121 終幕へのソナータ - 5
死が迫る。
逃げ惑う人々の声、悲鳴、断末魔。
それらが、国中に響き渡る。
「城門を解放しろ!限界まで国民を城に避難させるんだ!!!」
エイルワードが叫ぶ。
空中騎士団は持てる戦力の全てを避難誘導に。ドラゴンの背に乗って、国中をまわりながら生きている国民に城に逃げるように声を上げる。
「イル・バガット!結界は!」
「僕の身で展開できる最大限の結界を準備しているよ。宮廷魔術師総動員だ。城壁の内部にいれば確実に守れるが、城下町までは拡げられない。皇子、切り捨てる覚悟を持つんだ、いいね?」
「……限界まで受け入れる」
「門が閉じた瞬間に、展開する。それ以上は待てないからね」
「…………わかった」
【神々の泥】が発生したのは中央広場。緩やかとはいえど丘の上に建つ城から少し離れた、平地に広がる城下町の中央にある広場だ。重力に逆らって丘を登ってくる【泥】の速度は、平地に広がる速度より圧倒的に遅い。
既に城とは反対方向に【泥】が進行しており、城下町よりさらに向こうの小さな村と田園地帯が呑み込まれたと報告があった。
空中騎士団は【泥】より先に進行方向にある村に向かい、そこに住む人々を空中船に乗せて戻ってくるはずだ。ドラゴン小隊で一つの船を作るから、どうしたって全ての村には向かえないし全ての住人は乗せられないことが多い。
命の取捨選択が、必要だった。
「…………」
あるいは、あの神を止めるか。
広場に現れ、【泥】が溢れるあの穴を穿けたという、国中で信仰されているヴァーニア神話の主神・ヴァーニアその人だ。
人間憎しで人を殺す、善行と博愛の女神。
なるほどどうして、【視えるモノだけが全てじゃない】。まさにその通り。
どこが善行だ、なにが博愛だ。
今を生きる人間たちを、散々殺しているくせに。
「イル・パーパ、ご報告が」
「どうした」
「城下の森付近まで【神々の泥】が迫ってきていると報告がありました」
城下の森は、皇城の城壁の周辺に広がる森だ。城下町と皇城の間に広がっていて、城に攻め込もうとする者の足止めをする。それを避けると、皇城への道は3つに絞られる。
馬車も通れるように整備されてはいるが、焦る人間が我先に進もうとしている現状では、城下の森は邪魔でしかなかった。道に人が溢れかえっている。
城下町から皇城への道は、宮廷魔術師たちが結界を張って逃げ道を確保する手筈ではあったが、【泥】を抑えきれなくなれば、魔術師たちは住民を見捨てざるを得ない。
無力な国民より、魔術師が城に戻ってより強力な結界を張った方が、残る命が多いだろうという皇帝の判断だった。
「……城下の森に向かっていた宮廷魔術師、全員の帰還を確認」
「……わかった。城門の目前に【神々の泥】が迫るまで、門扉を閉ざすことは許さない。衛兵全員に周知しろ」
「承知いたしました」
城の中にも国民を誘導し、城門の周囲に人がたまらないようにしなければ。逃げてきた人々が収まりきらない、なんてことになってしまう。
「【神々の泥】目視にて確認!!」
城壁の上から周囲を監視していた兵から、叫ぶような報告が耳に届く。
「距離は!」
「目測1キロ!城壁到達まで、推定20分!」
分速50メートル。時間がない。
宮廷魔術師たちは城壁に登り、結界の準備を本格的に進めている。空中騎士団が運ぶ人々を乗せた船は、その大半が既に城に戻ってきている。見える範囲にいるのは残り一隻。あの距離ならば結界が張られる前に城に着くことができるだろう。
「問題は」
【神々の泥】すれすれを逃げている住民だ。1人が呑まれ、それに気を取られた人がまた呑まれ。その繰り返し。多分あの位置にいる住民たちは、城門内に入ることは叶わないだろう。【神々の泥】に近すぎる。
目の前に、助けられる命があるのに。
目の前に、懸命に生きようと踠く命があるのに。
彼らの伸ばす手を、より多くの命のために、見ないふり、見えないふりをしなければならない。
九龍院での行いと同じこと。
そのはずなのに。
「腹立たしいな、心底」
割り切れない自分が、居る。
伸ばされた手に、応えなければと思う自分がいる。今まで見えることのなかった手が、助けを求める手が、目の前にある。
それを散々切り捨てて、世界のために血まみれになり続けた一家が、九龍院なのに。
なにを、今更、ため、らって、い、るん、だろう。
「タイミングは殿下次第です。殿下、ご命令を」
空砲が込められた狩猟用の銃を持った兵士が、エイルワードの目の前に跪いた。
エイルワードの合図で空に向けて空砲を撃ち、それを聞いた兵士が門扉を閉ざす。閉じたのを確認したら、もう一同空砲を。2度目の発砲音で、宮廷魔術師たちが結界を完成させる。
「100メートル!」
もう少し、もう少しだけ。
「80メートル!」
漆黒が迫ってくる。
「60メートル!」
兄妹と思しき2人が転びながら門を潜る。
「40メートル!」
「門を閉ざせ!」
空砲が鳴り響く。
「おかあさん!!」
少女の叫び声には耳を塞いで。
「空砲を!」
2度目の空砲が鳴る。
閂によって門はしっかりと閉められ、城壁の上の宮廷魔術師たちが、全力を尽くす。
ローブを着たあの魔術師は、今頃結界の中心となる皇帝の謁見の間で、要石と共に居るのだろう。
シャボン玉越しに世界を見るような、滲んだ虹色の膜が、半球状に城を包む。油を垂らした雨上がりの水溜りみたいに、不規則に揺らぐ細い虹色が、結界の存在を確かにする。
「お、かあさん……!!」
見えない、見えない。
門に縋り付く少女なんて。
城の中から、イル・バガットが姿を現す。
「結界は完成したよ」
「……そうか」
彼の言葉に、周囲にいた国民や兵士が喜びの歓声をあげる。
「僕史上でも、最高傑作の結界さ。これ以上強力な結界は、世界中どこを探したって無いだろうね」
「そりゃあそうだろうさ」
見えない、見えない。
皇帝の謁見の間。
そこに整然と佇む、水晶に包まれて眠るように生き絶えた、要石の姿なんて。
「何人、救えたかな」
「さてね」
国で最も尊い命を要に、国民を守るための結界は完成した。
その事実は、一部の人間しか知らなくていい。
────血を流すのは、命を捨てるのは、いつだって九龍院家でいいんだ。
そう、でしょう?陛下。
──否、否。……師匠。
次回更新は4月23日の12時です。
結末が近い!ぜひ最後までお付き合いいただけるとありがたいです!!




