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現し世の鑑  作者: 葵日野
第二章:神憑
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玩具



そんな月彦から夏は目を逸らした。

わかっているのだ、この男は。

夏の胸の靄が拭えていないことを知った上で、試すような言葉を掛けてくる。

確かに彼から聞いたことは全て自分が聞きたかったはずのこと。だけど、それは思った以上に残酷なものだった。

そんな現実と無関係ではいられない状況下にいる自分を、まだ受け入れられずにいる。


(でも……)


十八年間生きてきて、突然この命が誰か別のヒトのモノだと言われて。普通なら気持ち悪いと思うはずなのに……本当に不思議なことに、気持ち悪くないのだ。むしろ、暖かく感じる。

自分のモノのようで、そうではない。

他の者の手中に自分の命が握られているというのに、恐怖感こそあれど嫌悪感は感じない。

その事に夏は何よりも慄然とした。

まるで、自分が自分じゃないみたいで。

神憑は…………こんな“恐ろしい感覚”と戦っていかなくてはならないのか。


「ひとつだけ忠告しておくよ」


いつの間にか自分の背後に移動していた月彦が夏の首に触れた。

ぞわ。

背筋が粟立つ。


「極力ひとり歩きは控えた方がいい。今日みたいに憑き神が傍にいないなんて絶好のチャンス…他の神憑が狙わないわけ無いからね」

「!」

「ライバルは少ないに越したことないからさ。神憑は神憑ってだけで、無条件に邪魔な存在だ。どれだけ優しそうな人でも、どれだけ仲のいい友達同士でも、本当の意味で、誰が安全で誰が危険なのかなんて分からないんだよ」


月彦の手が喉を撫でる。脂汗が頬を伝い、喉を通る。

先程までの親しみやすい月彦ではなく、出会い頭の……高圧的な月彦だった。


「……」


夏はもう一度息を呑む。

これが、簡単に他人を信用した末路というのか。

悔しさ、そして悲しさが胸を締め付け、現実から逃れるようにぎゅっと目を瞑る。



「…なーんてね!」



だが、その緊張感を裏切られるのも束の間だった。

軽快な口調にぽかんと口を開ければ、月彦はニコニコと楽しそうに夏の顔を覗き込んだ。それはもう、悪戯に成功した子供のような顔で。


「ビックリしたかい? 安心していいよ、さっきはああ言ったけど、ボクは君を襲ったりしないから!」


てか、年下いじめするような奴が、月神に選ばれるわけないって思うわけ!ボクは信念を曲げたりはしないよ!

月彦はそう言ってまた独特な笑い声をあげる。

陽気な月彦に反し、夏は震える。


…やられた。またやられた。水姫に続いて、初めてあった男にまで──!


二日連続のこの所行に、夏は熱り立つ心を押し留めるのに精一杯だった。

小刻みに震える夏の真っ赤な顔を見て、月彦は何故か安心したように微笑んだ。そして、頭の上にポンッと手を乗せる。


「でも、さっきのは嘘じゃない。今、神憑同士の殺し合いが急増しているんだ。理由はさっき言った通り……わかるね?」

「………」


"自らが月神に選ばれるために、不穏な種は摘んでおく"。

ましてや、同じ月を欲する者に出会いさえすれば──。


夏は息を呑んだ。まさかこんなことが起こっているなんて、知らなかったから。


(こんなの…ただの戦争じゃないか)


神々の桃源郷のために、暦の月神になりたいがために、人同士で殺し合うなんて……


(そんなの……)


思わず眉を顰めて握り拳に力を入れれば、「夏!」と両肩をガシッと掴まれる。


「ボクはキミが気に入ったよ! ということで、今日の出会いの土産に僕が狙っている月を教えてあげよう!」

「え!? いや、いいよ! 別に俺は月神になりたい訳じゃ…」

「僕が欲しいのは、皐月。五月だ。田植えの季節だ! 今、この瞬間を動かしている月!」


 話を聞かないことはともかく、夏は内心ほっとした。

皆が皆 神無月を欲しがるわけじゃないということと、彼と争わずに済んだことに。

今日、月彦に出会ったのは偶然だ。だが、夏はこれがとても幸運なことだったと思う。

神憑について博識であり、何より月神になることを重荷として見るのではなく、人生の楽しみとして前を向いている。

…この男と話せてよかったと思えるくらいには、夏はこの出会いに感謝していた。


「──米は何よりの宝なんだよ。毎年伊勢で新嘗祭しんじょうさいが行われる程、日本で米は神意的な意味でも崇められる素晴らしいものだ。お米ひと粒ひと粒にも神が宿っていると言われているしね」


唐突な米に関する雑学に夏は数回瞬きをする。

…てか、ここまで見かけにそぐわないトークがあるだろうか。

外見としゃべり方はこんなにチャラそうなのに、その本質は農耕の神が憑くのに相応しい考え方と知識だ。


「米は至宝だ。なくてはならない。一生をかけて守らなくてはいけないものだと思わないかい?」


ずいっといっきに詰め寄り、ニコッと擬音が聞こえる程の満面の笑みを見せると、



「……また会おうね、水神憑。絶対だ」



そう囁き、月彦は手を振って歩き去ってしまった。

その後ろをついていこうとする田の神も、一度はこちらに視線を寄こしたものの、何も言うことなく去っていった。

あまりに突飛的な風…いや、嵐のような去り方に、夏はついていけなかった。

せめて最後に別れの挨拶くらいしたいと思ったが、最後は米のうんちくを満足するまで語った後、もう会うはずもない相手に妙な捨て台詞を吐いて立ち去ってしまった。


「な、なんだったんだ」


夏は月彦が去ったところを黙視していたが、やがて深い息をつき立ち上がる。

色々思うことはあるが、初対面の神憑相手に命があるだけマシだと思うことにして、大学に行こうと……



「…って、ああっ!時間!」





***






「…不思議だなぁ…」


夏と別れた後、月彦は顎を撫でながらそう呟いた。

その表情は面白いおもちゃを見つけたようだった。

それほど月彦にとっては貴重な出会いであったのだ。これまで神憑として生きてきた中で、一度も出会ったことの無いタイプだったから。

神憑は本来、命を分け与えられたその瞬間からなるもの。つまり、“死んだ瞬間”だ。

しかしの少年は、幼児期に神憑になっているのにも関わらず、実際 憑き神に逢ったのはつい昨日のことだという。


「…ま、あちごだないな!」


水分神という神は、聞く限り相当の曲者だ。あの手この手で夏を囲っているのが分かる。

会ったことの無い水神を語るには情報量が足りないと思うけれど、それでも、初回で “あの”話を夏にしていないことを見る限り、厄介な存在に拾われたなと月彦は苦笑する。

哀れだが、同時に羨ましくもなる。

執着、愛憎、嘘。

様々な感情が渦巻く関係の二人に。


「めじょけねえ…………お米様」

「ナマリ」

「!」


危ない危ない、と口を押さえる月彦だが、その口元は未だに弧を描いている。

笑い声が漏れてしまっている宿主を見て、田の神はため息混じりにキセルをくわえた。

田の神にとって、こんなに楽しそうな月彦を見たのは久しぶりだった。



「…おもしろいことになりそうだな、神迎祭!」




月彦の言葉に、返事をするものはいなかった。









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