衝突
午前中の講義を終えて、昼を迎えた。
夏は水姫を連れて、裏庭の清掃用具入れ付近で買ってきた弁当を食べることにした。
お昼ご飯を食べるにはミスマッチな場所だが、その分人気が少ない──水姫と話すにはいい場所だ。
普段とは違い問題児を一人連れているためか、講義中も気がそぞろで、まだ昼だと言うのに疲労困憊であった。
水姫はというと、寝て、散歩して、どこからか連れてきた小神と戯れて……と自由に過ごしていた。それはもう、自由に。
約束どおりおとなしくしてくれていたのでよしとするが、人の気も知らないで暢気なものだと思う。
「夏様、マニュアルには目を通しましたか?」
水姫は、朝俺が適当に作ってやった巨大なおにぎりを手に持ち、一口目を咀嚼し終えたと同時に話し始めた。このおにぎりを作っている時、母親に「そんなに食欲あったっけ?」と聞かれたことは記憶に新しい。
「…そんな暇なかったよ」
「ええ! ダメですわ、今見てくださいませ」
「えー……」
うんざりと言った表情をすれば、どこから出したのか目の前にマニュアルを差し出される。ここで拒否してもあとが面倒なだけだとしっかり理解している夏は、致し方なくその意味不明な冊子を捲る。
【~水神のお仕事マニュアル~】
“その一『水を出す』”
────すっ。
冊子を閉じようとすれば、がしっと水姫に阻止される。
夏は再び致し方なくページを捲った。
“その二『水中生物の悩みを聞く』”
“その三『雨を降らせる』”
“その四『水を清める』”
“その五『川を創る』”
“その六『祠を参拝する』”
“その七『全国の水分神社を参拝する』”
“その八『全国の水分神社を掃除する』”
“その九『全国の水分神社の祈願を管理』”
「…………お前マジで言ってんの?」
夏が素のトーンで問えば、「当然ですわ!」と返ってくる。
「まあ神迎祭まで時間もないので、さすがに全てをこなせとは言いませんが」
これから忙しくなりますわね。そう他人事のように言う水姫。
「いやいや、無理だって! 雨降らせるとか川作るとか…新手のジョークか!」
「まあ! 水神の暦とした神事をジョークだなんて! 祟られますわよ?」
「………っ」
怒りを通り越して呆れが込み上げてくる。
しかしここでこちらが怒りに任せて言及してしまうと余計に話がこじれることは明確なので、夏はぐっとこらえた。
もう一度マニュアルを俯瞰し、ふとあることに気づく。
「…これ、何が違うんだ?」
「はい?」
「 “神社を参拝する”と“祠を参拝する”ってあるだろ」
水姫は「ああ」と人差し指を立てる。
「まず基礎知識として、神社は知っての通り私……水分を祀る所です。そして祠は、私の配下である小神が祀られているところですわ」
「小神?」
水姫は頷く。
「水神には水の小神が配下に存在します。神格は低くとも、存在自体は私と変わりません」
現代風に例えるならば、会社の上司と部下みたいなものでしょうか。
水姫のそのわかり易い例えに夏はピクりと頬を引きつらせる。
時々思うが、水姫の現代に対する理解が綿密で凄い。どこから得た知識なのか……。
「…神様はとても寂しがり屋なんです。自分を信仰してくれる者や参拝者がいなければ、人知れずに消えてしまうのです」
水姫は哀しげに呟いた。
「もちろん、私ほどの神格の神にもなればそんな事は起こりませんが、生まれたての小さな神様たちにはよくあることなのです。だから、そうならないためにも、上のものが下の者を敬い、背を押すことも立派なお仕事の一つなのですよ」
「ふーん…」
神様でも子供から大人になったりするんだな、と他人事のように思った。
(水姫も、こうして水分神に成る前はいつ消えてもおかしくない小さい神様だったのかな)
神様の昇進制度までは知らないが、ただ一つ言えるのは、水姫のような女が水神の上司だったら、俺は嫌だ。決して口には出さないが。
「……ん?」
待てよ? 夏はマニュアルにもう一度目を凝らし、ばっと見開いた。
「 “全国の水分神社の祈願を管理”…なんだこれ!」
「はい、これが最も大変なのです…」
水姫はため息をつく。
「全国に私を祀った神社は合計すると二十は御座います。それらの祈願を履歴に起こし、順に成就を計っていかなくてはなりません」
「……成就っ……?」
「仮にも水神の代行なのですから、当然ですわ。何度も言いますが神迎祭まで本当に時間が無いので、早めにこの作業に移らなくてはなりません。あまり長引かせると祈願はどんどんと溢れてゆきますのでご注意を」
「………っっ」
他人事のように語った後、水姫は再び美味しそうにおにぎりを頬張った。
夏は心底嫌気に見舞われていた。
全国の二十もの神社の祈願を纏めるって…もう既に人間業ではできないものだ。
(……まさか全国の水分神社巡って歩けって言わないだろうな)
ありえそうだから怖い。
「!!」
いや待て!!
“全国”の水分神社を参拝する。
“全国”の水分神社を掃除する。
冷静にマニュアルを見直して、夏は後悔した。良くも悪くも、“マニュアル”はしっかりしているらしい。“すべて”が記されている。
「………お前さ、俺をどうしたいの」
思わずマニュアルを片手に呆然と呟いてしまった。
管理、掃除、参拝。
どちらも直接神社に赴かなくては出来ない事である。ありえそうだから怖かったものが、本当にありえてしまったとき、人は言葉が出ない。
しかし水姫は自分のペースを決して乱すことはない、図太い神経の持ち主だ。
「それはもちろん、誰よりも立派な月神ですわ」
「お前俺のこと嫌いだろ」
「何を言うのです?目に入れても痛くないほど大好きです。いっそ本当に目に入れても…」
「却下」
血走った目で少しずつ近寄ってくる水姫の顔面を鷲掴みホールドして動きを封じる。
「でもでもっ、大切なことですわ!神は願いを叶えるものですし、神の住まう場所は常に清潔でなければいけませんし、神は数多の信仰によって強くなるもの!いずれも大切なことですわ!」
「……それはわからなくもないけどさ」
そういう問題じゃないんだよなぁ…と、夏は頭を抱えた。
やらないってずっと断っているのに、よくもまあ懲りずにこんなとんでもないものを作ってくる。呆れを通り越して尊敬の眼差しを向けた。
「これでもなるべく簡単なことから書き起こしたのですよ?最初から川を創れと言われてもできないでしょう?」
「当たり前だわ!!」
例えがダイナミックすぎる。てか、川って自然にできたものじゃなくて、水分神が創ってたのか…!
新たなカミングアウトに卒倒しそうになる。ここまでくると、神様がどこまで手を加えているか、周囲のモノを疑った目で見る癖がつきそうだ。
「ところで、珍しく熱心に話を聞いてくださいましたが、水神のお仕事、興味湧いてきました?」
「湧くか!」
即座に返答する夏に水姫は目を点にするが、夏はイライラしながら弁当のおかずを次々と口に運ぶ。
「無理だよ、ムリムリ!出来るわけないじゃん。つーか俺学生だし、そんな全国各地回ってる時間も金も気力もない!出雲にも行かない!はい、この話はおしまい!」
待ってました、と言わんばかりに水姫は微笑む。
「それならご安心下さい夏様」
そんな水姫の妖艶な笑顔に夏は箸に挟んだたくあんを落とした。
割とハッキリと断ったし理由も説得力があったと思うが……なんか秘策とかあんのか?
……ハッ!
ま、まさか、神憑の仕事で出る出費は全て出雲の月神の人達が手配してくれるなんて、そんなありがた迷惑なこと………。
夏は水姫の一挙一動に息を呑んだ。そして、水姫が着物の下から出したのは…、
「じゃじゃーん!夏様でも簡単に出来るアルバイトを幾つかピックアップしておきました!」
「はぁ!?」
アルバイトの紹介雑誌だった。こいつ、どこから手に入れてくるんだろう、こういうの。
「おまっ…その為だけに俺にバイトさせる気か!?」
「大丈夫です!大学と並行して長期続けられるような、単純かつ高収入のモノを探しました!私の計算が正しければ、週五日三時間のリミットをこなせば、あっという間に交通費は確保できますわ!」
「祟りか!? 祟りだな! 縛り上げたこと根に持ってんだろ!!」
「これで交通費の問題は解決ですね!あとは時間ですね…。大学をお休みさせるのは些か抵抗がありますし、アルバイトをはじめたら尚更…」
「人の話聞けよぉ!!」
夏は今日一番の雄叫びを上げたが水姫にはなんの効果も無い。
楽しそうにニコニコ笑う水姫の笑顔を見るたび心労が耐えないのはなぜだろう。…ああ、水姫のペースに持っていかれてるからだ。
「難しいことは後にして、まずはマニュアルの一から四をクリアすることからですね。ひと月以内に」
「ひと月!?」
「当然ですわ! 5ヶ月しかないのですから。とりあえず、アルバイトの面接は早めに行っておきましょうか」
「マジだったのかよ…」
夏は疲れてそれどころではない。
これ以上不毛な争いに体力を使うのは得策ではないとようやく悟った夏は、生返事で話を流していた。しかし、そんなチャンスに乗らない水姫ではない。
「それだはまず手始めに、『印』と唱えてください。神力を解放する鍵言葉です」
「は…はあ? そんなオタクっぽいこと言えるかよ」
「言ってくださいませ! でないと出来ないじゃありませんか」
「なにをだよ」
「ですから、第一関門『水を出す』です! 恥ずかしがり屋さんな夏様も素敵ですが、恥ずかしがってては何も始まりませんよ。さあ、ドンと言っちゃってください!」
水姫の勢いに気圧されて、夏は致し方なく、昔見たヒーローもののアニメを思い出す。が、あんなに勢いよく言ったらそれこそ馬鹿みたいだ。
そんな羞恥心と戦いながら、顔を赤く染めた夏は呟いた。
「い、いん…」
「声が小さい!」
バシィッ、とどこから出したのか、水姫が指し棒を夏の座るすぐ隣に打ち付ける。
突然のことに目を見開いた夏は、思わず反対側に仰け反った。
「神力を開放する気があるんですか? もっと真面目にやってください!」
「そもそも乗り気じゃねえよ!」
すっかり敏腕女教師気分である水姫に夏は頭を抱える。
「本当に無理だって! 俺にそんなことできるとも思えないし…」
「出来るできないじゃありません、やるんです」
「そもそもやりたくないっていってるじゃんか!」
「ダメです」
「ダメって…お前な!」
「この先、夏様には覚えていただくこと、やっていただくことがたくさんあります。ここで躓いていてはなにも始まりません」
頑なで、少し焦燥感が滲む水姫に頭を抱える夏。
「埒が明かないな。だから、何度もいうけど俺は月神になんて…」
「っあなたの我儘に付き合っている暇は無いといっているのです! いいから言うことを聞きなさい!」
「!」
暴言にも似たその言葉に夏は眉を寄せた。
同時に、水姫もしまったと言わんばかりに口を抑え、目を逸らした。
「…………」
何故、俺がここまで言われなくてはならない?
それが夏には理解できなかった。
やらないと断言していることを頑なに押し付けられようとしているこの現状もそうだが、何より、夏は水姫から異常な程の重圧、そして焦りを感じていた。
そもそも、人間界に影響を及ぼすであろう神としての仕事など、人間がすべきではないだろう。それが理だ。
他の神憑が本当にこのような仕事をしているかは定かではないが、もししていたとしても簡単に受け入れられるものではない。
水姫の存在を漸く受け入れられつつあるときに、実際に神様の仕事をさせようだなんて重荷過ぎるし、まるで自分を駒のように扱う水姫への失望が激しい。
……いや、違う。
俺は、“自分”が壊れるのが嫌なのだ。
家族がいて、友達がいて、普通に大学に通い、夢を叶えるために勉強をして。
そんな、当たり前のような生活が好きだった。当たり前のような、“普通”が。
──それが、今じゃ。
「いい加減にしろよ」
ふと出た声音は自分でも驚くくらい低く冷たいものだった。
「俺は月神になんてならない…! 何回も言ってるだろ!」
夏の大きな声に、水姫の表情は曇っていく。
水姫にとってはこれはわがままでしかないのだろう。だが、俺は聞き分けがいいわけじゃない。
「…いけません。月神になることは、神憑になった者の定めなのです」
“神憑になった者の定め”
その言葉に眉を顰める。
夏はこの時、改めて思い知った。
この女は、神サマだ。
人間がどれだけ拒絶したところで関係ない。目的のため、自分のために、横暴を貫く。神にはそれだけの自由な権限があるのだ。
だが、神に救われた瞬間から人間側には生きる自由など存在しない。神の機嫌を損なわないため、ただただ延命するために、縛られた生活を強いられる。
夏は歯を食いしばった。
そんな生活、あっていい筈がない。
月彦の話を聞いて“逃げ場がない”と思ったのは確かだ。でも、こんな……生きることに制限があるなんてこと、こんな、“不平等”なことを、俺は──
「何が“定め”だよ」
きっと、絶対、この先なにがあろうと。
(受け入れられない)
「そんなのお前たちが勝手に決めつけてるだけだろ。…俺はどうでもいい。何が高天原だ。お前らが何に焦がれて、何を目指してるかなんてどうだっていい! 神憑は…助けられたその瞬間から、お前らの目的を果たすための駒でしかないんだから」
「!」
夏の冷淡とした声が静かに風に流れる。
そんな中、水姫は目を丸くして身を引いた。
「夏様…その話、どこで…」
水姫の声が震える。
だが、夏は答えようとはしなかった。
理解はする。でも、納得はしない。
腑に落ちないすべてを真っ向から受け取る気力など更々無い。
夏は裏切られた気分だった。
最初から、水姫にとって俺はただの駒だったということ……それが、異様に虚しかった。友達のようで、兄妹のようで、親子のようで、家族のようで。ムカつくし、変だし、訳わかんないけど───俺にとって水姫は、同じ道を歩いていける唯一の存在だと思っていたから。
「お前らのプライドのぶつけ合いに巻き込むな!高天原なんか行きたきゃ一人で行け、バカ野郎!」
鞄を手に持って夏は走り去る。
その背中が見えなくなる一瞬まで、水姫は微動たりともせず静かに見つめていた。
──── 一方で、そんな水姫たちの姿を観察する人間がいた。
彼女らのいた場所からちょうど死角になる壁に背を任せながら、走り去った夏の姿を思い返した。
「……今の、」
見たことある。
男はそう小さく呟いた。
それと同時に、男は見てはいけないものを見てしまったような気持ちになって頭を抱えた。……まさか、同じ大学に“同じ”人間がいたなんて。
「あら、随分と懐かしい顔ね」
「…こら、出てくるなって」
男のため息の根源に興味を印したのか、すぐ隣から女が顔を出す。
朱い髪を靡かせ、赤い唇に弧を描かせ、妖艶に笑む。
白々しいと男は内心思った。ここに彼らがいることを知った上で、自分を導いたくせに。
「ふふふ、可哀想。宿主にフラれちゃったみたい」
「ねえ、もう行こうよ…」
これ以上ここにいても埒が明かない。
どちらにせよ、この女が何かを企んでいることには変わりないのだから。干渉する権利なんて自分にはないし、した所で言うことを聞くとも思えない。
「…でも、珍しいわね。神霊相手にあんな風に楯突く神憑、見たことないわ。あの子、余程死にたいのかしら」
クス、と怪しげに微笑む女には、慣れ親しんだ自分でも恐怖を感じる。だが、男はそれでも平然を装った。
女は顎に手を置き、それにしても…と呟く。
「あの子が人間を、ねぇ……」
再び同じ場所に目を向けるが、もうそこには彼女はいなかった。
男は安堵の息をつくが、それと反比例して、女はいたずらを思いついた子供のように小刻みに震えながら笑い出した。
長い間共に過ごしてきた自分だからわかる。この女がこの笑い方をするときは、大抵悪いことが起こる前兆だ。
「ふふふ! 面白いことになりそうよ、マコ」
「頼むからこれ以上俺に独り言言わせないで…」
傍から見ればすごい独り言だと思う。しかし、それ以上にこれから起こるであろう“事”の方が不安で仕方なかった。




