第6話 どう足掻いても一緒
法具。
それは、護法使いが怪異と戦うための武具だ。
使い手の霊能力を増幅し、安定させ、戦闘を支援するための道具。刀や槍のような古典的な武器だけじゃない。数珠、護符、果ては経典に至るまで、霊力を通しやすい媒体なら、すべて『法具』となる。
そして、そんな『法具』を作る職人にも階級がある。
護法使いたちから〝三哲〟と呼ばれる特別な家系。
刀剣を鍛える鍛冶師。法術を組み込む細工師。
そして怪異を殺す武器を造る――天目家。
僕の実家だ。
天目家は代々、『法具』を作ってきた。
僕の祖父が、今もそれを作っている。
「これを見て」
柳が座卓に置いたのは、壊れた鉄扇だった。
「私が使ってる『法具』よ。昨夜の戦いでこの有り様。中骨がいくつか折れてる。親の部分にも罅が。あと一戦、持つかどうかも怪しい」
そっと手に取る。
見ただけでわかった。
これは一級品だ。
骨組みには霊銀が混ぜられている。表面には極小の法術刻印。開閉の動作に合わせ、霊力の流れを循環・圧縮する構造だ。
おそらく細工師が刻印を施し、鍛冶師が芯材を打った特注品。
そして、その全体を調律したのが――天目家の技術。
「僕が天目家の人間なのは、そうだ。否定しない」
「なら――」
「でも、僕は継ぐつもりがない」
鉄扇から視線を上げた。
「家督を継ぐつもりがないから、『法具』も作ってない。材料の扱いや基礎は知ってる。でも、それだけだ。申し訳ないけど、力になれない」
断った。はっきりと。
「残念だけど、他を当たってくれ」
「どうして」
「僕の霊能力は、危険なものだから」
「何かあったの」
「関係ないだろ」
脳裏に、火花が散った。
赤熱した鉄。焼けた匂い。悲鳴。
無意識に、指先に力が入る。
「…………」
柳は追及しなかった。ただ黙って僕を見ていた。
その氷みたいな瞳が、ふと細められる。
「協力しないと、この街が危ない」
暗転。再び土壁に映し出される映像。
「景縫の一族は厄介でね。祖先に "影鰐" っていう怪異がいて、彼らはその血を色濃く継いでいるの。だから、真澄も私と同じ半分怪異。けれど彼の瘴気は私と違って、他の怪異を凶暴化させてしまう」
夜の商店街。怪異が通行人に忍び寄り、それを柳の氷が撃退した。
「このまま放置すれば、学校の七不思議も含め、街の怪異は凶暴になる。いまは私が夜に巡回してるけど、真墨の使い魔と並行して戦うのは無理。だから――」
「キミに『法具』を作れって?」
「それと私のそばにいて。霊力を補う役として」
「こ、の……ッ!」
脅迫じみた前置きに一方的な要求。さすがの僕も頭にきた。
「僕の話を聞いてなかったのか!? もう何も作ってないんだよ! キミは物作りとかしたことないから分からないだろうな!? 一日でもサボれば、勘を取り戻すのに一週間かかる! 僕はもう十年も手を動かしてない! 今さら作ったって、出来るのは失敗作ばかりだ!」
「だったら、また鍛え直せばいい」
「そういう問題じゃない!」
「じゃあどういうこと」
「それは……ッ」
答えられなかった。
柳は、しばらく沈黙していた。
それから、責めるような声で言う。
「止められるのに、見ないふりをするの?」
映像には、怪異に襲われる住民たち。
「決闘は残り一週間。追い詰められた真墨は、近いうちに必ず本気を出してくる。当然、戦いは激化するし怪異も人を襲う。あなたの家族も友人も巻き込まれる」
「脅しかよ」
気づいたら、立ち上がっていた。
「帰る」
これ以上、ここにいたくない。
そう思い、廊下に出ようとした。
瞬間、僕は動けなくなった。
まるで見えない糸で内臓を掴まれているみたいに、身体がこの場から離れることを拒絶していた。足が痙攣し、仰向けに倒れる。
「な、なんだ……ッ!?」
「"血の契約" よ」
倒れた僕を覗き込んでくる柳。その瞳は、妖しく光っていた。
「昨夜のキス、覚えてる? あのとき、あなたと契約したの。契約には二種類あって、ひとつは互いの力を共有する "同化" 。もうひとつは力ある者が相手を従わせる "従者" 。私が結んだのは後者よ」
聞いたことがある。古くは坂上田村麻呂と鈴鹿御前の伝承のように、強大な敵を倒すために編み出された、人と怪異の間で交わされる秘術。
血を媒介に、魂を繋ぐ。互いに力を融通し合い、ときには運命すら共に。
けれど柳が結んだのは――怪異が人を飼うための禁呪。
「本来は対等な契約なのよ。人と怪異が協力するための。でも、」
そっと僕の胸に触れる。
「"従者の契約" は別。格上が格下を縛る、一方的な支配」
ぞわり、と背筋が粟立った。
「解除しろ……ッ!」
「嫌よ。あなた、逃げるもの」
「当たり前だ!」
声が荒れる。
実家も、法具も、護法使いも。ぜんぶ見ないふりをしてきた。
もう関わりたくない。
あんな力――二度と。
だが柳は、僕の意思を無視するかのように嘲笑う。
「残念だけど、何もかも手遅れ」
長い髪がさらりと揺れる。
「あなたはもう、私の奴隷」
彼女が顔を近づけた。
「逃がさない。地獄の底まで、ずっと一緒♡」
「んむ――ッ!?」
唇が重なった。
瞬間、身体の底から熱が引き抜かれる。
肺が潰れるような脱力感。視界が、白く霞む。
「ちゅ、る……」
柳の舌が、熱を絡め取るように僕の霊力を吸い上げていく。
妖艶で、冷たくて。どうしようもなく、恐ろしい。
「ふ……ん……っ!」
引き剥がそうとするも、力の入らない腕では肩に触れるだけだ。
その動きが気に入らなかったらしい。柳は「無駄よ」と小さく囁いて、より深く伸ばした舌で簒奪を再開する。
「はぁ……ちゅむ……ん」
「お……やっ、めぇ……」
抗議の声を上げても唇で塞がれる。容赦ない征服。息すらまともにできない。
苦しくなり、怒りで我を忘れそうになる。でも、なぜか心地よくなっていく。柳の冷たい感触で、怒りがすぐに溶ける。血の昇った頭が、静かになっていく。
おかしい。
なぜ、こんなにも僕は――
「ふむ……ぅん……」
息も絶え絶えになった頃、やっと唇が離れた。
「はぁ……ふぅ……」
見下ろす顔に、感情はない。でも、その目は濡れていた。
月明かりに似た、冷たく静かな潤い。
「お願いよ」
そんな瞳で、柳は吐息混じりに懇願してきた。
「私一人じゃ、限界が近い。あんな男に嫁ぎたくない。私は、私には、権利がある。好きな人くらい、自由に選ぶ権利が……っ!」
言うにつれ、落ちてくる涙。
「だから――助けて」
続きは、なかった。
言葉は、そこで止まった。
柳の唇が、わずかに引き結ばれる。変えられない現実に、悔しさを滲ませて。
助けて、という言葉が、頭の中で反響した。
昨夜の光景が蘇る。壁に叩きつけられ、膝をついて、それでも鉄扇を手放さなかった彼女。震える足で立ち上がり、果敢に鬼へと向かっていく姿。
それを、ずっと一人でやってきたのか。
それを、これからもやっていくのか。
「ひとつだけ、聞いてもいいか」
「……なに?」
「助けを求めたのは、僕が初めてか」
間があった。
やや、長い間があって。
「うん」
静かな肯定。
畳の上に倒れたまま、天井を見上げる。
詰んでいる、というのは昨夜からわかっていた。血の契約がある。命の借りがある。盗撮、ストーカーの罪も。そして、いずれ迎えるだろう街の危機。
でも、それとは別の何かが、胸の奥で動いていた。
彼女を――柳夕麗を放ってはおけない。
「わかった」
柳の目が瞬いた。
「けど、条件がある」
「言って」
「ぜんぶ終わったら、契約を解除しろ。キミとはそれで終わりだ」
「……わかった」
「あと、脅しもなしだ」
「二つに増えた」
「うるさい。約束しろ」
「ええ、約束する」
身体の自由が戻ってきた。
起き上がる。深呼吸する。
柳は僕から離れ、湯呑みに手を伸ばした。茶を一口飲み、窓の外を見る。
その横顔が、廊下で夕日を見ていた時と、少しだけ似ていた。
「よろしく、天目一くん」
「よろしく。柳夕麗さん」
縁側の向こう、朝の庭に風が渡った。
茶はすっかり、冷めきっていた。




