116 創世神話?
女神となったヴァーニアは、7柱の神にこう祈った。
「ある人を私の神獣としてそばに置きたいのです」
全てを見ていた神様たちは、シルヴィオを聖なる獣・蒼銀のドラゴンの姿に変えて地上に生まれ変わらせました。新たに生まれたドラゴンは、ヴァーニアの元へゆっくりと飛んできます。
ヴァーニアは微笑みました。
ずっとずっと、唯一すきだったひとが、地上から離れたのです。
「約束通り、皆さんを【幸せ】にします」
ヴァーニアはそう言うと、青く澄み渡る海を真っ黒な泥に変えてしまいました。その泥は瞬く間に大陸を飲み込んでいき、木々も、建物も、人も、言葉も、歴史も、その全てが泥に飲み込まれてしまいました。
「ヴァーニア?何をしているんだ?」
「私は約束したんです、皆さんと。『私が神になった暁には、皆さんを【幸せ】にする』と」
「これが貴女の言う【幸せ】だと言うの⁉︎」
「ええもちろん。だって私は、あの1週間、何度も消えてしまいたいと思いました。何度も死んでしまいたいと思いました。消えて、死んでしまった方が【幸せ】だと感じました。だから、消しました。だって、【幸せ】になりたかったのでしょう?【幸せ】って、消えることでしょう?だって、シルヴィオだって、消えたもの。【幸せ】って、消えるってことでしょう?」
ヴァーニアの瞳は純粋だった。
純粋な狂気に満ちていた。
幼い頃は幸せだった。
厳しいけれど優しい父と母がいて、幸せだった。【幸せ】だったからみんな消えた。
その後だって幸せだった。
町のみんなと働きながら、小さな親切にお礼を言ってもらえて【幸せ】だった。【幸せ】だったからお礼を言ってくれた人は消えた。
シルヴィオと一緒だともっと幸せだった。
すきなひとがそばに居て、抱きしめて、守ってくれて。とっても幸せだった。【幸せ】だったからシルヴィオは消えた。
子供の頃から、世界は幸せだった。
ヴァーニアが小さな親切を起こすことで、誰かが幸せになった。【幸せ】になったから、ヴァーニアが消えた。
世界は全て、【幸せ】が消えることでまわっている。少なくとも、ヴァーニアの見ている世界はそうだった。
【幸せ】は消えるもの。だから、消えた。
町のみんなは【幸せ】を願っていた。だからヴァーニアに【親切】をした。【親切】をされたんだから、ヴァーニアは幸せになったはずだ。
遂に、遂にヴァーニアが【幸せ】になったのだ。
ヴァーニアが差し伸べ続けた親切の手が、やっと、やっと彼女自身に伸びてきた。
だから、消した。世界ごと、命ごと。
でも。
でもやっぱり。
シルヴィオのそばに、いたかった。
「「「「「「「…………」」」」」」」
7柱の神は、困惑した顔で、自分たちが見守ってきた【世界】を見下ろした。愚かだけれど賢くて、無知だけれど面白くて、7柱みんなで手を差し伸べながら見守って、愛でて、愛して、共に時間を過ごした愚かな生き物が。
【幸せ】に殺され続けた純真無垢な女神によって、消え失せた。それを、その感情を、怒りというのだと知らないまま。
7柱の神は、全員で、ヴァーニアを殺した。
彼女は、神になってはいけなかった。神に選んでしまった自分たちが間違っていた。だから自分たちで落とし前をつけないと。
『身の内に秘めた狂気に気が付かないまま、神にしてしまってごめんない』
神々はそう口にして、ヴァーニアを殺した。神々の足元にヴァーニアが血を流しながら倒れ込む。
真っ黒になってしまった世界を見た神獣は、地上に降りることもままならない。ひとり雲の上から、真っ黒い泥に侵された世界を見下ろしていた。
自分を呼び起こしてくれた女神が殺された。
そのことには気付いていた。自らの胸の内にある喪失感と憐憫、そして深い悲しみ。
失ってはいけない人を失った。
守らなければならない人を守れなかった。
その事実を、シルヴィオは理解していた。
けれどけれども、彼女の行いは──自らを呼び起こした女神の行いは、決して女神としてふさわしい行いではなかった。
そのことにさえ、シルヴィオは気付いていた。
だから、せめてもの罪滅ぼしがしたかった。
主人である女神に代わって、シルヴィオは──神獣は、自分の力の全てを振り絞って、世界を作り直した。
土を生み出し、建物を作り直し、緑を植え、大地を隆起させ、水を流した。
商人だった過去の自分が見てきた、少なくとも知っている限りの全てを再現した。知らないところは想像でしか補えなかったけれど、知っている建物や地形、川の流れや植物たち。その全てを構築し直した。
力の全てを使い果たしたシルヴィオは、ヴァーニアが神となった、あの大聖堂に降り立った。力を使い果たした体では飛ぶこともままならず、大聖堂の真上まで飛んできた途端に力尽き、墜落するように眠りについた。
ヴァーニアの神獣だけが生き残り、再構築された世界を見つめていた神々は、ふと、思い至った。思い至ってしまった。
『我々は、今、何だ?』
7柱の神を信仰していた人間は、自分たちが見守ってきた【世界】にはもういない。いるのはただ、殺した8人目の女神の神獣のみ。
じゃあ、自分たちは何だ?
人間のいない世界で、自分たちは一体何だというんだ?
人間は消えた。消してしまった。
これじゃあまるで、自分たちが人間のようじゃないか。
見守る人間がいなければ、自分たちは神とは言えない。人間を見守り、導くのが神だ。じゃあ、見守る人間がいないのなら?それはまるで、人の地位に神が堕とされてしまったようなものではないか。
自分たちは神なのに。
人間がいなくては、神になることさえできない。
7人の神は動揺した。
そんな時、だった。
【世界】を見守る神たちに、人間の声が聞こえてきたのは。
神になるために人間が欲しいかつて神だった者たちの元に、『人を【死】という理から解放したい』九龍院家の魔の手が、伸びてきた。
人間の声は、自らをミサヤと名乗った。
ミサヤは語った。
自分たちは、人間を【死】から救いたい。今自分たちが生きる世界は、あまりにも【死】が多すぎる。
神たちは、人間を【死の概念】を持たない人間に作り直して、こちらに転送することを思いついた。世界のために日夜命を削っているという九龍院家の人間を、ミサヤというパイプを通してこちらに転送する、というものだ。
けれど、いまの【こちら】の世界には圧倒的に人間の数が足りない。人間が1人だけでは生きていくことはままならない、ということは、自分たち神々が1番よくわかっている。
九龍院家の人間だけを数人こちらに転送しても、それだけの人数では人間は暮らせないのではないか。
ならば、と。
神々は、シルヴィオが力の限りを尽くして創った世界に、社会を創った。
今まで生きてきた記憶を持つ人間を生み出した。今まで生きてきた生物を生み出した。今まで使われていた道具を生み出した。今まで使われていた国を、都市を、街を、生み出した。
なぜなら彼らは神だから。
自分達に祈りを捧げる人間を幾度となく見てきたから。今まで見てきた人間をそのまま真似て作ればいい。
見てきた人間を真似て作ると問題が生まれた。
『誰が彼らの神になる?』
最初は全員が神になればそれでよかった。
けれど、創った人間の数が平等ではない。
愛の神は人間を作った。
豊穣の神は作物を作った。
祈りの神は記憶を作った。
努力の神は言葉を作った。
憩いの神は建造物を作った。
献身の神は心を作った。
慈愛の神は動植物を創った。
人間を作ったのは愛の神だった。
人間にとって、神は愛の神だった。
他の神々は憤った。
「俺たちも神だ。なのにお前だけが神ではないか」
彼らは口論を始めた。
足元に転がる8人目を忘れたまま。
決着はつかない。
口論は続く。
ある時、ミサヤは気がついた。
「今のままで、いいじゃあないか」
争いは、終わらなければ終わらない。
誰かが終えなければ、終わらない。
終わらなければ、生まれ変われない。
なら、なら。
醜く争い合う神より、醜い彼らに殺されたたった1人で、いいじゃない。
ミサヤはヴァーニアを蘇生させた。
神様に【死】の概念など無い。そこに居るのなら、生き返らせるなど造作も無い。ただ、そちらの神の世界に願えばいい。『8人目の神様を生き返らせて』と。
だってミサヤは人間だから。
神の世界は人間の願いを叶えるようにできている。
ヴァーニアは生き返った。ミサヤの力を借りて。だから、まずは生き返らせてくれたお礼にと、7柱の神々を殺した。そして、それぞれを地上に捨てた。
人間のように──否、神でありながら人間以上に醜い争いを続けた神に、ヴァーニアは立場を与えた。その立場の名前を【悪魔】という。
【悪魔】はヴァーニアには逆らえない。彼らの地位を剥奪し、地に堕としたのはヴァーニアだからだ。
ヴァーニアは九龍院家の願い通り、世界から【死】を消した。誰も死ななくなれば、自分のような女神が生まれることもなかったのだから。
ヴァーニアは九龍院の願い通り、まずはミサヤを【こちら】につれてきた。今までミサヤが行っていたヴァーニアとの会話は、別の人間が代わるという。
その人間がまた、腹立たしいほど自分勝手だった。次はこの人間次はこの人間。要望は終わりがなかった。
ヴァーニアは疲れていた。
自分が止めたはずの時間を自分で動かし始め、【悪魔】が神だった頃に作り上げた人間たちを動かし始め、歴史を紡ぐように導いて。今まで7柱の神がやっていたことを、全て1人でやっているのに。そこにさらに、九龍院家の要望が水が湧くようにやってくる。
ヴァーニアは休みたかった。
【あちら】の人間を【こちら】に転送するのにも、想像以上の力が必要だった。既に送ったのは、ミサヤを含めて4人。
自分の名前を偽ってフォーリアと名乗りながら、転生を行うのは大変だった。1人では難しいと感じていた。
だから、自分と同じように神性が高く、かつ、眠り続けているシルヴィオに助けを求めた。かつての自分が、唯一すきだったひと。そんな彼の生まれ変わり。気が引けたけれど、神の体を動かすことさえ辛くなっていた。
ヴァーニアは【世界】を覗き込んで、たまたま目が合ったミミズクに意識を落とし込んだ。意外と馴染みが良くて、静かで、休むにはもってこいだった。
誰かの声で目を覚ましたシルヴィオは、気が付いた時には、不思議な姿になっていた。視界を遮る仮面、真っ黒い服、チラチラと見える金の髪。
目を覚ますと花畑に立っていたシルヴィオは、けれど何故か、やらなければならないことだけははっきりと覚えていた。
真っ黒な世界から【人間の世界を創った】シルヴィオは、ドラゴンの姿から意識だけが切り離されて、今ここにいるということをすぐに認識した。
頭の中に響く九龍院家の人間の声に呼ばれて、【あちら】の世界に姿を現す。途端に、体が鉛のように重く感じた。
暗い室内、白衣を着た3人の男と、彼らの右側でこちらに背を向けて光る画面に向かう女性。反対の左側には、こちらを気にしながら、地図を操作して電話している男が2人。
興奮気味の3人の男は、顔がにやけているのを隠しもしないままシルヴィオに語りかけた。彼らはシルヴィオをオルディネと呼んだ。ヴァーニアが用意した偽の名前だった。
シルヴィオは生返事で九龍院家の人間に相槌を打ちながら、早く花園へ帰りたいと思っていた。ここはひどく居心地が悪い。
人間の思考を乗っ取って今すぐ何人かの転送をしろと言われたが、断って花園を散策した。泉に足を触れさせ、【こちら】の世界の人々の営みを見つめながら、九龍院家の人間の暮らしも見た。悲しい運命を背負う人間というのは、たくさんいた。誰も彼もがそうだった。大小ではない。全ての人間がそうだと、オルディネは知った。
だから求めた。
このパイプを断てる人間を。
世界を終わらせられる人間を。
フォーリアになり得る人間を。
フォーリアを──
ヴァーニアを、殺せる人間を。
ヴァーニア。
俺はまだ君を愛してる。
だからもう、いいんだ。
君を殺せるであろう人を見つけたんだ。
だからもう傷付かなくていい。
神は死ねないけれど、君が彼女と同化したなら。
人間の彼女を君が見つけて、彼女と同化したならば。
人間の身体ごと、君を殺せる。
君が誰かの幸せを願って、結果、“魔女”と呼ばれるようになってしまったように、僕もまた、君の幸せを願って“魔獣”になろう。
彼女を、きっとひどく傷つけることになるのはわかってる。でも、もう今更だ。君を救えるのなら、なんだっていい。
ヴァーニア、どんな結果になろうとも、僕は君を愛している。その事実だけは変わらない。
絶対に、変わらないから。
だから、この声よ、この祈りよ。どうか届いて。
ヴァーニア。
ヴァーニア。
君を愛してる。
こちらもまた長くなりました。お付き合いいただきありがとうございます!
小説というのは、読む方に非常に負担がかかるものですので、長い文章を読んできっとお疲れでしょう。ありがとうございました。
次回の更新は、通常通りに戻しまして、2月26日の12時です。よろしくお願いいたします!!




