4話
空気が重くなった。気づいた時には、黒髪の男がそこに立っていた。
「へぇ…そこの女よりは…強いみたいだね」
その声は妙に落ち着いていて、逆に不気味だった。母さんは一歩だけ後ろに下がると、視線を細めて言った。
「うるさい」
その瞬間、男が刀を振る。
刃の軌跡から水が噴き出した。まるで川そのものを圧縮して振り回しているような圧力だった。
「…は?」
思わず声が漏れる。なんで水なんだ。さっきの女と同じ系統か?母さんは横に跳んで回避する。
「驚いたわ。幹部のようね。部が悪いわ」
「大人しく捕まる以外の選択肢はお前にはない」
男の声は淡々としていた。
「勝手な選択ね。選ぶ権利がないなんて余程の自信があるようだけど…撤退させてもらうわ」
その言葉と同時に水撃が母さんへ直撃した。
だが次の瞬間、それは弾かれた。まるで透明な壁に叩きつけられたかのように、水が四散する。
「結界類か。面倒な力を持っているようだな」
男の目は完全に母さんへ固定されていた。
「水明斬」
その一言と共に再び刃が振られる。だが母さんは微動だにしない。
「…え?」
直撃したはずの斬撃は、母さんに触れる寸前で消えていたように見えた。
「…」
男はわずかに後退し舌打ちする。
「厄介極まりないな。これほどの魔人がこんなところに潜伏していたとは想定外だが、ここは見逃してやる。次はない」
そう言うと踵を返そうとした。「そう、ありがとうね。私は行くわ。直斗もー」
その瞬間だった。水の槍のようなものが空間を貫いた。
「彼を連れていっていいとは許可していない」
男の声が冷たく響く。母さんの表情が歪む。
「息子を奪うとか手段を選ばないのは昔からのようね。貴方達のような人間は嫌いよ」
「嫌われ者か…それは残念だが綺麗事で片付ける職についていないからな」
男はそう言うとさらに水を展開させるように腕を振る。周囲の空気が一気に重くなった。水が空間そのものから湧き出しているように見えた。
「ゲホッ…」
気づいた時には喉に水が流れ込んでいた。不味い、呼吸ができない。肺に水が入ってくる感覚。視界が揺れる。母さんの声が遠くなる。
「直斗!」
その声も途切れ途切れになり、意識が沈んでいく。暗闇に落ちる直前、最後に見えたのは母さんの焦った顔だった。
次に目を開けた時、白い天井があった。
「うっ……」
頭が重い。視界がぼやける。
「……ここは……」
周囲を見渡すと、妙に清潔な部屋だった。だが普通の病室より広い。無機質で、どこか監視されているような感覚がある。
「…ここ…」
個室だが、壁の厚みや機材の配置が普通の病院とは違う。遠くから話し声も聞こえる。
「俺はどうしてここに…水に溺れて…そこから記憶がない」
母さんが運んだのか?いや、あの状況でそんな余裕があるとは思えない。ならあの組織か?対魔人組織の施設か。
「起きた?」
横から声がした。聞き覚えのある声に振り向くと、あの女性がいた。あの戦闘で肩を斬られていたはずだが、その姿に外傷は見えない。
「…怪我していたはず…」
「今の医療で回復したの。もう3日も寝ていたのよ?」
その言葉に思考が止まる。
「え?」
「寝過ぎたわね」
「3日…?」
冗談にしては長すぎる。だが彼女の表情は冗談ではなかった。
「マジですか?」
「大真面目な話よ」
思わず頭を押さえる。3日も意識を失っていたなんて現実感がない。溺れてただ寝ていたという表現もおかしいが、それ以上に状況が読めない。
「ここは…どこ?普通の病院…ではない」
「警察病院よ」
警察病院。
言葉としては分かるが、目の前の設備はそれ以上のものに見えた。
「俺はこれからどうなるんですか?」
「それは私の判断じゃないわ。それと」
彼女は少し間を置いた。
「貴方が寝ている間に検査させてもらったの。診断結果ってやつね」
検査。いつの間にそんなことを。俺が眠っている間に何があったのか分からないまま、紙を手渡される。
受け取った瞬間、紙に書かれた文字が視界に飛び込んだ。その瞬間、思考が完全に停止した。
危険指定魔人ランクS。
その二行だけが異様に重く頭に残る。危険指定という言葉の意味は理解できる。
だがランクSという文字は理解の範囲を超えていた。Sというのは最上位だと直感的に分かる。
つまり俺は、この組織にとって最も危険な存在の一角に分類されたということになる。
「…は?」
声が漏れる。紙を握る手が少し震えた。
「嘘だろ…俺が…?」
頭の中で母の言葉が蘇る。魔人。突然変異。隠されていた存在。全てが一気に繋がりかけて、また崩れる。
「そんなわけ…」
女性は静かにこちらを見ていた。
「残念だけど、結果は変わらないわ。貴方は魔人。それもかなり特殊な部類ね」
特殊。
その言葉が余計に不安を煽る。
「じゃあ俺はこれからどうなるんですか」
「それを決めるのは上層部よ。普通なら…」
彼女は少し言い淀んだ。
「拘束か、管理対象ね」
その一言で空気がさらに重くなる。拘束。管理。つまり自由はない可能性が高いということだ。
胸の奥がざわつく。母さんはどうなった。
あの男は。俺は何をされる。
「…」
言葉が出ない。ただ紙のSランクという文字だけが頭に焼き付いて離れなかった。
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5話は本日20時半に投稿予定です
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