3 創作
家に帰って小説なりイラストなりをちょこちょこ書いて、お楽しみのフリーゲームタイムである。その作品はかなりの良作で、コンシューマーと言っていいほどのクオリティ。いつもは斜に構えて作品批評などを心の中でしているが、その作品はそんな邪道的楽しみ方も許さぬ出来栄えだった。純粋に楽しんで、製作者に対して心からリスペクトすると共に、自分もこんなゲームが作れたら、と、焦り、羨望にも近い感情が湧き起こってきた。
これも無理からぬ話で、自分がかつて投稿していたサブカル誌もまた十八禁ゲーム、早い話がエロゲー誌だったのである。ここで首をひねる方もいるかもしれない。
自分がパソコンを使うようになったのはここ最近。だがはがき職人だったのはそれ以前。つまり、パソコンも持ってないカスがパソコン誌に投稿していたわけである。だがこれは不思議な事ではないのだ。
その当時エロゲー文化は隆盛を誇っており、自分のようなサブカルヒエラルキーの最下層にいるような人間はそのある種カオスな世界に憧憬を抱いていた。似たような人は他にも大勢いたようで、パソコン持っていなくても読者コーナーの常連を張る人は結構いたのである。
今でこそパソコンは贅沢さえ言わなければひと月のお小遣いで買える。自分のノーパソもリサイクル事業でニイキュッパで譲り受けた、そこそこいいものだ。
だが当時はパソコンと言えば今とは比べものにならないくらいの高嶺の花で、十万円は下らない高価な代物だった。間違っても学生風情が遊びのためだけに購入できるような安いツールでは決してなく、それゆえ当時のエロゲーは一部のセレブにのみ許された高級なサブカルといったイメージがあり、それを紹介するエロゲー誌はその魅惑の世界に触れることができる、なんとも甘美な媒体だったのである。さらにそこで紹介されるゲームは今まで見たこともないような美しいグラフィックに彩られており、なおかつ実用にも充分耐えうるという、まさに当時の若造の欲求と見事にマッチングした、非常にありがたい存在だったわけである。
だが時代と共にその構図にも陰りが見えてくる。パソコンの低価格化が進み、作品の大量流通とハイクオリティ化、ハッキングや中古市場の勃興などにより制作会社の撤退。伝説的なクリエイターも次々と第一線から退き、エロゲー誌も淘汰されていった。
私事ながら自分が投稿していた雑誌も大幅リニューアルにともない編集部の配置転換、読者コーナーも縮小された。結局、そこではもう楽しむというモチベーションを維持できず、自然消滅的に投稿をやめてしまった。これが自分の中で悔恨として燻り続けた。程なくその雑誌もご多分に漏れず休刊。せめて最後に引退宣言でもして五年もお世話になった雑誌に、そして常連の同志に挨拶くらいしとけばよかった、と。
その燻り、というか未練がいまもなお小説やイラスト投稿の原動力になっている事実は否定のしようがない。フリーゲームの製作者に憧れるのも無理からぬ話だ。




