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現し世の鑑  作者: 葵日野
第三章:阿須波神
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地獄のバス




(…………それにしても、)


気になったことがもう一点、夏の胸に刺として残っていた。水姫のことである。

再び出会うまでの数年間。

だから安心して任せることができた。

そう水姫は言った。でも……その言い方だと、まるで何か理由があって会えなかった、というふうに聞こえる。

思い返せば不審な点はいくつもあった。出会い頭の『ようやく会えた』と言いながらの抱擁も、『再びまみえることができた』という今の言葉も。

そもそも、神憑とはいつから始まるものなのだろうか。

命を救われたその時からか。それとも、大人になってからか。

よく、小さい頃は幽霊が見えるけど、大人になったら見えなくなってしまうと言う話を聞く。でも俺の場合は全くの正反対だ。子供の時は見えなくて、こうして十八歳の時に水姫と会い、この目で神を見れるようになった。

これには、何か意味があるのだろうかと夏は思索する。

しかし、水姫はお喋りが好きな割に自分の事は全く話さない奴だ。故に、どれだけ考えても答えは出ない。だからといって、気軽に聞けるような話題ではないということくらい、夏は悟っていた。


(でももし、本当に何か理由があるなら───)

「夏様?」

「! あ、いや…」


ハッと我に返れば、顔を覗き込む水姫の顔がドアップで夏の視界を覆う。

ドキッ、と心臓が高鳴り思わず顔を逸らせば、すぐ様水姫の高揚とした黄色い悲鳴が聞こえる。


「夏様、お顔が赤いですよ! 照れちゃったんですか?」

「なっ、違う!照れてない!つか近い!」


耳を塞ぎ水姫から距離をおこうと夏は足を進めた。

周りには見えないからと言っても、夏からすれば水姫の過剰なスキンシップは公開処刑である。一人で赤くなったり喚いてたりしたらそれこそただの変人だ。平然を装わなくてはいけないストレスをここ連日水姫から与えられ続けている。


「さあ、夏様。本日からは神力をコントロールすることから始めますよ!」

「…は?」


ぴきり。こめかみに血管が浮く。

ただでさえ不満で心がいっぱいだというのに、当事者である彼女は唐突に意味不明なことを言い始める。


「……それってやっぱり、お前がやってた"アレ"か?」


夏は出会い頭に頭から水を落とされた時のことを思い起こした。

すると、水姫はより一層笑顔を咲かせる。どうやら当たってしまったらしい。


「大丈夫、曲がりなりにも夏様の体には私の命が宿っているのです。水神憑としての才能は保証致しますよ!」

「そういう問題じゃなくて~……何回も言うけど、俺は普通の人間なの! そんな妙な力使ったら、それこそバケモノじゃんかっ!」

「まあ、やる気満々ですわね! 神力が扱えることを前提に話を進めるだなんて!」

「人の話聞けよ!!」


夏は頭を掻きむしった。

何故こんなに話が噛み合わないのだろう。ここまで来ると悪意を感じる。

……あ、バスが来た。


「月神になる為にはまず、神力をコントロールすることが第一関門ですわ。私が以前お見せしたようなことなら、今の夏様にも簡単に…」

「さよなら」

「ああっやだやだ!おいていかないでください!」


夏が乗車すると、水姫も慌ててバスに乗る。

自分以外の数人のお客さんを確認して一番後ろの奥の席に座った。

そしてなんの迷いもなく堂々と夏の隣の席に座り込む水姫に、夏はもう言葉さえ出ない。

……ところでこれ、もし隣に誰か座ったらどうなるのだろうか。透き通るのかな…?


「話の続きですが、重要なのはその先なのですよ」

(まだ言ってるし……)


口を開けば月神になるための豆知識やら作法やら…。果てには、神様の能力を習得させようとしてきた。こいつ、本当になにか恨みでもあるのだろうか。


「神力は極めれば極めるほど大きな力となっていきます。いずれは川を創ったり、雨を降らせたり、更には人間の病を治療する事も可能です」

「人間の病!?」


思わず声を出して身を乗り出したが、即後悔する。

…早速やってしまった。

怪しいものを見る目が夏に集中する。

そんな中で、水姫はなんとも楽しそうであった。自然と殺意が沸き立つが、そんなものお構いなしの水姫は語るのをやめようとはしなかった。


「本当です。噂などではなく、実際 水には治癒・鎮静の力があります。そもそも人間の体の六十率は水で出来ています。水に関する全ては、水神の支配下ですわ」


自慢げに語る水姫に夏は無反応を装った。

しかし、内心はドキドキしていた。

彼女の話でここまで興味を持てたのは初めてのことだ。聞きたいことがありすぎる。


「神迎祭まで時間がありませんし、これからの期間、いかに水神としての神力を極め、神事をこなしていくかが鍵に…って、夏様、聞いていますか?」

(返事できないのわかっててやってるな、コイツ…)


恨みのこもった目で水姫を睨めば、何を思ったのか水姫は手のひらに手槌を打つ。


「ご安心ください、夏様! 私も全力でサポートさせていただきます!」

(なんでそうなる!?)

「不安なことも多いでしょう、ですが私がいればもう安心! 神迎祭までの期間、安心安全快適な水神憑としてのお仕事を、こちらのマニュアル通りに進めていきましょう!」

(どこから出した!?)


どこからか出した"水神のお仕事(ハート)"というバイトのマニュアルのような小冊子に本気の殺意が湧いた。

いつ作った。そしてその表紙に描かれている奇妙な絵はなんだ。


ツッコミどころは多々あるが、とりあえず夏は頭を抱える。


怒りたい。いや、この阿呆を何とかしたい。

だが、現状ではバスが停留所に着くまで我慢しなくてはいけない。


俺は、こんなストレスを毎日繰り返しため続けたら禿げてしまうのではないかと思う。




***




「やっと着いた……」


いつもの十分がとても長く感じた。

ぼーっとバスから降りていく人達を見つめて、人が切れたタイミングを見計らって最後に下車する。そこで、夏はあることに失念していたことに気づいた。水姫の手に持つ小冊子だ。


「…みーずーひーめー!」


脳天気な顔をした水姫の手にあるブツを指さした。


「そのマニュアル!いつの間にそんなん作ってんだ!」

「ああ、これは色んなことをいっぺんに言われて夏様が戸惑っているんじゃないかと思って、善意と良心で作り上げた作品です!」

「何が善意と良心だ! 嫌に決まってるだろそんなの!大体、もともとはお前の仕事だろ? なら、神様としての仕事くらいきちんとやれよ」


言い聞かせるように水姫を見つめれば、水姫から笑顔が消える。

突然真剣な趣で見つめてきた水姫に夏は狼狽した。

夏は、時折する水姫のこの目が苦手だった。


「…夏様。以前申し上げたとおり、神が人間の生に干渉することは異例なのです。一度それを犯した神は、神としての力の約七割をその人間に譲渡することで神憑を生む。…私の体には、かつてのような神力は宿っておりません」

「!」



──神としての力の七割を、人間に?


夏は我知らず広げた手のひらを見つめた。

こんなふうに普通に生活してきて、普通の人間と同じ見てくれをしているというのに、命は神様のもの、そして、神様の力を七割も持っていると言うのか。

にわかに信じられない。

今まで一度だってそういう力を使ったことがなければ、それを予感させるようなこともなかった。実感が無さすぎて、いっそ笑えてくる。


(つまり…実質、水姫より強いってことになるのか?)


神様が神様としての力を失うこととは、すべてを剥奪されたようなものなのではないか。

神としての地位、プライド、そして責任を全て拙い人間に託すということではないか。

“気まぐれ”だとはわかっていても、そこまでして助ける義理があるのだろうかと思うと意に染まらなかった。

助けてもらっている手前何も言えないが、神様の“気まぐれ”とやらが、夏には理解できなかった。


「そんなに悲観することではありません。神力を喪うことを恐れている神は、そもそも人間を助けたりしませんしね。私は、夏様に出会えたことが幸せだから、これで良いのです」

「水姫……」


優しい笑顔で微笑み、あまり変わらない背丈の夏を優しく撫でた。

慈愛の篭った目だ。

ここまで言われてしまっては何も言い返すことができなくて、夏は息をつく。

気はずかしいことをなんとためらいもなく言えるのは、彼女だからだと思った。


「と、いうことで。こちらのマニュアル、目を通しておいてくださいね?」

「っ…そうなると思ってたよ」



綺麗な思い出だけで済ませる奴じゃないよな、お前は……。










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