け出したまま帰ってこないとか、さすがに怒られる。警察に通報される前に、いったん顔を見せなければ。
「それじゃ、帰るよ」
玄関先。スニーカーを履きながら僕は言った。
「爺ちゃんが心配してる。夜に抜け出して、そのままだし」
「遅刻するわよ」
「誰のせいだよ」
柳は特に応じなかった。廊下の壁に寄りかかり、腕を組んでいる。
「学校には遅れるって連絡する。柳さんは先に学校……」
言いかけて、なんとなく気になった。
「一人で大丈夫?」
柳が、わずかに笑みを浮かべる。
「嬉しい」
「は?」
「もう心配してくれるんだ」
からかう声だった。明らかに楽しそうな気配がある。
「べ、別に心配とかじゃなくて! また怪異が出たら巻き込まれるだろ僕が!」
「言い訳ね」
「言い訳じゃない」
「顔が赤いわよ」
「寒いんだよ朝から」
「五月だけど」
返す言葉がなかった。
「大丈夫よ」
柳が、ふっと微笑する。
「さすがに真墨も朝には仕掛けてこない。護法使いの秘匿規定もあるし、世間には正体を隠す決まりよ。派手なことは夜だけ。怪異だって活動的になるのは夜」
「それもそっか」
柳の言葉には一理ある。
護法使いの秘匿規定。怪異の存在も、それと戦う護法使いの存在も、世間には公にされていない。昼間の街は、普通の街だ。非日常は、夜の中だけにある。
「なら、安心だな」
「わかったなら、連絡先を交換しておきましょう」
柳がスマホを取り出した。
互いの番号とトークアプリのIDを交換する。柳のアイコンはデフォルトのままだった。アカウント名は「Y」の一文字。
「アイコン、設定してないのか」
「必要ない」
「友達いないの?」
「奴隷が。口を慎みなさい」
「奴隷って友達より下かよ」
「当然でしょう」
ひどい。僕に助けられる立場なのに、もうちょっとこう手心とかないのか。
とはいえ、柳の交遊関係は想像通りだった。怪異の血を引く性質上、漏れ出る瘴気が周囲に悪影響を与える。ゆえに自然と孤立するのは無理からぬ話だ。
いや、待て。そこで気づく身体の違和感。というより良好。
昨日、初めて柳と会話したときの息苦しさが、もうない。
「それも契約の効果よ」
「――え?」
「奴隷になれば、主人である私の瘴気は緩和される」
「へぇ、そうなんだ――――って、ちょっと待て!?」
聞き捨てならない発言。いや、真実だった。
「い、今……僕の心を……!?」
「読んだわ。契約した私の特権」
「はぁあああああああああ!?」
なんてこった。冗談だろ。
「冗談じゃない。主人が奴隷の思考を把握する。当然の権利よ」
「当然じゃない! プライバシーの侵害だろ!」
「プライバシーは人間同士の概念。私は怪異だから適用されない」
「屁理屈だ!」
「事実よ」
悪びれない。一ミリも。どころか得意げな表情。マジかコイツ。
「じゃあ、今も読めるのか。僕の考えが」
「ええ」
「今、何を考えてる」
「読まれたくないと思っている」
「それはそうだろ! もっと具体的に!」
「私のスリーサイズとか」
「考えてない」
「タイツのデニールはいくつとか」
「考えてない! 考えてないぞ!」
「ちなみに60から80よ」
「ありがとう――じゃなくて!」
「ふふふ」
僕は頭を抱えた。思考が読まれる。つまりこれから先、柳の前で考え事は厳禁だ。もしも恥ずかしいことを考えれば、際限なく揶揄われてしまう。
地獄だ。
「ちなみに今、地獄だと思ったでしょう」
「ああ、そうだよ!」
柳がスマホをしまいながら、楽しそうに補足した。
「安心して。常に全力で読んでいるわけじゃない。意図的に集中しないと、細かい思考までは拾えない仕様なの」
「本当か」
「本当よ」
「じゃあ今は?」
「読んでいない」
「保障あるのか」
「疑うなら読みましょうか」
「読まなくていい!」
深呼吸した。落ち着け。整理しろ。思考を読まれるといっても、常時全開ではないらしい。それはまだ救いだ。辛うじて救いだ。
「僕が協力する条件、追加する」
「三つに増えた」
「うるさい! それでも追加する! 勝手に心を読むな!」
「善処する」
「約束しろ」
「必要なとき以外は読まない。これでどう?」
「必要なときの定義が怖すぎだろ」
「奴隷が主人に条件をつけすぎよ」
悪びれない。またしても得意顔。
顔が熱い。思考が読まれる以上、この熱さも筒抜けと思えば余計に熱くなる。
「……わかった。それで手を打つ」
「賢明ね」
柳がスカートから何かを取り出した。
「それと」
「まだあるのか」
「これ、預けておく」
差し出されたのは鉄扇――柳の『法具』だ。
一から作るのが難しいなら、修理しろとのお達しか。
「直せる?」
「頑張るよ」
「頑張るじゃなくて、直して」
「直す」
「よろしい」
受け取った。手に持つと、微かな冷気が伝わってくる。
「じゃあ、また後で」
鉄扇をポケットに仕舞い、歩き出す。
「天目くん」
振り返ると、柳は朝陽のなか、静かに微笑んでいた。
「昨夜はありがとう」
「どういたしまして」
柳は何も言わなかった。ただ背を向けて、音もなく廊下の奥へと消えていく。
しばらく、その場に立ち尽くす。
おかしいな、と思った。
昨夜、あれだけ振り回されて、怖い思いをして、奴隷にまでされたのに。
なぜか、心が浮き立ってしまう。
柳と別れ、スマホで地図アプリを立ち上げた。
僕が住む街『夜霞市』は、奇妙な二面性を持つ街だ。
都市の中央を分かつように、国が定めた一級河川 "靄見川" が流れている。広い川幅の水面には霧が立ちやすく、朝晩は川沿い一帯が白く霞むことで有名だ。
そんな川を境に、街の顔つきは東西で変わる。
東側―― "霞ヶ原" は近代的な区画だ。
再開発によって生まれたガラス張りのビル、タワーマンション、大型ショッピングモール。幹線道路にはLED広告が並び、深夜でも街は明るく輝いている。
一方で西側―― "霧ヶ峰町" は別の時間が流れている。
古い寺社と木造家屋が残る旧市街。細い坂道と入り組んだ路地が続き、夜になると濃い霧が住宅街へと流れ込む。石畳には湿気が染みつき、古い商店街には今どき見ない看板建築が軒を連ねている。古い土地柄ゆえ、怪異が出るのは大抵こちら側だ。
朝露高校、並びに柳と僕の自宅も霧ヶ峰町にある。
なかでも柳の家は、霧ヶ峰の北寄りだった。
アプリが示すところ、僕の家からだと徒歩で三〇分。地図で見れば同じ町内だが、この街の路地は碁盤の目じゃない。曲がりくねって、行き止まりがあって、同じ道を通っているつもりでも違う場所に出る。土地勘のない人間には、まず辿り着けない。今朝、僕が三〇分かけて帰ったのも、そんな道のりだった。
「まさか近所とはね……」
灯台下暗しとは、よく言ったものだ。
自宅に着いた。天目家は霧ヶ峰の南寄り、祖父の工房を兼ねた日本家屋である。表札すら掲げてないのに、『法具』の注文だけは後が絶えない。不思議な話だが、必要な人間には自然と場所がわかるらしい。霊的な縁というやつだ。
玄関に上がり、自宅の引き戸を開けると、居間から声が飛んできた。
「帰ったか、小僧!」
天目鉄心。七十を過ぎても背筋の伸びた、僕のお爺ちゃん。縁側に腰を下ろして、湯呑みを手に持ったまま、こちらをじっと見ていた。
「ごめん。遅くなった」
「ほう」
爺ちゃんは怒るでもなく、湯呑みを一口すすった。
「高校生の孫が朝帰りとは。儂の若い頃を思い出すのう」
「爺ちゃんも朝帰りしてたの?」
「怪異絡みでな。まあ、儂の場合は血まみれだったが、お前はずいぶん綺麗じゃないか。喧嘩ではなさそうだ」
「喧嘩じゃないよ」
「女の家か」
「違う、よ」
「本当か?」
「本当です」
爺ちゃんはしばらく僕を眺めていた。品定めするように。この人の目は誤魔化せない。法具職人として素材を見極めてきた観察眼は、孫の嘘も見抜くらしい。
「……まあ、いい」
あっさり引いた。
「飯は」
「済ませた」
「そうか。顔を洗って支度しろ。遅刻だぞ」
「わかってる。学校には遅れる連絡したよ」
自分の部屋に入り、制服に着替えながらスマホを確認する。
瞬間、尋常じゃない通知の数が表示された。
「なんだこれ」
恐る恐るSNSアカウントを開く。
トレンドのタグに、見覚えのある単語があった。僕のチャンネル名だ。
炎上という二文字が、脳内に浮かぶ。
落ち着け。落ち着いて状況を確認しろ。深呼吸。
配信アーカイヴのコメント欄を覗く。
:キスしてる!?
:え、彼女いたの?
:演出? いや絶対素だろ!
:心霊調査という名のプレイ
:音が生々しくて草
:霊じゃなくて女に魂抜かれてる
:壁殴るわ
:登録者増えそう
「~~~~~~~~~ッ!」
なんだよこれ。なんなんだよこれは!
「かぁ~~~~~~~ッ!?」
落ち着けなかった。
目頭を押さえながら状況を整理する。
昨夜の配信。霊障でノイズが入って中断したと思っていた。
しかし実際は違った。怪異との遭遇中だけノイズが走り、校庭で柳に生気を吸われた場面だけは――
『……ちゅ、む……んふ……』
ノイズ無し。音声付きで配信されていた。
「終わった……」
おそらく鬼に襲われた際、落としたスマホのカメラが向いていたのだろう。しかも画角的に横からとはいえ、顔出しする形となっていた。
……いや待て。登録者が増えそうというコメントがあった。不幸中の幸いか。いや幸いじゃない。何が幸いだ。問題はそこじゃねぇだろ馬鹿ヤロウ。
とにかく謝罪だ。スマホを持って、震える指で文章を打つ。
配信中の不手際。並びにプライベートな場面が流出してしまったことを深くお詫び申し上げます。後日、改めて "柳の下の幽霊少女" の動画を公開します。楽しみにしてくださっていた方々、ご心配をおかけした方々、本当に申し訳ありませんでした。
SNSに投稿して、動画編集ソフトを立ち上げた。
昨夜までの素材を繋ぎ、効果音を入れ、BGMを乗せる。三〇分で仕上げた。クオリティは七割だが、今は速度優先だ。予約投稿してパソコンを閉じる。
正式な謝罪動画は……。いや、後日に配信しよう。
部屋の時計を見る。10時20分。学校は二限目か。
鞄を掴んで部屋を出ようとして、止まった。
机の上に、柳の鉄扇がある。
そうだ。これを見せなければ。




