第2話 柳夕麗について
「というわけで、知ってること話してもらえるかな?」
「お前なぁ……」
数日後。夕日に染まる教室の一画で、僕は幼馴染にインタビューした。
「また配信のネタかよ」
友人の鞘守匠だ。刀剣の鞘を作る家系の出身だが、将来は音楽で食べていくのが夢らしい。軽音部に所属しており、その影響か髪は長く、しかも結構なイケメンなので学校にもファンが多い。
「いい加減にしねぇと、そのうち死ぬぞ」
「大丈夫。危険なヤツは避けてるから」
「そういう問題じゃねぇ」
ウンザリした顔で匠は吐き捨てると、教室の奥、窓際の席を見やった。
「柳夕麗っていやぁ "護法使い" のエリートだろ」
彼女の席だ。夕日に照らされ輝いている。
「知ってるよ。僕や匠よりずっと強い霊能力者だ」
「ならやめとけ。巻き込まれるぞ」
"護法使い" とは人々に仇なす怪異を調伏すべく、そのための手段に霊能力を使う者。そんな危険な人物に関わろうとする僕を、匠は心配してくれているのだろう。
鞘守家が作る刀剣の鞘は、ただの工芸品ではない。霊的な防壁を持つ特殊な鞘で、護法使いの間では重宝されている。匠自身は家業を継ぐ気がないとはいえ、この世界の裏側を知り尽くしているからこそ、彼の忠告には重みがある。
「わかってる。だから接触はしない」
「その口が言うか」
「今回は本当。情報収集だけだって」
「お前が "だけ" で済ませたことねぇだろ」
反論できなかった。去年の廃工場の一件も、春先の旧トンネルの件も、最初は様子見だけのつもりだったのに、怪異に殺されそうになった。
匠はそれを全部知っている。
「…………」
「…………」
沈黙。遠くから吹奏楽部の音出しが聞こえてくる。
「柳夕麗についてわかってることは少ない」
しばらくして匠が口を開いた。観念した、という表情で。
「転校してきたのが一年の二学期。それ以前の記録はほとんど残ってない。ただ、親父が妙に畏まってたのを覚えてる」
「畏まって? 匠の親父さんが?」
鞘守の当主は僕も会ったことがある。
豪快で気さくな、いかにも職人気質の男だ。
そんな人が畏まるとなると、柳家の格が窺がえる。
「柳家は代々、怪異と血を混ぜてきた。人間と怪異の間にガキを作って、より強い霊能力者を生み出そうとしてな。護法使いの間じゃ異端どころか禁忌扱いで、過去に何度も他の家と衝突してる。うちの親父が畏まってたのも、敬意じゃなくて警戒だろうな」
「マジか。それ初耳だよ」
「本来、俺たちは怪異から人を守る側だからな。その力を怪異に求めるなんて、考え方が根本から違う。目的のためなら手段を選ばないっつーか……まあ、狂ってるだろ」
匠らしくない、静かな物言いだった。珍しく本気で嫌悪しているのがわかる。
「柳夕麗も……その、混血の可能性があるってこと?」
「ある、どころか、ほぼ確実だろうよ。アイツの周囲で起きてる不幸、お前も知ってるだろ。転校、事故、体調不良。あれ、偶然だと思うか?」
「思わない」
「だろ。でも俺は、あれは意図してやってるわけじゃねぇと思う」
匠は少し間を置いてから、続けた。
「瘴気だ。怪異の血が濃いとすれば、本人が望まなくても瘴気を垂れ流す。それで周囲の人間に影響を与えてるんだ。運が悪くなるとか、体が弱るとか、判断が狂うとか。柳夕麗の場合、それが相当に強い」
瘴気。怪異の本質から滲み出る、悪性の気。人間でも霊能力者であれば微弱な瘴気を帯びることはあるが、それは常識の範疇に留まる。けど怪異との混血となれば話は違う。彼女はただ存在しているだけで、周囲に影響を及ぼしている。
幽霊生徒という渾名が、妙にリアルに聞こえてきた。
「つまり、彼女に近づいた生徒が不幸になるのは」
「瘴気に当てられたから、だろうな。本人に悪意はないかもしれない。むしろアレなりに距離を置いて、被害を抑えようとしてるんだろ」
それが、孤立の正体か。
誰にも話しかけず、誰にも話しかけられず、教室の窓際で背景のように存在している少女。もしかすると彼女は、自分から壁を作っているのかもしれない。
「やめとけよ?」
匠がぽつりと言った。
「同情したって、近づけばお前も影響を受ける。霊能力があったって、瘴気への耐性とは別の話だ。お前みたいなのが無防備に近づいたら、すぐに病院送りだぞ」
「仏の加護に期待するよ」
「……忠告はした」
匠は立ち上がり、ギターケースを背負った。ちらりとこちらを振り返る。
「頼むから俺を巻き込むなよ?」
「わかってる。ありがとう」
「礼を言う状況かね、まったく」
呆れたように苦笑して、匠は教室を出て行った。廊下に遠ざかる足音。
一人になった教室で、僕はもう一度、柳夕麗の席を見た。
夕日が傾いて、さっきより光が赤くなっている。まるで警告色のようだ。
幽霊の席、か。我ながら笑えない。
怖くないと言えば嘘になる。けど、もう動き出してしまっている。先払いを受け取ったからには、最後まで調査を進めなければ。
「帰るか」
鞄を持って、教室の引き戸を閉める。
直後、視界の端に人影が映った。
「…………」
夕日の逆光の中、黒髪が揺れている。
振り返ってはいなかった。ただ廊下の窓の外を、静かに見下ろしている。
柳夕麗だった。
僕は足を止めた。彼女はこちらに気づいていないか、あるいは無視しているか。
どちらかはわからない。でも、
――鉄則を思い出す。関わるな。近づくな。
でも今日だけは、その鉄則が遠くに感じた。
「やあ、こんにちは」
よせばいいのに。僕は彼女に話かけた。
「綺麗な夕日だね」
返事はなかった。
当然だ、と思う。
柳夕麗が同級生の呼びかけに応じた話を、僕は一度も聞いたことがない。
存在を無視される側からすれば、声をかけてくる人間の方が異常かもしれない。
でも、彼女は立ち去らなかった。
それだけで、僕には十分だった。
「夕日って、なんであんなに赤いんだろうね」
沈黙。依然として窓を見ている。
「光が大気の層を斜めに通るから、波長の短い青い光が散乱されて、波長の長い赤い光だけが目に届くんだって。綺麗なものには、ちゃんと理由があるんだ」
無視。くっ、なかなか手強い。なら次は褒めてみよう。
「まるでキミと同じだね。すべてを自分の色で染め上げる絶対的なBeauty……。さながら白い服に零したカレーのように、いつまでも消えないTragedy……」
何を言ってるんだ、僕は。緊張でおかしくなったらしい。
それと言うのも、さっきから肌にひりつく感覚のせいだ。
微かな、しかし確実な圧迫感が柳夕麗から放たれていた。なるほど、これが匠の言っていた瘴気か。近づくほどに濃くなる、目に見えない境界線。
自然と、息が苦しくなる。
これ以上は、いけない。
「ごめん。冗談だよ。帰るね」
話しかけてしまった自分が恨めしい。
そう思って、僕が背を向けた瞬間――
「あなた」
呼び止められた。
「霊能力者でしょう」
足が止まった。
振り返ると、柳夕麗はまだ外を眺めていた。こちらを見てない。なのに、断言した。試しているのでも、確認しているのでもなく。知っている、という口ぶりで。
「……なんで」
「瘴気に当てられても平気だから」
詰んだ。
「普通の人間なら、今頃倒れてるはずよ。それに、あなたから霊力を感じる」
開口一番で素性を見抜かれるとは思っていなかった。慌てて言い訳を探したが、彼女は追い打ちをかけるでもなく、ただ静かに夕日を見ている。
「怒ってないの?」
「何を」
「素性を隠したこと」
「隠してたの?」
「…………」
「聞いてないから答えなかっただけでしょう。それを隠蔽と呼ぶなら、世界中の人が嘘つきになるわ」
言い返せなかった。
柳夕麗は、思っていたよりずっとよく喋る。
そして思っていたより、ずっと面倒な相手だった。
「また来るの?」
不意に訊かれた。
「ど、どうかな」
「どちらでもいいけど」
そう言い切って、彼女は廊下を歩き出した。夕日の中、黒髪を揺らして音もなく、振り返らない。まるで最初から会話なんてなかったみたいに。
僕はしばらく、その背中を眺めていた。
瘴気の圧迫感が薄れていく。同時に、実感が追いついてきた。
話した。
柳夕麗と、言葉を交わした。
死ななかった。
「案外、いけるな」
「ねえ」
「え?」
また声をかけられ、僕は驚いた。
柳夕麗が、廊下の先で振り返っている。
「私――今夜は学校に行くの」
「なんで」
「仕事よ。最近、校内の七不思議が騒がしいから」
「七不思議……」
朝霧高校にも七不思議はある。どれも馬鹿馬鹿しい内容ばかりだが。
「今はまだ大丈夫。けど、そのうち人を襲うようになる」
「マジかよ」
「それじゃ」
「ちょ、待っ――」
返事はなかった。廊下の角を曲がった瞬間、気配ごと消えていた。
まるで、本物の幽霊みたいに。
そのとき、スマホの音が鳴った。
「わぼぉう!?」
ビックリした。匠からのメッセージだ。
『で、どうだった?』
盗聴でもしてたのか、このタイミングは。安堵して返信を打つ。
『話せたぜ、ベイビー』
三秒で返ってきた。
『馬鹿じゃねーの』
否定できなかった。




