6 喪失
フリーゲームの魅力とはなんぞや? と、問われればやはりタダという事に尽きるであろう。だがそれだけではない魅力が沢山ある。
まず自由度が高い。同人ゲームもそうだが、コンシューマでは絶対やれないような危険なネタもフリーなら許される。さすがに最低限のマナーは必要とは思うが。
そして多様性。まるで生物の進化の系譜を見るがごとく、作り手のとんがった個性が如何なく発揮された奇作、怪作がごまんとある。
そんな作品のレビューを見ているだけでも飽きない。時間の制約がなければその世界にどっぷりと漬かっていたいところである。
ただその作品数の多さゆえ、このネタ、謎解きはどこかで、という事もないではないが、今の時代上から下までオリジナリティ溢れる作品なんてあるわけない。そんな作品あったとしたらよほどの神ゲーかクソゲーのどちらか、というかほぼ例外なくクソゲー確定だろう。
自分はテンプレを否定しない。面白い作品を作ろうと思えば、ましてや最低限の利益を確保しなければならない商業作品ならテンプレは正義といえる。後の時代に神ゲーと絶賛される作品であろうと、今に生きる製作者を失業に追いやるような作品はやはり失敗作と言わざるをえない。この辺りの事情は物書きの末席に座るものとしてそれなりに心得ているつもりだ。
そもそもエロゲー業界自体、かなり無茶な作り手たちが切磋琢磨していたという伝説はよく聞く。フリーゲームの魅力もそれに通底するものがあるような気がする。大体タダで、なんの見返りもメリットもなく、好きという原動力だけでゲームが作れてしまえるというのは自分のような凡人から見れば大変な変人だ。見返りといえば作品を通じて面白かったという賞賛が得られるくらいか。が、これも保証の限りではない。イマイチな作品なら遠慮なくダメ出しされる。いや、評価さえされてない作品も多い。自分は小説という、比較的楽に作れるものだからまだ耐えられるが、ゲームなんてとんでもなく労力を要する、かつ、受け手の数も小説よりずっと多そうなゲームを作って、それで評価もされないって。
製作者の無力感は相当なものだろうと推察するばかりである。
そのあたりの悲哀をテーマにしたフリーゲームもいくつか散見される。やはり作り手とは貪欲なものなのだなあと、なぜか嬉しくなってしまう。
なかには製作ソフトに頼らず自力でオリジナルゲームを作る天才肌。高いスキルを持つ人材が集う実力派サークル。独力で作品を作り上げる努力家等々……その混沌とした様相はまさにあの当時、自分が憧れを持って見ていたエロゲー業界そのものではあるまいか。
そこに自分が参入できないのは真にもって残念である。プレイする側から作る側へ。そこへの憧れは決して小さなものではない。現在、フリーゲームクリエイターとして頑張っている人たちもやはり同じ思いだったのだろうか。それを思うと、やはりとり残されたと感じずにはいられないのである。しがない素人の小説家ではあるが、いつかゲームを作ってみたい。この漠然とした夢は、存外大きなものとして自分の中にあったのだと思い知らされたのだった。




