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現し世の鑑  作者: 葵日野
第二章:神憑
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鍵綿月彦







どくん、どくん、と脈が早まる音が反響して耳裏から聞こえる。

この男の笑顔は、水姫のとは異なる無言の圧力を感じる。逃げないといけないのだろうか…でも、逃げてしまえば神憑であることの証明になってしまう。

そもそも、神憑であることがバレたら、どうなってしまうのだろうか。

夏はこんな場面になって初めて、本当に“神憑”という存在になってしまったのだと実感した。夏は蛇に睨まれた蛙の如く怯えた目で男を見つめる。


「………はっはは!」

「!」


 その場の空気を破壊するように響き渡ったのは特徴的な笑い声。


「ごめんごめん、こんな尋問みたいな聞き方じゃ怖かったよね。ごめんね〜」


男は夏へと近づく。

そして、一方的に片手を差し出した。


「ボクは鍵綿かぎわた 月彦つきひこ! 神憑さ。この子は田の神。農耕を司る神様だよ」


夏は唖然とその男──月彦を見つめる。

すると月彦は、ぼんやりとしていた夏の手を無理やり握り締めてブンブンと勢い良く握手を済ませた。


正直ついていけていないが、名乗られた上に神憑宣言された手前、名乗らないわけにはいかない。


「月代 夏…です。一応神憑……なのかな?」

「はっはは、なんだいそれ。心配しなくてもボクは神殺しじゃないから、ごまかさなくても大丈夫だよ」

「…神殺し?」

「……ん?」


首を傾げる月彦に、血の気が引いた顔をした夏は掴みかかる。きゅっと首が絞まる感覚が月彦を襲う。


「か、神殺しってなんだ? その言い方……もしかして、神憑は命を狙われるものなのか?」

「えっ?」

「お、俺……全然わけ分かってなくて。何も知らないんだ! 教えてくれ! 神憑は命を狙われるものなのか!?」

「ちょっ…落ち着きなよ夏くん、ね!」


首を絞める勢いが段々強くなり月彦の顔色は赤黒くなっていく。しかし夏は恐怖による錯乱で月彦へ加減をする余裕などない。宿主がこんな状態であろうと田の神は平然としていた。


「死にたくない! まだ死ねない! 死にたくないんだよ! 助けてくれよお~!!」

「落ち着いてー!?」




***




夏はこれまでの事をすべて月彦に話した。

初めて会った人にこんなことを相談することなんて愚直極まりないが、それでも、初めて自分以外の神憑に出会ったから。


全てを聞いた月彦は頬杖をつきながら、夏の顔をじっと覗き込む。

話し終えたと言うのに、なにか返事があるわけでもなくただ凝視しっぱなしの彼に首を傾げれば、月彦は我に返ったように背筋を伸ばした。


「……ほんだら神憑一年生っでごっだなぁ……」

「…ほんだら?」

「あっ…いやいや! まあ、この出会いも何かの縁だし、今のうちに不安なこと、聞きたいこと、好きなだけ聞いてくれて構わないよ。なんたって、ボクは君の"先輩"だからね!」


親しみやすい笑顔を向けられて夏はひどく安心感を覚えた。


「ある程度の話は聞いたけど……でも、やっぱりまだ現実味がないんです。それにアイツ、どこか俺を小馬鹿にして楽しんでる節があって、口を開けば立派な月神になれやら二人で出雲に住むやら…ああ、思い出すだけでもイライラする」

「はは…それで神様は留守番ってわけか」


月彦は苦笑する。彼の語る水分神とやらは、良くも悪くも宿主命の神様らしい。無口無表情放任主義がモットーのうちとは正反対だと、隣で大人しく座るお米様の頭を撫でた。

月彦はブツブツと自分の憑き神への文句を垂れる夏の肩を掴み、人差し指を立てる。


「何故全国の神憑が月神を目指すのか。それは、利点が大きいからだよ」

「利点?」

「そう。ボクたち神憑はあくまでも人間ひとならざる存在だ。言い方を悪くすれば死に損ないだね。だって、神様が命を分けてくれなかったらもともとは死んでいたんだから」


改めて思い返せばそうだ。

心肺停止の状態で息を吹き返したということは、俺は一度死んだということ。死んだ時のことなんて実感もないし覚えてもいないけど、でも───。

夏は自分の左胸に手を当て、心臓の音がすることを改めて確認した。


(生きてる…んだよな)

「体の中にある心臓は実質神様のもの。今でこそ普通の人間同然の生活をしているけど、存在自体で見れば、限りなく神様に近いんだよ…って、夏くん聞いてる? …何してるの?」

「!」


慌てて自らの胸から手を離せば、月彦ははっとし、何かを悟ったかのように徐ろに夏の肩を抱き、


「…現実を突きつけるようで悪いけど、君におっぱいはないよ。それでも揉みたいというのなら……水分ちゃんに頼みなさい」

ガッ。


暖かい目で見つめてくる月彦の頭を力一杯グーで殴ってやった。

殴られた部位を抑えながら小刻みに震える月彦。

今のは確実にこの男が悪い。


「…そ、それで、本題の利点についてだけど」


痛みの余韻に浸りながら今一度ベンチに座り直した月彦だが、次の瞬間、親指をグッと立てて笑顔で言い放った。


「ボクたち神憑は正直、いつ死ぬかわからない!」

「利点とは?」


お世辞にも利点とは言い難い言葉に、実はこの男はマゾヒストか何かなのではと疑念を抱いた。思わず距離を取ろうとすれば、すぐ様肩を引かれる。


「はっはは! まあ話は最後まで聞きなよ。神様の気まぐれが削がれたら、ボクたちはいつ命を引き抜かれるかわからない。…ボクも君も、いつ死ぬかわからないってことを言いたいんだ」


"気まぐれ"───水姫も言っていた言葉だ。

あの時、自分がからかわれたことには間違いないが、おそらく、言葉に嘘はなかった。

『その時たまたまそこにいたから。たまたまそこにいた人間が生きることを望んだから』


(………)


正直、腑に落ちない。

あの時俺は、本当に生きることを望んだのだろうか。


「夏くん、神様はね…プライドの塊なんだよ」


月彦が冷静に口にした言葉は、夏には無縁な言葉だった。

森羅万象を司る神々には階級があって、上に上りつめた者だけが神の桃源郷と呼ばれる高天原に上ることを許される。そのために、神々は神力を極め、人々からの信仰を求め、深める。


「遥か昔、拙い土地神とちがみだったお米様が、こうして田の神として崇められるようになったのと同じように、ね」


月彦は田の神の頭を優しく撫でる。


「月神は神々の憧れの的。神の世界で“地位”は絶対的な存在価値と権力が得られる。 神様たちにとって、手っ取り早く高天原に近づくには 神憑を生んで暦の月神にさせるのが一番の近道なんだよ」


曖昧で、実感も現実味もない中の非現実的な世界の話。そんな、思った以上に複雑な森に、自分は足を踏み入れてしまっていたらしい。出口なんてないのではと思うくらい、深く、暗い場所に。


「だから、神様の目的を果たすために神憑である人間は月神になることを目指す。…ま、ボクとしても神様の気まぐれに振り回されてある時ふっと死ぬより、不老不死の体を得て人間界を管理してた方が楽しそうだしね」


能天気に笑う月彦に、つい理不尽だとは思わないのかと聞きそうになって口を噤んだ。

そんな夏に月彦は困ったように笑った後、すくっと立ち上がる。両手を頭の後ろで組み、月彦は振り返りざまにニッと悪戯っ子のように笑った。


「ま、生きたいなら命を救ってくれた神様に恩返ししろ、ってことだね! …どう? 少しは、君の胸のモヤモヤは拭えたかな?」


月彦は、目を細めて笑う。




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