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現し世の鑑  作者: 葵日野
第三章:阿須波神
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浄化




「───何が神様だ。何が定めだ」


こんなふうに、人間を苦しめることを何とも思わない奴らに管理されてる人間の世って、なんだ。

何が平等なんだ。

何が“選択”なんだ。


(生きるって、なんなんだよ…!)


夏は瞼を閉じる。

そして、ゆっくりと息を整えた。


(出来る。唱えるだけだ)


やり方や規則なんていらない。

何故なら、もともと自分の中にあったものの鍵を解くだけなのだから。

知らなかっただけで、ずっと胸にあったもの。


「───『印』」


静かに呟かれるその言葉に夏の周りに微量の水が弾ける。

水姫は瞠目した。

夏は異様にも鎮まる心の中で、ふと思案した。

意地がこれほどまでくだらないと感じる状況に出会でくわすなんてこと、そう無いだろう。

きっと、こんなことが起きなければ……こうはならなかったのだから。


「夏様…」


夏の行動に愕然とした水姫が身を乗り出すが、夏はそれをも制止した。今は集中力が試される。

目を瞑れば、水のせせらぎが聞こえる。

気のせいじゃない、確かに自分の中にあるものだ。

夏は不思議な感覚に侵されていた。

初めてのはずなのに、開放した途端に身体中を巡る水の拍動はくどうに懐かしさを感じたのだ。…まるで、“ようやく戻ってきた”といった様に。

手足の先まで行き渡ったのを感じながら、夏は「なあ、水姫」と呟く。


「勘違いするなよ。別に俺は神になりたいわけじゃない」

「……」

「今でも嫌だ。神サマなんて、そんな非現実的なもの…関わりたくもないし、正直、出来ることなら神憑にだってなりたくなかった」


水姫は俯く。そう言われても仕方が無いと理解しているつもりだからだ。

神が人間を助けることに、人間側に選択肢などない。この世の理は、全ては神の手によって治められ、神の“気まぐれ”によって成り立っているのだから。

夏にどう思われても仕方が無いと覚さとっていた水姫は、夏に合わせる顔がなかった。


「…でも、俺は生きててよかったって思ってるよ、水姫」

「!」


その言葉に俯いた顔をあげた。漸く顔をあげた水姫に、夏は微笑を向ける。


「我ながら単純だけど、今は、お前の身勝手に感謝してる。そもそもお前がいなかったら俺は死んでたんだ。……なら、もういっそ出雲でもどこでも行ってやる」

「!」

「だけど俺は諦めない。人間として生きることを。その為に俺は───出雲に行くよ」



“人間として生きるために、出雲に行く”。

そう言った夏の凛とした立ち姿を水姫は見上げていた。


「お前はお前の、俺は俺の目的を果たすために、これからお互いに頑張ろう」

「夏様……」

「せっかく二人なんだ。一緒にやろう。」

「……っ」



“はい”。


水姫がそう目を細めたところで、夏は意識を集中させた。

水姫の指示通りに。

身体中の神経が指先に集中して、小さな水滴が手中に浮かび上がる。

意識を集中させていくうちにそれは段々と質量を増し、両手で抱えるほどの大きさになると、夏は指を鳴らした。

───パシャッ!

ミストのように散開する水飛沫が教室中を覆い、雨のような水が炎を溶かすように鎮めていく。

とても現実的ではないその光景は、水姫の水が普通と違うことを教えてくれた。

それと同時に、神が放った火は普通の水や風じゃなんとかならないことも。“神力”とは、そういうものなのだろう。

思いの外簡単に火が鎮まってくれたのを見ると、夏は全身の力が抜けるのを感じた。

あの火の広がり具合は異常だったが、なんとか収める事が出来た。

夏は残雨に濡れながら教室の惨状に目を細める。

一面黒く焼け焦げ、水によって蒸発した場所から異臭が漂っていた。

視界がはっきりしてきたところで、意識を失って倒れている生徒が目に映る。

夏は慌てて駆け寄った。


「おい!しっかりしろ、みんな!」

「無駄です、夏様。皆、有害な煙を吸い込みすぎています」

「! そんな…すぐにここから出て酸素を吸わせないとっ」


一酸化炭素中毒の場合、すぐにでも綺麗な酸素を肺に送り込むことが最優先とされる。だが、ここにいる全員を外に運んでいては確実に間に合わない。

水姫の水には浄化効果があるらしいから教室の有害な煙は溶かしてくれるし、火傷にも効くが……体内に入り込んだ毒素は抜けない。

このボヤに誰も気がついていないのか、人が誰一人として来ないし……。


(どうすれば…っ)

「夏様、私の言う通りに神力を扱ってください」

「!」


水姫の手がそっと夏の手に重ねられる。


「神力をうまくコントロール出来れば、私の水で、体内の毒気を取り除くことが出来ます」

「! 本当か!」

「はい。ですが、コントロールが出来ることが前提です。それと時間もない。一歩選択を間違えれば、この者達は助からないでしょう」

「!?」

「決断してください、夏様。貴方の手でやるのです。私は…貴方の意志に委ねます」

「…………」

「どうしますか?」


水姫の言葉に夏は息を呑む。

なんて、残酷なのか。

ここに来ていきなり全ての選択権を俺に与えるなんて。

夏は今一度気絶した生徒達を見下ろした。ドッドッと心臓が大きな脈を打つ。

…今、最優先すべきなのは早急な処置だ。それはわかっている。……けれど、途轍もない不安が襲う。全身の震えが止まらない。

それに、神力を解放した反動か、すごく身体が重い。そんな状態で、初めて使う神力をコントロール出来るのだろうか。皆を、助けられるのだろうか。

自分の手腕次第でここの全員の生死が決まる。

それを、俺は本当に成し遂げられるのか。そもそも、俺一人でここにいる全員を救うことなんて───。


「!」


ぽん。ぽん。

突如、体を包み込み、背をたたくのは柔らかな着物だった。


「一人ではありません。“二人”でしょう」

「…………」

「大丈夫。大丈夫ですよ。出来ます。夏様なら、きっと」


そっと頭を撫でられる。

その胸からは拍動は聞こえないが、暖かな何かを感じた。

夏は目を閉じる。

すこしずつ自分が落ち着いていくのがわかる。

……抱きしめられて落ち着くなんて、子供みたいだ。

自分の単純さが心底嫌になるが……今はぐだぐだ考えるのはやめよう。水姫が“出来る”と言っている。何もしないより、した方がいいに決まってる。出来ることがあるなら、なんだってしたい。

夏は迷わずに頷いた。

きっと出来る。

水姫は嘘はつかない。

何故か、それだけは自信がある。


「まずは顎に手をかけて、気道を確保してあげてください。……そう。それから、2センチ程の水を喉に落としていきます」

「2センチ……」

「気を張らなくても大丈夫。あくまで目安ですから」


水姫の指示通りに、夏は倒れた生徒の口を開け、水滴を入れると喉に手をかける。

……すごい。

水が、どこを通っているのかがわかる。そして、すこしずつ“ナニか”を浄化していっているのも。


「まずは器官を治癒し、呼吸をしやすいように掃除(じょうか)していきます。次に肺ですが、」


水姫に言われたとおりに、次々と毒素だけを集めては出すのを繰り返す。

一人目が終わったところでコツを掴んだのか、一人でこなしていく夏に、水姫は呆然としていた。

その集中力もだが、驚かされたのは初めてだとは思えないほど神力を抑制出来ていることだ。

初めて使うはずのものなのに、教えたことは一瞬にして記憶し応用まで利かせている。

どんなに器用な人間でも、神の力をここまで自分の思い通りに使える神憑がいるのだろうか。


(やはり、この方は…)


水姫は夏の横顔を見ていた。

真剣な趣で人間を救おうとする宿主に、思わず苦笑してしまう。


(本当に……この方は“特別”なのね)


他の誰でもなく、“この方”だから……きっと。





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