117 終幕へのソナータ - 1
「そんな、待ってください」
楽しげに語るシシィを遮ったのは、マリンだった。受け止められない、意味がわからない。そういった表情をしている。
「だって、そんな……」
「何があなたの思考を止めているの?マリンさん?」
「この国の歴史は、長いんです。それこそ何百年と続いてきた歴史があるんです!」
「一度黒く塗り潰された歴史よ。それを基にして、改変して、構築し直した世界」
それでもマリンは引き下がらない。「でも……」と言いながら唇を噛み締めている。
言いたいことはわかる。世界は今この瞬間に作られて、偽物の記憶を植え付けられ、今まで生きてきたかのような環境が整っていて。今まで歩んだと思っていた記憶が、道筋が、思い出が、全て与えられただけのモノだなんて。
突然そんなことを言われて受け入れられる方がおかしい。
「貴方たちは不思議に思わなかったの?レイエンフィリアが、急に人が変わったようだ、と」
「「「…………」」」
マリンは視線を逸らし、アラドとベンクはお互いに顔を見合わせる。
「俺たちは……」
「そもそも殿下との交流した歴が浅いからなぁ」
「私は……その、事故の後から、雰囲気が違うな、と」
「……まぁ、そうよね。ごめんなさい、マリン」
レイエンフィリアの顔のまま、いつしか玲華は“玲華”のまま周囲と接するようになっていた。
以前レイエンフィリアが過ごした姿や仕草を真似ることはできても、前例や記憶のない出来事では玲華が出る。顔を覗かせてしまい、いつしか本人と入れ替わっていた。
「俺たちが出会った時には、既に殿下は、マリンさんが知っている殿下では無かったって事ですねー」
「そうね。そうなるわね」
「レイカさんと、アキヒトさん。うぅん、口が慣れないなぁ」
「いつも通りでいい、ちゃんとわかるから」
「ありがたいです!」
「努力をしろよベンク……」
「ん?ああ、そういえば……ベンクさん?貴方のその内側にいる子、そのまま貴方が飼っていていいの?」
「……っ⁉︎」
シシィは目を閉じたままベンクを見る。目で見ているのでは無く、目で“視ている”ような。
「玲華は気付いているみたいだけど?暁人はなんとなく、くらいな感覚?」
「言い当てないでくれ」
「あら、当たっちゃった」
「ほんっとうに君は人を苛立たせるのが上手いな」
「生まれた時からの性分なの」
「聖女なんて名乗るのをやめたらどうだ?人を苛立たせる聖女なんて聞いたことがないぞ」
「【あちら】の物語じゃ、家族やお歴々を苛立たせているじゃない」
「保守派の貴族や主人公の存在が気に食わない人間に、だろう?別に俺たちはお前の“存在”が気に食わないわけじゃ無い。お前の“言い方”が気に食わないだけで」
「生まれた時からの性分なの」
「人工知能みたいな同じ返答はやめろ」
額に青筋でも浮かびそうになりながら、腕組みをして引き攣った笑顔でシシィに反論する暁人の表情は珍しい。
玲華は暁人のシャツの裾をくいくいと引いた。
「ねぇ、2人って顔見知りなの?」
「顔見知り……かしら?まぁ【暁】からは色々やられたけどね。封印とか封印とか封印とか封印とか封印とか……あと……封印とか?」
「お前が人間として規格外すぎたからだろ。玲華、勘違いするなよ。顔も知ってるし話したことも何度かあるが「何度かぁ?」……ちょっと黙ってろお前!……こいつと親しくなんて死んでも嫌だね」
「もう死んでるけどね」
「いい加減口を縫うぞお前!!」
「……仲が良い」
「アラド、そんな目で見るな」
「仲、良いですねぇ」
「ベンク、話を広げるな」
「姫様、アキヒトさんは脇に置いておいて」
「マリン、よせ、置いておくな。そして乗るんじゃない」
むぅ、と頬を膨らませる玲華に、暁人は別の意味で顔を引き攣らせる。
「玲華?」
「どうせ、私は【あちら】じゃあまり話したことないもの」
「話したことはないけどちゃんと知ってたし、見てたから!」
「あらぁ?確か、貴方のような方をストーカーと言うのですよねぇ?」
「……美沙夜、縫うか?」
「ほどいて治すからいいわよ」
「いいのかよ」
「……ほら、仲良いじゃない。そう思うでしょ?みんなも」
「「「うん」」」
「『うん』じゃない!!俺は単にコイツの監視をしてただけだ」
「すとー「違う。仕事」……ふーん」
自分でもわかる。子供みたいに拗ねている。
何だか気に食わない。自分の知らない暁人を彼女は知っていて、名前しか知らなかった美沙夜と言う人間を暁人はよく知っている。仕事が理由らしいけれど。
「あの!!!」
ベンクが叫んだ。
「【これ】のこと、気付いていたんですね」
ベンクはいつも左手首に身をつけていたブレスレットを外して、玲華に差し出した。
シトリンのような黄色い石が嵌め込まれている。
「【フェルミエ】」
【おはよう、ベンク。遂に話すのね】
ニタリと笑う女の姿をした【悪魔】が現れる。ベンクの首に後ろから腕を絡めて、左の肩口に顔を寄せている。怪しい笑顔というよりは、楽しくて仕方がないような笑い方だ。
「うん、そうだね」
「ベンク、頼める?」
「もちろんですよ、レイカさん。……【フェルミエ】と会ったのは2年前です。アラドは知っていると思うけど、俺は故郷に恋人がいました。恋人を故郷に残して騎士団に入団し、休みが貰えたから、久しぶりに帰った時です」
久しぶりに故郷の街に足を踏み入れた時、街のみんなのベンクを見る表情は、帰還を歓迎するものではなかった。気まずそうに、憐れむような表情だった。
『何だ?』と思いながら自宅の扉を開き、ベンクを出迎えた両親に会うと、両親も街のみんなと同じような表情で、1通の手紙を渡してきた。差出人はアーミィ。ベンクの恋人からだった。
騎士団に入団してから丸1年、帰ることができなかった。それは両親も恋人も了解してくれたはずだった。けれど、手紙の中のアーミィは、見覚えの無い拙い字で、『別に好きな人ができたから、この街から出て行く』とベンクに綴っていた。
アーミィはこんな言葉を綴る人間じゃなかったのに。いつも、体調はどうだとか、生活がどうだとか、ベンクを気遣うことを2〜3個綴ってから本題に入るのに。
別人のようだと思った。
けれどそう思っても、去ってしまったのは随分前だ。手紙に綴られた日付は半年前。どこに行ったのか、誰と行ったのか。誰も知らなかった。
────ちゃんと、話をすれば。
自分が彼女を大事にしなかったから。
彼女への気遣いを怠ったから。
いつも与えてもらうばかりで、返すことも贈ることもしなかったから。
後悔の念はとめどなく溢れて、茫然自失のまま、気付けばベンクは泣いていた。
貰った休暇は3日。1日目は自室で呆然としながら過ごして、2日目は街のはずれの慣れた山を散策した。目を瞑っても歩けるほど慣れた場所だ。気力を失い、家にも街にも居場所がなくてそこを選んだ。
そこでだ。【フェルミエ】と出会ったのは。
思えば、誘われるように通ったことのない獣道に入った記憶がある。何となく、こっちに行ってみようかと思って、その先で出会ったのだ。
崩れた古屋の庭と思しき場所で、無造作にそこに落ちていたのがこのブレスレットだった。風雨に打たれ、土に汚れていたけれど、軽く洗って土を落とせばばその輝きを簡単に取り戻した。
そして、声が聞こえたのだ。
【ん〜!後悔の念。いいわねぇ、最高じゃなぁい。君は自分の怠慢を悔いているのぉ?】
「誰、だ?」
【ふふ、アタシはあ・く・ま。わるぅいヒトだよ。いや、ヒトではないんだけどさ】
「揶揄うのはやめてくれ。間に合っているし、興味もないんだ」
【……ふぅん、本心ね。力も要らないの?恋人を奪った男、殺せるわよ?】
「殺す気はないよ。それに彼女が……アーミィが泣く姿は……俺、見たくないんだよなぁ」
2つ年下の幼馴染で、可愛くて、愛おしくて、大事だった女の子。
転んで怪我をしたとか、寂しいとか、そういう理由で彼女が涙を流しているのを見ると、勉強だ手伝いだなんて放り出してそばにいた。涙を拭って、頭を撫でてやって、大丈夫だと声をかけて。涙で潤んだ瞳で見上げられるのが好きだった。
物心ついた時には、彼女のことしか考えていなかった。彼女以外視界に入っていなかった。幼馴染の“大事な子”が“女性”に変わるのはあっという間だった。“女性”として見ていたのは彼女だけだった。
正直な思いを言ってしまえば、『何故たった1年で?』と思わなかったのかと聞かれれば、何度でも思ったと答えるだろう。
20年以上一緒にいて、念願だった騎士団に入団して、王都に1年滞在していた。その1年の間に、20年かけて築き上げた幼い恋心が、顔も知らない男に打ち砕かれたというのは、お茶目なベンクを無にするには十分すぎた。
街に住む人みんなが家族のような街だ。幼い頃から見守ってきた小さな恋が、夢のために離れた1年の間に泡沫のように消えたなんて。みんながベンクに気きまずい視線を向けるのは妥当だった。
【アタシを捨てたっていいのに】
山からの帰り道、左手首に嵌めたブレスレットから聞こえた声に、ベンクは少し悩んでから答えた。
「……独りだとさ、やっぱりアーミィのことを考えちゃうから。王都に帰る道中の話し相手になってよ」
【ま、暇だしいいけど。でも力が必要になったらいつでも言って?アタシ、あんたのこと気に入ったわ!】
「そりゃよかった。俺も気に入ったよ。陽気で、色恋の情なく話せる相手って、結構重要だから」
【そういうもの?】
「そういうものだよ。多分ね……多分」
1年で、アーミィの心がこうも容易に変わってしまうなんて、思っていなかった。
【ほーら!そういうこと考えない!そのためのアタシでしょ!】
「そうだった。ありがとう!やっぱりいいな、話し相手がいるって。思考を逸せる」
【最初のうちは協力したげるわ。徐々にコントール出来るわよ】
そこから、奇妙な生活が始まった。
騎士としての訓練にのめり込むうちにアラドと出会い、仲良くなった。
訓練して、成果が出るごとに、今までそこまで得意じゃなかった魔術が急に使えるようになった。【フェルミエ】曰く、ブレスレットを常に身につけていることで【悪魔】の力が少しだけベンクに流れ込み、それを魔力に変換できているらしい。さらに訓練で体を鍛えることでその許容量が増え、強力な術も使えるようになった……かも?とのことだ。
「レイカに初めて会ったあの日、アラドにさ、故郷の恋人に手紙を書くって言われた時、ドキッとしたよ。そういえば、故郷に帰る前、同期のみんなに『恋人に会うのが楽しみだ』って伝えたから。それを覚えている人がいるって、思っていなかったんだ」
「……すまない」
「謝ることじゃないさ!アラドは何も悪くない。謝る必要は全然ないんだ」
ベンクはスッキリした笑顔で、玲華を見つめた。
「【フェルミエ】のおかげでレイカも助けられたしね」
「私を?」
「そうか、宿が炎に包まれたあの時、お前が使った気絶するほど強大な術は、【悪魔】に力を貸してもらったからなのか」
【あれ以来、貸していないけどね。もっと力を振るったっていいのに】
「余計な騒動は起こしたくないの」
「み、耳が痛いわ……」
「うわ、レイカごめん!!」
はわわわわ!と慌てるベンクに、玲華は微笑んだ。
「冗談よ、ベンク。助けてくれてありがとう。お礼を言うのが遅くなって、ごめんなさい」
「いいんだ。誰かを助けられる力を持っているなら、それを誰かを助けるために使う。それができたなら、こんなに嬉しいことはないよ」
本当に、なんて、前向きで実直な男だろう。
「「私とは大違いだわ」」
玲華の声とシシィの声が重なる。
2人はお互いの顔を見合わせた。ぱちくり、と瞬きのタイミングまで合う。
「美沙夜、よせ」
「でも」
「美沙夜、フォローする気は毛頭、一切、これっぽっちも、髪の毛一本ほどさえも無いがな」
「言いようが酷い」
「美沙夜、『神と対等に話す』ことができる君の能力は、確実に世界の脅威であり、その脅威を世界に知らせないために俺たちは秘匿を選んだ。だがな、脅威に感じているのはお前の『能力』であって、『君自身』のことは一切脅威だと思っていない。5秒貰えれば命を絶てるくらいには」
「殺す気満々……」
「君の能力は確かに脅威だが、君自身が強いとは言っていない。神と話せるから、君に刃を向けた瞬間に、味方する神を呼び出せ身を守ってもらうことができる。それが君の強さだが、君個人との対人格闘なら、確実に勝てる自信がある」
「私も確実に負ける自信がある」
「そんな自信満々に言うな」
次回更新は、2週間後の3月12日の12時です。よろしくお願いします!




