↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元暗殺者の道具屋、日常を荒らす悪党を皆殺しにして姿を消したら、三年後に看板娘が「逃がさない」と押しかけてきました  作者: みなつきはつか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/21

3.踏みにじられた泥と軋む天秤

表の通りから響く罵声に、ジャンは煙草をくわえたまま、のそのそと工房の外へ顔を出した。


朝の冷たい空気の中、二軒隣にある古びた靴工房の前で、派手な革鎧を着た三人の男たちが暴れていた。

地面には作りかけの革靴や木型が無残に散らばり、泥まみれになっている。


「てめえ、誰に口答えしてんだ? 『アイゼンシュランゲ』の看板に泥塗る気か、ああん?」


中心に立つスキンヘッドの巨漢が、下町の古株である老靴職人・ハンスの胸ぐらを掴み上げていた。ハンスは白髪交じりの頭を揺らしながらも、頑固な目を光らせて言い返す。


「ふ、ふざけるな……! 先月も払ったばかりじゃないか! こんな法外な額、払えるわけが――」


「あ? 相場が変わったんだよ。上層の旦那方がこの区画を買い取るって言ってんだ。さっさと立ち退かねえなら、このボロ小屋ごと焼き払うぞ!」


巨漢がハンスを石畳の上に突き飛ばした。

ゴトリと鈍い音が響き、ハンスが呻き声を上げて膝を押さえる。周囲の商店の店主たちも遠巻きに見ているが、関わり合いを恐れて誰も助けに入れない。


そこへ、ジャンが両手を前で合わせ、ヘラヘラとした愛想笑いを浮かべながら間に入っていった。


「いやあ、旦那方! 朝から威勢がいいですねえ。声の張りが素晴らしい!」


「あんだぁ、テメエは?」


スキンヘッドの男がぎらついた目でジャンを睨みつける。

ジャンはおどけた手つきで頭を掻き、擦り切れたエプロンのポケットから銅貨を数枚取り出してみせた。


「隣で小道具屋をやってるジャンと申します。この爺さん、耳が遠くて頭も固いもんで、旦那方のありがたいお話が理解できてないんですよ。ね、これで美味い安酒でも煽って、今日のところは勘弁してやってくれませんかね?」


手のひらに載せた銅貨を見た男は、鼻でせせら笑うと、ジャンの手を乱暴に払いのけた。

チャリン、と硬貨が泥水の中に跳ねて転がる。


「銅貨数枚で俺らを買収する気か、ええ!? ナメてんのかてめえ!」


ドスッ、と重い革靴の先がジャンの鳩尾(みぞおち)を蹴り上げた。


「ぐっ……!」


ジャンは大袈裟によろめき、泥水の上に派手に尻餅をついた。

痛みに顔を歪め、泥だらけの手で腹を押さえながら、何度も頭を下げる。


「も、申し訳ありません……! 滅相もない、ナメるだなんてとんでもない……!」


「ちっ、腰抜けの修理屋が。次に来る時までに全員、立ち退きの書類にサインしとけ。逆らう奴は骨ごとへし折るからな!」


男たちはツバを吐き捨て、肩を怒らせて通りの向こうへと去っていった。


静まり返った通りで、ジャンは泥まみれになった膝をついたまま、無言で泥水の中に散らばった銅貨を一枚ずつ拾い集めた。

指先の皮一枚下で、かつての殺人機械としての冷徹な回路が、即座に敵の急所を算出し終えていた。


(……間合い、三歩。右の男の頚椎、中央の巨漢の喉仏、左の男の眼窩。目打ち針が三本あれば、息を吸う間に全員殺せた)


だが、ジャンは奥歯を噛み締め、その思考を頭の隅へと無理やり押し込めた。

殺せば終わる。しかし、殺せば自分はこの平穏な街から消え、また血と硝煙の闇へ逆戻りだ。この泥の冷たさと屈辱こそが、自分を繋ぎ止める「檻」の対価だった。


「すまんな、ジャン……情けないところを見せた」


ハンスが痛む足を引きずりながら、申し訳なさそうにジャンの肩に手を置いた。


「いやいや、ハンスの爺さんこそ骨折れてないですか? あーあ、せっかくの新品のエプロンが泥だらけだ。後でエレナちゃんに笑われちゃうな」


ジャンはいつもの剽軽な調子を取り戻し、おどけて泥を払ってみせた。

だが、その笑顔の裏にある暗い影に、ハンスは気づくことはなかった。


夕暮れ時。

ジャンが工房の土間で、泥で汚れた作業着を洗い終えて煙草を燻らせていると、引き戸が小さくギィと音を立てた。


見ると、戸口の影から、今朝の浮浪児の少年が顔を覗かせていた。

手には、綺麗に洗われた木鉢がしっかりと抱えられている。


「……あ、あの」


少年はおずおずと土間に足を踏み入れ、木鉢を作業台の端に置いた。

そして、泥だらけのジャンのエプロンと、作業台の上に置かれたヤスリに視線を走らせる。


「……さっきの、見てた」


「ん? 何のことだ?」


ジャンが煙を吐きながらとぼけると、少年は悔しそうに眉を寄せ、拳をぎゅっと握りしめた。


「お前、あいつらに蹴られてヘラヘラ笑ってただろ。……なんでやり返さねえんだよ。道具を直すその手なら、ノミだって上手に刺せるはずなのに」


少年の剥き出しの言葉が、工房の静寂に鋭く突き刺さった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。