玩具
午後の講義が始まった。
あれから水姫の姿を見ていない。
言い過ぎたとは思うが、悪いことをしたとは思わない。そんなことを思うのは見当違いだ。
────“夏様…その話、どこで”。
「…………」
虚をつかれたような水姫の顔が、頭からこびりついて離れない。彼女が無意識に発したであろうあの言葉が物語ったのは、例の話を意図的に隠していたという事実だった。
何か理由があるのだろうと夏は思った。だが、だからといって受け入れられる訳ではない。何でもかんでも自分の脚本通りに進めようとする自分勝手な水姫に苛々する。
何一つ自分には教えてくれない。教えてくれるのは“規則”や“やり方”だけで、俺は水姫自身のことを何も知らない。
何故俺を助けたのか。何故 高天原に行きたいのか。何故 神無月が欲しいのか。
もちろんそういうことも知りたいが、何が好きで、何が嫌いかなんて在あり来きたたりなことも聞きたかった。
(今思えば……ずっと変な奴だったな。アイツ)
水姫には、出会った当初から異常な懐かしさを感じていた。まるでずっと一緒にいたかのような、深い親しみ覚えた。
…まあ、この心臓は水姫のものだし、そういうことなのだと言われればそうだけど。
でも、生かしてくれたことを他の誰でもない、自分が感謝しているんだ。
アイツがいなかったら、俺は息をすることも、家族と過ごすことも、夢を持つこともできなかった。
それは確かで、俺の素直な気持ちだ。
(……あいつが来てからまだ一週間ちょっとなんだよな)
正直まだどこか夢心地だが、それほど、気付けばあいつの存在は自分の中で大きく、無二のものなっていた。きっとどこを探してもいない、心が“安心”する存在。
もっとよく知りたい。
もっとちゃんと話したい。
もっと………同じ歩幅で歩きたい。
それが出来るか否かは、分からないけれど。
夏が重たいため息をついたとき、丁度教室に教授が入ってくる。
午前は例のマニュアルの所為で集中出来なかったし、とりあえず今は勉強に集中しなくては……。
(水姫のことは後で考えよう)
夏は気持ちを切り換えるために姿勢を正した。──が、同時にあるものが目に映った。
教授のすぐ後ろだ。
やけに小さい体をした生き物がとことこと短い足で歩いてる。
明らかに、あのサイズは人間ではない。
夏は目を凝らしてその様子を見ていた。 この教室にアレが見えている人はいるのだろうか。神憑になったことによって、人の目には見えないモノが見えるようになったわけだが、欠点がある。それは、当たり前のように見えすぎてしまうことだ。そこにあるものが、普通の人間に見えているのか見えていないのかわからない程鮮明に、自分の目には映る。
(何する気だ…てか、なんであんなところに……)
教授の後ろに連なるように歩いていたそれは、やがて、教卓の上に飛び移る。その一挙一動に夏はハラハラしていた。
近くに水姫がいるわけではないから、水姫の友達というわけでもなさそうだ。だとしたら、何故あんなところに小神が…。
そう思った時だった。
小さいソレは、悠然と口から青い息を吹き出し始めた。
ゆっくり、ゆっくりとそれを四方に吹き分けたのだ。
唐突なそれに夏は目を奪われた。
まるで、誕生日ケーキの蝋燭を吹き消すようなそれを……
(………ん?)
吹き消す?
青い息?
そう疑問を抱いた次の瞬間には、教室から悲鳴が起きていた。
一瞬にしてザワザワと騒がしくなる教室に、夏は慌てて立ち上がった。
教室のあちこちから、火が上がる。
(違う。逆だ…! )
夏は犯人であろう教卓の上のソレに目を移すと、奴は真っ直ぐとこちらを見て、口元を三日月のように釣り上げ、いやらしく笑っていた。
夏の眉間に皺が寄る。
「アイツ…!」
席から抜け出し、騒ぎ立てる生徒たちの間を通り抜けて教卓に向かうが、それにいち早く気が付いた小神は早々に窓から逃げ出す。
舌打ちをした夏は、教室を見回した。
火は異様な広がり方でどんどんと拡大していき、パニックに陥った生徒たちにより一層騒がしくなる。
パニックの原因のひとつは、教室の扉が開かないことだった。
そしてもうひとつは、教授が気絶していること。
おそらく、どちらともあのイタズラ神の所為で間違いない。しかし、脱出するにもここは三階だ。軽々しく出られる高さではない。
夏は息を呑んだ。
どよめく教室内で未だ冷静なのは、事の一部始終を見ていた夏だけだ。決して他人事には出来なかった。
(どうする…どうすれば…)
「──夏様!!」
「!」
背中に冷や汗が伝ったその時、窓から飛び込んできた女の姿に目を見開く。
女は勢いに任せて夏を抱きしめると、すぐに両肩を掴んで怒涛の如く揺らした。
「夏様、お怪我は!? 痛いところはございませんか!? 可愛らしいお顔に傷はついていませんかぁ!?」
「み、水姫!!ストップ!死ぬっ!」
首がもげるのではないかと思うくらいの勢いで身体を揺らされ、夏はなんとか水姫を制する。
「落ち着け、俺は大丈夫だから」
「夏様…」
夏が頷けば、水姫は安心したように息をつく。
しかし、そうしている間にも火は広がり、燻煙くんえんによって生徒は皆ぐったりとし始めた。
ここに来てやはり自分が普通じゃないことを思い知る。
この一酸化炭素が蔓延する教室で、一人だけなんの影響も無く立っていられるのは、やはり水姫のおかげなのだろう。
けれど、このままでは他のみんなが危ない。
火傷。一酸化炭素中毒。どちらも手遅れになれば対処のしようがない。
教室の窓は開いているが、何故だか煙が外に逃げてくれない。それすら妙だが、あの小神の所為だと言われれば納得がいってしまう。
とにかく、夏と水姫は火の手が少ない教卓の周辺に気絶した生徒を運んだ。
なにか出来ないかとパニックになった頭を必死に働かせながら。
何か……何か……。
「!」
ハッと夏は何かに閃いたように水姫に振り返った。
「お前の水でどうにかできないのか、水姫!」
そうだよ。なんでもっと早く気づけなかった。水の神様である水姫なら…!
夏は期待を込めた目を向けるが、水姫は困ったように首を振る。
「ダメです…私の今の神力じゃ、とても」
「なんでだよっ!?」
「…私の神力の七割は夏様の体に宿っています。夏様が神力を開放しない限り、私も夏様も神力を使えません」
「!」
言いにくそうに口を割る水姫を見る限り、これも黙っていたことなのだろう。
こんな土壇場でそんな大事なことを告白するとはなんとも水姫らしいが、今は迷惑極まりなかった。
…つまり、今使える神力は、水姫の身体に宿る微量のもの。出会った際に頭にかけられたような、水遊び程度の水だという事だ。
そんな事実を伝えられる最中さなかにも、焦眉する事態に夏の表情は歪んでいく。
もう、時間が無い。
「それに、この炎…可笑しいです。どこかでコントロールされてるような、まるで、炎が生きてるような…」
「!」
──その時。
ガタンッ!と何かが外れる音と軋む音がして、夏は慌てて上を見上げた。
教室の天井についていた暖房用の煙突が、上から落ちてくる。全身の血が引くのを感じた。
「水姫!」
「…!」
咄嗟に水姫を押し飛ばして転ばせる。
尻餅をついた水姫と夏の間に焼け焦げた鉄筒が音を立てて落ちた。
…本当に間一髪だった。
熱を帯びた鉄筒を見て冷や汗をかく。
あんなのに直撃したら一溜りもない。他の生徒がいなくてよかったと心底思う。
何より、俺と水姫をピンポイントで狙ったかのような落ち方に不自然を感じて、何となく窓に視線を向けるとあの小神がケタケタと笑っていた。
満足したようにまた姿を消したその宙を呆然と眺めて、夏は自分の中で何かがプツリと切れるのを感じた。
(………なんなんだよ、本当に)
ぐったりと気絶した同期生を俯瞰して、夏は唇を噛む。
関係ないだろう。
この人達は。
何も悪いことなんてしてないし、今日だってただ授業を受けてただけだ。
それなのに、神様のイタズラで死ぬなんて……それこそ人間は神様の玩具のようだ。




